第3話 満月


 深夜になって清楓さやかは目を覚まし、冷たく固いベッドからゆっくりと体を起こすと、椅子に座りベッドに突っ伏している金髪の女が足元に見える。

 少し首が苦しくて手を持っていくと、そこにはベルト状の物が巻かれていてびっくりしてしまった。


「あれ? 何これ」


 少女が思わず声を出したのでライザはゆっくりとその体を起こし、少女を見た。


「あら、お目覚め? お嬢ちゃん」

「ここどこ?」

「さぁ、どこなのかしらね」


 女が酷く疲れた顔をしているのが気になる。


「どうして、私とあなたはここにいるの」

「どうしてかしらね……」


 女はゆっくりと立ち上がると少女の枕元まで歩み寄り、ベッドの端に座り直すと少女の顎にぐっと手をかけた。


「あなたなんかの、何処がいいのかしらマサは」


 少女はその手を振り払うと、キッとライザを睨みつけた。


「あらあら、可愛い顔をして、結構、気は強いのね」

「何でこんな事をするんですか」

「もう、わからないわ」


 ライザの青い瞳に哀しみが宿る。


「なんでポ……じゃなかった、窪崎くぼざきさんに触れてあげなかったんですか」

「接触テレパスなんて怖くて触れないわよ」

「怖い?」

「心を読まれるのよ?」

「読まれて困るような事ばかり考えてるんですか?」


 女はものすごく驚いた顔をした。


「そうね……何が怖かったのかしらね。彼が接触テレパスであると知る前は、あんなに触れ合っていて、それで何も問題なかったのに」


 俯きがちに、静かに彼女は過去に思いを馳せているようだった。


「ずっとチヤホヤされて、いろんな人に褒めてもらって、自分には才能があるとずっと思っていたわ。たくさんの賞も貰ったし、特許もいくつか。このまま、そういう自分でいられると思ったのよ」


 女は清楓さやかに目線を向ける。


「でも、どんどんそういう事は無くなっていって、焦っちゃったのね。必死に元の世界を取り戻そうとして、失敗して。そもそも砂上の楼閣だったのだもの。失敗した所から逃げ出したら、ここまで来てしまった。後戻りも、先に進む事も、逃げる事も出来ない所まで」

「あなたもここに、閉じ込められてるんですか?」

「そうみたい」


 清楓さやかはベッドから降りると窓に近寄ってみた。

 開けられないタイプのはめ込みのガラス窓が黒く塗りつぶされている。外は一切見られない。明るいのか暗いのかさえ。


「今、何時なんだろ……」


 とりあえずベッドに戻って来たが、この部屋には椅子が一脚とベッドが一台しかない。広さは十畳ぐらいだろうか。


「寒い……」


 暖房は稼働しておらず冬の夜は随分冷え込んで来ていた。ガランとしたコンクリートの壁紙すらないこの部屋は、気づけば吐く息すら白く見える冷え込み具合だった。一応、上着は着ているが。


「こっちにいらっしゃい、お嬢ちゃん」


 呼ばれて清楓さやかは恐る恐るライザの隣に座ると、女は少女に寄りそうように座り直し、自分の上着の中に彼女を包み込むように入れた。


「毛布の一枚でも置いて行けばいいのに、どいつもこいつも気が利かないったら」

「あの、ライザさん。私、清楓さやかって言います」

「可愛い名前ね、あなたに似合ってるわよ」

「ありがとうございます」

「本当に素直ね、そういう所が良かったのかしら」


 こんな小娘に負けてなるものかという、ライバル心と嫉妬心が薄まると、少女の愛らしい顔立ちとこの素直な性格は、ライザにとっても好ましく感じるものだった。言うなればこういう妹がいてもいい。そんな気さえする。

 あの自己中と言ってもいいほど強引な窪崎くぼざきが、この少女には心を砕いており我を押し通そうとはしていなかったように思う。

 自分は彼から逃げ出したが、この子は彼に飛び込んだ。

 この子はあいつの欠点を見事に変えたのだと思うと、負けを認めるしかなかった。


 薄暗い部屋のせいかと思ったが改めて近くで見ると、やはり少女の顔色が悪く体調が悪そうに見えた。


清楓さやか、具合が悪いの?」

「少し……」


 あいつらの話では、この子はヴィルケグリム症候群の重症患者。超能力の多用は脳内出血を引き起こす危険性を孕んでいる。それなのに今から奴らがこの子にしようとしている事は……?


 その時ガチャガチャと音が聞こえ、ドアの鍵が開き三人の白衣の男達が機材をいろいろと持ち込んで来た。


「さぁ来い」


 清楓さやかは腕を強引に引かれ無理やり立ち上がらされると、機材の傍に置かれた丸椅子に座らされた。ライザも慌てて立ち上がると、男と少女の間に割って入り叫ぶ。


「今、この子は体調が悪いのよ。こんな時に取ったデータなんて意味ないわ」

「お前が決める事じゃない!」


 ガッと鈍い音がして、殴られた女は床に倒れ込んだ。瘦せ型のいかにも研究者という感じの男なのに、なかなかの腕力であった。普段から重い機材を扱っているからであろうか。


「ライザさん!」


 立ち上がろうとした清楓さやかは、再度押し付けられて座らされる。

 倒れた女の目線の先に開きっぱなしの扉が見えた。


――今なら。私一人なら、逃げ出せる。


 男達が暴れる清楓さやかを押さえつけ注射器の準備をしているのが見えた。少女が激しく抵抗するので男達はそれにかかりきりで、ライザの方を一切見ていない。


――逃げるんじゃないわ、そうよ、助けを呼びに行くだけよ。


 そう言い聞かせながら、扉だけを見てゆっくりと立ち上がる。


――……!


 立ち上がって走り出すと機材を次々と押し倒し、少女の手を取って扉に走った。


「うわっ何をする、なんて事を!!」


 男達は反射的に高価な機材の転倒に気を取られ慌てて起こそうとしてしまったため、女達を追いかけるのが出遅れた。


 必死に走り階段を駆け下ると、そのまま建物の外に飛び出して路地に逃げ込む。

 路地の暗がりの中ライザは清楓さやかのヘアピンを一本抜き取ると、首に付けられたリミッターを外し始めた。このリミッターを開発したのは彼女。弱点も取り外し方も熟知していた。数分で外し終え、それを投げ捨てると少女の手を引き更に路地の奥へ。


 しかし少女がふらつき、足がもつれ始めていた。


「もう少し頑張れる?」

「ライザさんだけで、逃げて」

「あいつらの目的は清楓さやかなのよ、置いていけないわ」


 男達が走り寄って来る音がする。

 ライザは近くの適当なビルのドアに手をかけ、清楓さやかと共に滑りこみ息を潜める。

 少女はもう走れる状態ではなさそうだった。何とか警察に通報し、出来るなら救急車も呼びたい。

 法律により一定の間隔で今も公衆電話が災害用に配置されているが、そこに行くと真っ先に見つかってしまいそうな気がする。 

 周囲に目を向けるとエレベーターが見えた。


「あそこまでがんばって」


 清楓さやかに肩を貸してなんとかエレベーターの中に入ると、すぐに扉を閉めて故障時に使う管理会社に直通になる緊急用のボタンを押す。

 即オペレーターに繋がってライザはほっとした。


『どうされました? 閉じ込めですか?』

「すみません、警察に通報を。清楓さやかという名前の、誘拐された少女を保護して、今、犯人から逃げてここに隠れています」


 オペレーターが息を飲んだような間を作った。


『わかりました、通報します。警備員も向かわせます』

「お願いします」


 ライザは、はーーっと息を吐いた。そして清楓さやかの方を見る。

 少女はぐったりとして床に身を横たえていた。


清楓さやか!?」


 叫んだのと同時にエレベーターの扉が開く。

 扉の外にいたのは警備員ではなく、研究員達であった。

 ここに逃げ込む姿を見られてしまっていた……。


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