【後日談】 ライザ

 

 ライザは豊かな胸を乗せるように腕を組み、見せ付けるように胸を張った。目前には、かつて付き合っていた男がいるのだが誘惑のつもりは一切ない。


「バカだバカだと思っていたけど、ほんとバカね」

「三回もバカって言ったな」

「はぁ……なんでこんな情けない男を、取り戻そうと躍起になっていたのかしら。腑抜けすぎるわ」

「俺に犯罪行為に及べっていうのか?」


 苛立った様子で眼鏡を外すと、白衣の裾で拭く。


「そっち方面じゃなくても、色々あるでしょう? あの子が可哀相だわ」

「だが、ここに来たのはあいつのためだ」


 眼鏡をかけなおし、パソコンに向かう。シッシと手を振って、女を追い出そうとするが、彼女は動じず青い瞳をすっと細めて軽蔑の目線を送り続ける。


「高校も三年生になると、受験の準備であちこち出歩く事も多いでしょう? 塾や説明会で、他校の生徒と一緒になる事も多いし」


 ツカツカと歩み寄り、男の耳元で不安を煽る。


「あの子、女の私から見ても、結構可愛いわよ。他の男が放っておくとは思えないけど?PSI管理局サイかんりきょくにも、一人ばかりいたんじゃなくて?」

「うるさいな」


 心配がない、と言えば嘘になる。

 お嬢様育ちのせいか、危機感が薄い所もあるし。そこに窪崎くぼざきも付け込んだ部分があるから。同じことをする”悪い虫”がいないとも限らない。


「毎日、連絡してる?」

「う……」


 日本にいた時から彼は筆不精気味で、メッセージも自分の気の向いた時だけ送り返事もそんな感じだった。

 あの日、寂しいと泣いた彼女の事を思い出してしまう。


 不安げに顔を曇らせた男の顔を見て、ライザは満足げに笑った。


「そんな表情も、するようになったのね」

「保護者みたいな顔をするのはやめろ」


 ライザはニコリと意味深な笑顔を向けた。


 かつては子犬のようだった彼。

 大学で、女王様だったライザ。


 男は皆、かしずいた。欲しいと言えば何でも手に入り、何処かに行きたいと言えば、車が手配される。

 それが当たり前になりすぎて、つまらなかった。


 そんな毎日の中、日本から留学して来た一人の男子。ボサボサ髪の瓶底眼鏡。研究オタクっぽくて、あまり周囲と親しくはしていなかったようだった。そんな彼がある夏の日、重い資料を抱えて歩いている所に遭遇し。

 汗が散る、眼鏡を外す、汗をぬぐう。その姿が、なんともかっこ良くて、変に色っぽかった。髪型と眼鏡のせいでイマイチなビジュアルに見えているだけで、顔立ちが良いという事に、その時に気づき。周囲と比べれば細身ではあったが、体格も悪くはなく。


 自分好みに育ててみたい。

 彼女はそう思ったのだ。

 ライザから異性に声をかけたのは初めてだった。

 真っ先に彼の目線が、自分の胸に向いたのは気にはなったが。


 あっという間に懐いてくれて、「先輩、先輩」と、後をついてくる。髪型を変えた方がいい、眼鏡は外した方がいい、そういうアドバイスに素直に従ってくれるところも、可愛かった。

 最初は、ペットのような感覚だったのに。


 頭の良さ、才能、それにビジュアルの良さが加われば、当然他の女だって黙ってはいない。いつしか彼は女の子に囲まれるようになっていて。そうなっても、自分の姿を見つければ駆け寄ってくれる。それが優越感を持たせてくれた。

 だけどいつしか、立場は逆転する。


 元来の彼の性格がそうだったのか、自分がそうさせてしまったのか。

 やがて彼の方が、ライザを振り回して来るように。

 その頃にはすでに彼を失いたくなくて、素直に我儘に従った。


 意地悪そうな笑顔で、自分を引っ張り回す。

 振り回されているうちに、周囲にいた他の男達が、一人、また一人といなくなって行く。でも、マサさえいてくれたら、それでいい。そうとまで思っていたのに、手から砂が零れおちていく事に、恐怖も感じた。


 そうなるように仕向けられたとも思えて怖くなり、必死で、離れる他の男達を繋ぎ止めようとしてしまったのだ。形振り構わず……。そんなライザに対して、彼も思う所があったのだろう。


 突然の告白。

 ”接触テレパス、Bランク”。

 大抵の心が、すんなり読めてしまうその力。

 触れあっていたあの日々が、すべて不安に置き換わった。

 ずっと読まれていたのかもしれない。そう思うと恐ろしかった。

 

――私が彼を怖がっている事を、知られたくない。


 伸ばされた手を反射的に振り払うと、彼は今まで見せた事がない傷ついた顔をした。

 

 久しぶりに、自分が主導権を握ったと、そう感じた瞬間だった。


 だが当然、そんな風になってしまった関係が上手くいくはずはない。彼は自己中心的な態度を隠さなくなったし、ライザも窪崎くぼざきを、他の男達と同列に、利用すべき相手と割り切った。

 

 こんな性格の男、他の女ともうまくいくはずがない。

 少々邪見にしても、自分から離れたりはしないだろう。

 そう思っていた。


「人の顔を見て、にやにや笑うな」


 憮然として眼鏡をかけなおしている男を見ると、笑いが止まらない。


「まさかあなたが、自分を抑えられるとは、ね」

「あ?」


 女の態度に、窪崎くぼざきは怪訝そうに首を傾げた。


「あなたが、私に懐いていた理由。最近やっとわかったわ」


 本人は今も自覚がないようだが、彼の根底にあったのは”母親のような存在への甘え”。


 接触テレパスは、人と距離を置かれがちだ。

 誰しもが、自分の心を読まれたくはないと思うから。

 それは、赤の他人に限らない。


 彼は六歳の時の検査で、接触テレパスBランクが判明した。その日から母親は、我が子を抱き上げる事も、手をつなぐ事もしなくなってしまったのだ。幼い子供にとっては、衝撃的で理不尽でしかない。

 甘えようと手を伸ばし、振り払われる日々。

 友達も、どんどん離れて行ったし、新たにできる事もなくなった。

 やがて、自分の能力を秘密にするようにもなる。

 誰にも頼る事ができず、一人で生きていけるように、ひたすら心を鍛えるしかなかったのだろう。自分だけが全てであって、他人の事など基本的にはどうでもいい。力も人も、利用する対象なだけ。一人で生き抜いてみせる。それが彼の処世術だった。


 リミッターという超能力を制限するための機器開発に、全力を傾けるのも、そういう過去からであろう。


 そんな彼が、自分の事を誰も知らないアメリカに来て、初めて甘えられる存在を見つけ、心行くまで子供に戻り、過去の自分を慰める。その対象が、たまたま声をかけてきたライザだったというだけなのだ。

 やたらと体の関係を持ちたがるのは、ただ単に、人肌の温度が恋しいだけであるようにも思う。


 窪崎くぼざきは、ライザの事を愛していると、かつて言ってはいたけれども。あれは、愛や恋というものでは、なかったのだ。


 だが、今の窪崎くぼざきは、恋する男そのもの。慣れておらず、気遣いやスマートさは欠片もないけども。その不器用さも、なんとも魅力的に思えるから、なかなか罪な男であるな、とも思う。


「とにかく、連絡ぐらいはこまめにしなさいよ?」

「……わかった」


 時計を見て、ぱっと時差を計算すると、彼が電話をかけはじめたので、ライザはふっと笑って部屋を出る。そんな彼女に向かって、一人の男が駆け寄って来るのが目に入った。

 体格が随分と良いその男は、元海兵隊員という異色の研究者で、現在のライザの彼氏……先月婚約したところである。

 今回のAランク用リミッター開発の協力者でもあった。


 いつも沈着冷静なその彼が、かなり慌てて走って来たのだ、流石のライザも表情を改める。


「ルーク、どうかしたの?」

「大変だ、どうも日本の方で情報が洩れていたらしいぞ」


 彼は懐から取り出したクリップフォンを使って、数枚の書類を表示して彼女に見せた。それを見て、ライザは眉をしかめる。

 書類にはヴィルケグリム症候群に関する記載、その研究結果、対策の他……利用方法……? 利用!?


「こんな事、何処の国がやるというの、非人道的過ぎるわ」

「あるだろう、数か国ほどだが」


 彼はあえて国名を口にはしなかったが、国力増強のために手段を選ばない国はある。国民を使っての人体実験をやっているという噂がある国は、実際やっているのだろうと、容易に想像がつく。


「ヴィルケグリム症候群患者の脳細胞を、健常者に移植して、Aランク超能力者を人為的に作るつもりなの……?」


 治療のための理論と技術を、逆方向に使おうというのだ。とんでもない事である。だが、Aランクの超能力者は、どの国も躍起になって欲しがっているきらいがある。


「例の女の子、患者としてはかなりの特殊事例だろう? もしかしたら危ないかもしれない。あのレベルの悪化状態で、まだ寝たきりじゃない患者なんて他にいない」


 清楓さやかは重症患者でありながら、暴走事故も起こさず無意識に制御しており、日常生活を送っている。そんな彼女に、某国が興味を持ったら……?


「マサ!!」


 彼女は踵を返して研究室のドアを勢い良く開けたため、電話中だった窪崎くぼざきは、椅子から転げ落ちそうなほど驚いた。


「な、なんだ!?」

「ちょっと電話、切って!」

「おまえが連絡しろって言ったんじゃないか」

「いいから早く!」


 あまりの剣幕に、彼は電話の相手に、後でメッセージを送ると伝えて、慌てて電話を切った。



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