【後日談】 真友

 先に目を覚ましたのは富沢とみざわの方であった。何がどうなったのかわからないが彼女は彼の腕枕でスヤスヤと眠っていた。

 少女を起こさないようにいかに腕を抜き取るか。朝から難易度の高いミッションである。


 しかもすりすりと彼の胸元に顔を寄せてくるものだから、彼の心の中は大惨事に。今彼女が目覚めてしまえばお互い気まずい。清楓さやかは自分を窪崎くぼざきと思ってすり寄ってるのでは? と思うと、心に嵐が吹き荒れ己の存在をアピールしたい気もしてきて。

 そんな男の葛藤を知らず少女はゴロンと寝返りを打って、富沢とみざわの腕から零れ落ちた。


 ほっとしたのと同時に残念な思いも胸に去来する。


 無防備に眠る寝顔を、朝の光の中で見るのもなかなか良いものだった。だがなんとなく、最初で最後になるだろうという気もする。


 音を立てないように寝室から出るとぱっと身支度を整え、クリーニングの引き取りに向かった。彼の願い虚しく店員は夕べと同じで、眠そうな顔の富沢とみざわを見て満面の笑みである。

 これは地顔なんだ……! という心の叫びが店員に伝わったのか、「そういやいつもこの客はこんな顔してるな」と思い出したようで、普段の店員スマイルに落ち着いた。


 クリーニングを引き取り、コンビニでぱっと朝食に良さそうな物を見繕って部屋に戻ると、寝室からもぞもぞもと彼女が起きた気配がした。目をこすりながら、ぼけぼけと起きて来た姿も中々可愛らしい。


 コーヒーと、朝食のパン。ぼけぼけしていた少女はもそもそ食べているうちに徐々に覚醒していくのだが、同時にものすごい恥ずかしくなってくる。

 服が透けていたのを見られたし、泣き顔も見られた、抱きしめてもらってそのまま寝た、あろうことか彼のベッドをぶんどって朝までぐっすりである。申し訳なさも相まって口数は少ない。ちらちらと、富沢とみざわの方を見るが、彼はクリップフォンに送られてくる報告書の類であろうかそれらを難しい顔で見ていて、清楓さやかの方を見ない。画面に目線を落としたまま彼は口を開いた。


「日夏君」

「はいっ」

「今日は学校が休みだと思うんだが、何か予定があるだろうか」

「えっと、真友まゆと午後から買い物に」

「なるほど」


 不機嫌そうにも見え、清楓さやかは少し落ち着かない気持ちになった。なるべく丁寧にお礼を言ったが、彼は頷いてそれに応えただけ。

 気まずくて早く帰りたくなったが、結局富沢とみざわはその態度のまま彼女を自宅マンションの入り口まで送ってくれたという。


「色々とありがとうございました」

「君はどうも危機感が薄いようだから、気を付けるように。みんながみんな僕のような態度が取れるわけじゃないから」

「はい……」

「宅配は必ず宅配ボックスを利用して受け取って、直接は出ないように。知らない人が来た時は居留守を使いなさい。外を出歩く時はなるべく遅くならないようにして、人気の多い道を選ぶ事。いいね?」


 口うるさいほど強く言われ、少女は頷いた。


 マンションの中に消えて行く彼女を見送ると、富沢とみざわは護衛人員の増員を指示し、続けて真友まゆにメッセージを送った。


 彼の不機嫌の理由は、今朝になって送られて来た資料。国内に侵入した某国の諜報部員の一人を逮捕し、そこから判明した彼らがやろうとしている事の全貌。Aランク者を拉致し行う実験の詳細が、あまりにもおぞましく吐き気すらする内容で、彼はそれを記憶に反芻する気にさえなれない。



 少女がぼんやりと、ジンベエザメのぬいぐるみを揉みしだいて過ごしていると、インターフォンが鳴った。富沢とみざわの言葉を思い出しておそるおそるモニターを見ると真友まゆがいた。即ロックを外して入ってもらう。


「早めに駅に着いちゃったから、こっちに来ちゃった。迷惑だった?」

「ううん。着替えるから待ってて」

「台風の吹き戻しがあるみたい。風が強いからスカートは辞めた方がよさそうよ」


 そういう彼女も珍しく、パンツルックだった。

 そして富沢とみざわ同様に、なんだか不機嫌に見える。ずっと難しい顔をしてるというか。



 ショッピングモールに来た二人は、最初は雑貨類を見て楽しむ。あまり飾るだけという物は買わないが、見るのは大好きだ。


「あ、そうだ。大人の男の人が喜ぶプレゼントって何かなあ」

窪崎くぼざきさんに?」

「ううん、富沢とみざわさん。夕べ、迷惑をかけちゃったから、お詫びとお礼に何か」


 真友まゆが目を細めて親友を見る。


「あなた、何やったの?」

「ええと……」


 二人はテイクアウトのドリンクを持って、屋上庭園に行く。

 そこで清楓さやかは夕べの出来事のすべてを告白する。なんとなく今朝の気まずさの理由も、第三者の視点からわかるのではないかという気もして。

 聞き終えた真友まゆが、露骨に嫌そうな顔をした。


「あなたねえ、お兄ちゃんの扱い、ひどいよ?」

「迷惑かけちゃったとは思う……」

「ねえ、窪崎くぼざきさんより、お兄ちゃんの方が優良物件じゃない? 乗り換えたら? 紳士なところも高ポイントじゃない」

「そんなことできないよぅ」


 窪崎くぼざきに対しては言葉で説明できない、胸の奥から湧き上がる感情があるが、富沢とみざわに対しては……あれ? ちょっとドキドキするかもしれない……。優しい態度、細やかな気遣い、自分を傷つける事もなく、不安にさせない。強引なところはあるが、ぐいぐいとリードしてもらうのも悪くはない。窪崎くぼざきにはない部分があるのだ。


 逡巡する思いに顔を曇らせた親友を見て、真友まゆは溜息をつく。


「まぁ、ちょっとダメなところが好きっていう女もいるし。清楓さやかはそっち系なのかしら?」

「そんなにおすすめなら、真友まゆ富沢とみざわさんと付き合えばいいじゃない」


 仕返しをしたつもりだったが、真友まゆはじとっとした目で彼女を見返して来る。


 真友まゆはいつも冗談めかして、清楓さやかは自分の物だと言うが、実際は本当にそうしたかった。彼女は、男性には興味がなく、親友である目の前の少女の事が好きだ。だけど清楓さやかは明らかに異性愛者であり、この気持ちがバレて親友ですらいられなくなるのが怖く胸に秘めた。一生、この秘密は隠し通すつもり。まあ、彼女のまわりにうろつく男どもが不甲斐なければ、そこは自分の出番だと思う。


「お礼のプレゼント、いいと思うわよ」

「何がいいんだろう」

「普段使い出来るもので、金銭的には手ごろな物がいいわね。消え物よりは残る物……ネクタイは毎日替えちゃうだろうし。毎日同じ物を使いがちなタイピンとかは?」

「どんなのがいいのかわかんないなあ」

「見て決めるといいんじゃない? でもそうなると……このモールだと扱ってる所が少ないわね」


 少し遠くなるが、千葉区の方に良い店舗があった。真友まゆの父も、そちらの方をよく利用している。オリジナルデザインが多くあり、確か手ごろな価格の物も扱っていたはず。都内の量販店のものだと、すでに相手が持ってる可能性もあるし。

 ただ、帰宅時間が遅くなる可能性はある。真友まゆ富沢とみざわから送られてきたメッセージの内容を思い出し、眉を寄せる。だが、護衛もついて来てるというし、自分も離れないようにしていれば。


「よし、いこ!」

「うん」



 千葉区の大きな紳士服専門店の一画に、タイピンやカフスボタン等をまとめたコーナーがあり、二人はそこに足を向けた。


「色々あるね、これ可愛い」

「流石に、クマちゃんはダメでしょう。付けてるのを見たくはあるけど」

「これは?」

「ちょっと材質が安物過ぎるね。あの人これから偉くなりそうだし」

「うーん」


 数がたくさんありすぎても結構迷うもので、ああでもないこうでもないと、二人はケースを見つめて時間を忘れて悩み続けていた。


「あっ、これ富沢とみざわさんのイメージ」


 清楓さやかが指し示したのは、シルバーの流線形デザインで、細い彫り込みのラインが入っているものだった。


「あらいいじゃない。品もいいし、シンプルだけど洗練されててお洒落な感じもする。四千円か……女子高生からのプレゼントとしてはちょっと高価だけど、一晩泊めてもらったなら、ビジネスホテル一泊分って事で丁度いいかも?」


 裏に文字を無料で彫ってもらえるサービスもあり、少女達は考えた結果、危険な仕事での御守りになるように、小さなクローバーの絵文字だけを彫り込んでもらった。


――お兄ちゃん、なんだか肝心なところで運が悪そうだし。


 と、真友まゆはひそかに思いもした。


 プレゼント用にラッピングをしてもらい、可愛い小さな紙袋に入れてもらって、清楓さやかはほくほく顔だ。後はこれをいつ渡すかだが。次はいつ会うかわからないから、持ち歩こうと思う。何故だかいつも突然だったから。そういえば、返答はなかったけど、どうしてあの時彼はあそこで息を切らしていたのだろうと……。


 すっかり日は暮れて、周囲は真っ暗だった。


「いけない、遅くなっちゃったね」

「……今夜、清楓さやかの家に泊めてもらってもいい?」

「うん、いいよ」


 地方の店舗は、車を使って来店する事がメインなので、彼女達のように駅から歩いて来る客は少ない。

 真友まゆは、後悔していた。二人での買い物が楽しくて、時間を忘れてしまったが、人気のない暗い道を歩く羽目になったのは失敗だ。


 なんとなく後方から気配がする。それが護衛としてつけられた者の気配なのか、清楓さやかに危害を加えようとする者なのか判断がつかず、緊張が続く。

 清楓さやかも少し、緊張したような表情をした。


「ねえ、誰かついてきてない?」

「同じ駅を使う人かしら」


 街灯の下で、二人はいったん立ち止まった。

 すると後の気配も立ち止まる。少女達は顔を見合わせる。

 真友まゆはクリップフォンを見て、富沢とみざわからのメッセージを再確認する。


――護衛は三人。合図はライト三回点灯。


 彼女はクリップフォンをライトモードに変えて、後方に点灯させた。

 反応がない。

 ぱっと清楓さやかの手を掴むと、走り出す。


「早く駅に行きましょ」

「うん」


 後ろの気配も駆け出した。

 そして前からも。

 二人は角を曲がって、挟み撃ちを避ける。


 突然、清楓さやかの手が、真友まゆから離れた。

 彼女の首に腕をかけ、持ちあげる大柄な男。足音がしなかった。真友まゆは瞬時に、その男がテレポーターだと気づくと、護身用のスタンガンを最大出力で、その男の首を狙って叩きつけた。男は気絶し、真後ろに、どぅっという音を立てて倒れ込む。転倒に巻き込まれた清楓さやかは尻餅をついた。


「あいたっ」


 再度、真友まゆは彼女の手を引き立ち上がらせ、走り出す。

 まだ多数の気配が、後ろから殺到してくる圧を感じた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る