第4話 月光に照らされて


 通報を受けた警察車両が、次々と雑居ビル街に到着する。


 警察官に導かれ、エレベーターの中で倒れる金髪の女性に窪崎くぼざき富沢とみざわは駆け寄った。


「ライザ! 清楓さやかは?」


 富沢とみざわが彼女を抱き起こしながら叫ぶように問う。

 激しく抵抗したらしく乱雑に殴られた痕跡が痛々しい。折れた肋骨が肺を傷つけ、苦し気に喘ぐライザは声を出す事ができないでいる。

 彼女は必死に、窪崎くぼざきに向かって精一杯に手を伸ばした。



 彼女から、彼に向かって。



 男は女が何を望んでいるのか理解し、その手を取った。


――清楓さやかは意識がなかった。連れて行かれてしまった。

 ごめんなさい。


「ライザ……」


――あいつらは、強化用の薬剤を、あの子に使って、

  Aランクのデータを取るつもりみたい。

――あんな薬を使われたら病気が悪化してしまう、早く助けに行って。

  場所は……。


「わかった、後は任せろ」

窪崎くぼざき、そうかおまえは接触テレパスだったか」

「奴らは二つ路地向こうの雑居ビルの三階だそうだ、急ごう」


 ライザを救急隊員に任せ走り出す二人に、長い黒髪の少女も駆け寄って来た。


「私も行くの!」


 男二人は顔を見合わせたがここまで来たらもう一緒に行くしかなかった。


「わかった、ついて来い」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 三人の白衣の研究員は、とにかく慌てていた。


 外に二人の用心棒風の屈強な男が見張りに立って叫ぶ。

「おい、急げ! サイレンが聞こえるぞ」

「データ送信の準備は出来た」

「よし、つなげ」


 椅子に座らされたぐったりとした少女は色々なセンサーを付けられた状態で、髭面の男の手によりその首筋に薬剤の入った注射器が当てられた。プシュっという圧縮された空気によって、薬剤は注入される。


「変化はないな」

「まだか」

「あ、脳波が動いたぞ」

「よし、リアルタイムで送信しよう、貴重なデータだ」

「逮捕されても、出所後に続きがやれれば問題ない。ここまで来たらせめて、データだけでも取っておかねば」


 しかしそんなマッドった科学者サイエンティスト達の耳に、カタカタと小さな振動音が聞こえ始めた。


「ん? 何だ」


 機械類が次々とエラー音を発し始め火花が散り、振動が増す。流れるデータの数値が乱れ乱降下を繰り返し、あり得ない数字を叩き出して停止した。


「おい、ちょっと、これは」

「やばい、焼き切れた、送信が途絶えてる」

「に、逃げよう」

「は?」


 機器に目を向けていた眼鏡の男が少女の方を向いた時、大きく空間が湾曲しているのが目に入った。四角いはずの部屋が渦巻くように歪んで見える。


「な、なんだ」


 少女の虚ろな瞳が開く。

 次の瞬間、圧縮された空気が再び解放されたかの如く少女を中心として全てが爆音と共に吹き飛んだ。


 その音はガス爆発に似ていただろうか。


 吹き飛ぶ壁とガラス、四階建てだったそのビルの最上階と屋上は粉々の瓦礫になって散り、破片は周辺のビルに乱雑に撃ち込まれた。


 このビルに向かっていた警察官と三人は慌てて地面に伏せて難を逃れるが、しばしその状態で動けない。


 粉塵が僅かに風で流れ周囲に瓦礫の小さな破片がパラパラと落ち、時折、踏みとどまっていた割れたガラスが力尽きて落ちカシャンという軽い音がする。


「何だ今のは」


 焦りをもって顔を上げた男達の目には、上層部が砕け散って剥き出しになった三階の部屋。そこにぼんやりと立ち尽くす少女。


 立ち尽くすというか空間が歪んで捻じれ、少女の体をその場に浮遊させていた。



 月夜。


 満月。


 その姿は月に重なり美しい影絵のよう。


 歪んだ空間に光はランダムに屈折し、宗教画や仏像の背後に表現されている光輪とはまさかこれの事だったのかと思わせる様相を見せていた。


「これがAランク? 暴走なのか……?」


 冷え切った夜は静かで先ほど散った破片が崩れるようなパラリという音だけが響くように聞こえ、異様な景色がほぼ無音の中にある状態は現実世界の出来事ではないようだった。


 虚ろな瞳はこの世界を見ているようには思えない感じで、意識も感情も無く、ただその見えない腕を宛ても無く藻掻かせ続け、所在なさげに周囲の空間を渦巻かせ続ける。


 その光景が、力を蓄えているようであって。


 再び、

 いや、


 先ほどより大規模な破壊がもたらされるような、そんな予感をさせた。


 富沢とみざわは静かに銃を抜き、構えた。銃口は清楓さやかに向けられる。



 危険な高ランク超能力者の暴走には、射殺という選択肢。



 彼は常に、職務に忠実である。

 非情なまでに……真面目過ぎる公務員。


 親友に銃口が向けらえた事に気づいた真友まゆが、その腕に掴みかかった。


「やめて、何するの!」

「すまない、これが仕事なんだ」

「そんな事、絶対させないんだから!」


 真友まゆはその銃に手を伸ばす。清楓さやかを守りたい気持ちと、富沢とみざわにそんな事はさせられないという両方の感情だった。


「こら、だめだよ、危ないから!」


 次の瞬間、彼の銃はその手から消え去っていた。

 真友まゆが物質テレポーターであることを思い出す。

 

「あっ」


 一瞬唖然としたが、同時にほっとした。これで自分が、彼女を撃たなくて済むという安堵。


「手錠を貸してくれ、リミッター付きのやつ」


 それまで無言であった窪崎くぼざきは目線を清楓に向けたまま、右手だけを富沢とみざわに差し出す。


「こんな物で、あの状態に効果があるだろうか」


 そう言いながらも、手錠を窪崎くぼざきの手の上に置く。彼はそれを左手に持ち替えるとポケットからいくつかの機材を取り出し、その場で改造を始めた。PSI管理局サイかんりきょくや警察で使われている手錠のリミッターは、春日部超能力研究所の開発品である。当然、そこの研究員であった窪崎くぼざきは構造を熟知しているし、基本システムは彼が特許を取っていた。


 ひとしきりいじり終えると使い終わった機材を地面に投げ捨て、彼は一人でビルに向かって行く。


 再暴走を警戒する警察官が少女に向けて銃を構えるのを富沢とみざわが手で制した。


「彼に任せよう」


 真友まゆ富沢とみざわの腕にしがみつき、窪崎くぼざきの後ろ姿を心配そうに見つめしがみつく腕に力を籠めた。


 男はヒビ割れた階段を注意深く上がる。

 空気が振動し、肌にピリピリと刺さるようだった。

 空間が歪む音は遠くで大地震が起きた時のような、大地の深淵からわき出すゴゴゴという振動を伴った音に似ていて本能的な恐怖心を煽って来る。


 三階まで上がると空間のゆがみの規模は大きく、光が屈折し現実感のない風景を描き出していた。景色がまるでフォトレタッチソフトで加工されているかのように見える。

 清楓の、念動力テレキネシスとテレポートという能力の融合によって、このような事象が生じているようだった。


 強力な重力を無視する力と空間と空間を湾曲して繋げる力。

 まるで、ブラックホールが発生しかけているかのようでもある。


 下からは光輪のように見えたそれは、間近で見ると蜘蛛の巣のようで、少女はそれに囚われた蝶のように弱々しく、儚い。


清楓さやか、今から行くから」


 心を籠めて優しく呼ぶ。彼女の意識があるのかどうかはわからないが、とにかく心を乗せる。彼は今日初めて自分がテレパスという超能力を持っていたことに感謝をした。自分の心を相手の心に、直接届ける事が出来るのだから。接触テレパスは触れなければいけないのだが、何故か今は触れ合っているという感触があった。体ではなく心が直接触れ合っているように思えてならない。


 心という物は、この次元のものではないのかもと思った。


 今のこの場は何次元もが重なり合い、ねじれ合う通常では生じえない空間と化していたのだ。


 耳への言葉は横切ってしまう事があるが、心から心への言葉は素通りしない。


 心の声は、心が直接受け止めてくれるのだ。


 どんな力も使い方次第。彼はそれを改めて感じた。


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