第三章 藁と木とレンガ

第1話 強奪事件


 二学期最後のテストが終わった。


 テストの日は早めに帰宅出来るが、家が楽しい場所ではない清楓さやか真友まゆは校舎を出てすぐの場所で、下校していくクラスメイトに手を振って見送るようにしながらだらだらと立ち話をしていた。


「そういえば、柏ひなつこども病院って、まだあの変なマスコットキャラを使ってるのかしら?」


 会話の最中にふと思い出したように、真友まゆ清楓さやかの祖父が経営する病院の事を口にした。


「タヌキの事?」

「あれってタヌキなの?」

「ずっとタヌキだと思ってた」


 病院には丸い体型で黄色の理解しがたいデザインの動物マスコットキャラがいて、大きな像が玄関前にあったり壁に描かれていたりした。可愛いのか可愛くないのか判断に困るキャラクターで、一応は有名な絵本作家のイラストらしいが、子供には不人気で大人も苦笑するしかないという代物しろものである。


「久しぶりに見に行く? まだ入り口にあったよ」

「行ってみたいわ、ちょっと記憶が曖昧だし実物を見なきゃ」

「いっそのことあれが何か、坂崎さんに聞いてみよう」

「坂崎さんって事務の人よね、まだいるんだ」

「もう、病院の事務局では、偉い人になってるよ」


 坂崎とは先日、清楓が祖父に急な訪問をした時に会った年配の女性である。


「会いたい! よくお菓子をくれたわよね」

「本当はダメだったらしいけどね~」


 二人は顔を見合わせて肩を竦めながら笑う。病院の食事は味気なく、彼女が事あるごとにこっそりくれるクッキーやチョコレートは、子供達の秘密の楽しみだった。クリスマスの夕食にケーキを付けるように交渉してくれたのも彼女だ。二人にとってはお母さんと言っても良い存在。優しくて、温かくて、時に厳しくて。思い出すと本当に会いたくなってしまう。


「よし行こ!」


 真友まゆは迎えの車を帰し、二人は駅に向かって歩き出した。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 学校から目的地までは電車の乗り継ぎが多く、日が傾いて来ていた。学校帰りの子供の通院が増える時間帯で、忙しい時間に来てしまったかも?と二人は若干の後悔をし、マスコットを見てその後で事務の人達が忙しそうなら声をかけずにそのまま帰ろうと言いながら、清楓さやかの祖父の経営する病院に到着した。


 二人は得体の知れないマスコットを玄関前で見てひとしきり笑った後、病院の裏手に回り込み事務局に行こうとしていたが、切羽詰まった女性の悲鳴が聞こえた気がして、二人は顔を見合わせた。ほぼ同時に、裏口から駆け出してきた黒ずくめの男と真友まゆがドカッと音を立てて強くぶつかる。彼女は不意の衝撃によろめいて尻餅をつき、ぶつかって来た男も転倒しかけて持ち物の一部をばらまいた。

 それは清楓さやかにとっては見慣れた、カルテのデータディスク。


「え!?」


 清楓さやかはそれを見て、思わず声を上げた。

 二十台後半ぐらいに見える男は、手早くそれを拾い集めてバッグに入れると再び走り出す。

 それを追うように数人の職員が口々に、止まれ! と口々に叫びながら飛び出して来るのが見え、あの男がデータディスクを奪ったと彼女は知る事になった。

 厳重な施錠がされる深夜より、事務員や職員の忙しい時間を狙っての強奪。用意周到な計画であると咄嗟に思う。


真友まゆ、私、あいつ追いかける!」

「えっ、ちょっと、清楓さやか!」


 尻餅をついたままの真友まゆが引き留める間も無く、清楓さやかは通学カバンを投げ捨てて先ほどの男を追いかけて走った。

 男は逃走手段としてバイクを用意していたようだが、丁寧に盗難防止ロックをかけていたらしく、そのロックを外すのに手間取っていたところ、少女に追いつかれてしまい慌てふためく。冷静に考えれば、女子高生一人ぐらいどうにでもなりそうだったのだが、思いのほか早く追いつかれた事でパニックになったのか、バイクを諦めて徒歩で逃げる事にしたようで再び走り出した。

 清楓さやかは運動が苦手ではあるが身軽であったし、若さという武器もある。男も息が切れているし、捕まえられなくてもせめてデータディスクだけでも取り返したかった。


 通報を受けたのか、遠くからサイレンの音が聞こえて来る。だが警察には、今のこの男の位置はわからないだろう。現在のところは清楓さやか一人が、男の位置を把握している感じだった。

 男も、少女も、この付近の地理には詳しくはなく、建物や塀に阻まれなかなか距離が詰められないし、引き離される事もないという絶妙さ。少女はカバンを置いて来た事を後悔した。携帯電話はカバンの中なのだ。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 夕焼けが対面のビルに反射し、東側の局室を赤く染めつつある時間。


富沢とみざわ、今日は五時になったら帰れよ!」


 局長の時田が働きすぎの男に声をかけ、富沢とみざわが苦笑でそれに応えていたところ電話が鳴り、それを局員の一人が手早く取るとすぐに二人の上司にその内容を伝えてきた。


「柏ひなつこども病院で、カルテ盗難だそうです。Cランク以上の子供達のカルテらしくて」


 超能力者が関わる事件には、局員を現場に派遣する事になっている。局長の時田が局員に出るように伝える前に、富沢とみざわが上着を掴んで出て行くのが目の端に見えたので、慌てて他の局員に声をかける。


「吉田! 笹山! 富沢とみざわについていけ」

「はい!」

「うぃっす」


 二人の男性局員が慌てて富沢とみざわを追いかけて行った。


「佐々木、場所の詳細を富沢とみざわに送ってやれ」

「はーい」


 元気に返事をする若い局員の間延びした声を聞きながら、今日も残業する気満々の、働き過ぎる男に時田は嘆息した。


「人事委員会に怒られるのは俺なんだが」


 窓から見える向かいのビルの、太陽の反射の眩しさに、目を細めるしかなかった。


 

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