第4話 医師と少女


 自宅マンションに、足を向けかけた清楓さやかだったが、ふと足を止めた。

 包帯を買い忘れた事もあったが、やはり家にいる怪我人には病院で処方される薬が必要なのではないかと思ったのだ。

 彼女の祖父は医師。両親亡き彼女は、現在は彼の養子となっているため、戸籍上は父親となっているが。

 

 清楓さやかの母は看護師で、彼女を産んですぐに亡くなってしまっている。原因は知らされていないが、出産は今でも命がけである。

 自分を産んだがために母が失われたせいか、医師であった父は彼女に冷たかった。毎日のように病院に当直し、清楓さやかは立派な邸宅の中、祖母と使用人に育てられたようなものだ。

 そして父は、彼女が六歳の頃に事故死したと聞いている。家族で出かけた事が無い事もあって写真もなく、今は顔すら思い出せない。


 祖父も病院に住んでいるような人で、滅多に会う事はなかった。

 今も、生活の資金援助だけをしてくれているような状態で、入学式や卒業式のような学校のイベントで姿を見た事もなく。

 真友まゆもそんな感じだったから、傷を舐めあうという言い方は良くないが、お互いを慰め合っている所がある。


 そんな祖父ではあったが、毎晩メッセージは送っている。どんな深夜であっても、いつもすぐに既読マークが付くのだ。彼からの返事やメッセージは滅多にないが、全く気にかけていないわけでもなさそうではあった。

 そんな祖父に、今日は初めて甘えてみようと思い立ったのである。


 駅に戻ると、何度かの電車の乗換の末、祖父の経営する病院にたどり着く。個人経営とは思えない大きな病院で、祖父は院長。婿養子だった清楓さやかの父を失ってから彼女を養子としたものの、特に跡継ぎとして育てようとは思っていないようで、進路や将来について何かを言われた事はない。


 昔、入院していたこともあり勝手知ったる病院。

 裏に回り込み、事務局の方に顔を出す。


「まぁまぁ!! お嬢様じゃないですか!!」


 事務局の一番立派な机と椅子に座った年配の女性が、慌てて駆け寄って来た。


「お久しぶりでございますわね、まあ大きくなられて」


 本当に懐かしそうに、愛おしそうに彼女は清楓さやかの髪を撫でる。


「おじい様にお会いしたいけど、会えるかなあ?」

「それはお喜びになりますよ、内線を入れておきますから直接院長室へどうぞ」

「ありがとう」


 年配の事務局員がポケットに入れた小さなマイクを使って、連絡を入れているのを背で聞きながら、事務局の裏手にあるエレベーターに乗った。


 エレベーターの扉が開くと、廊下を挟んですぐに院長室の扉。その脇のボタンを押して、彼女が名前を告げると扉が音も無く開く。


 本棚とキャビネットで埋め尽くされる、圧迫感のある部屋。院長室というより、まるで研究所のようでもあった。

 その奥の机に、一目で頑固だと見て取れる、シワを刻んだ白髪の男が威厳たっぷりに座っている。


「お久しぶりです、おじい様」


 男は孫娘の急な来訪に驚きもしないが、喜んでいる様子もなかった。表情を全く変えずにただ椅子に座り、机に肘を置く。


「何の用だ?」

「えっと……」


 甘えて、窪崎くぼざきのための薬を処方してもらえないか相談するつもりだったが、そのようなあからさまな不正を許す人ではないと、改めて感じた。お小遣いでもせびった方がまだマシな感じがする。


「友達との予定が無くなって暇になったから、顔を見に来ただけです。だめでした?」

「先に連絡を入れるべきだったな」

「あっ……」


 しょんぼりと気分が沈む。家族に会うのにも、予約アポがいるのかと思うと、一気に寂しくなったのだ。

 彼女にとっての血縁は、最早この祖父のみなのだが。

 清楓さやかは扉の前に立ったままで、それ以上、足を踏み出す事ができずにいる。本来の用件が言い出せない以上、顔も見た事だしもう帰ろうと思った。

 しかし祖父は、溜息をつきながら、椅子から立ち上がると歩み寄って来る。近づいて、孫娘の頬に傷がある事に気付いた。


「この傷は?」

「駅前で超能力の暴走事故があって」


 彼女は慌てて右手でその頬の傷を隠した。祖父の目が僅かに細くなる。


「来なさい」


 拒否は許さないという口調で言いながら、彼は引き返すとそのまま机の後ろにあるキャビネットに向かう。清楓さやかは渋々という様子で後に続き、促されるまま椅子に座った。

 祖父は消毒薬と絆創膏を取り出し、手慣れた感じでちょいちょいと、その傷の治療を行う。


「お前は母の死についても、父の死についても、何も聞かないのだな」

「知りたいとは思うけど……」


 顔も知らない母、声すら覚えていない父。

 他人よりも遠く感じていた。

 あるのは好奇心だけ。

 真実を知りたいという欲求は、常に彼女の中にある。


「どちらも、超能力の暴走事故による死亡だ」

「え! そうなの?」


 祖父は、キャビネットに使用した道具類を片付けながら、淡々と事実を告げた。

 清楓さやかは、自分が生まれる時に何かをやってしまったのか? と思ってしまい、先ほど見た光景を再び思い出してしまう。だが、彼女は複合能力のためにCランクが付けられているのであって、個別の能力だけで言うならば、Dランク。辛うじて、超能力らしい超能力であるというレベルだ。

 人を傷つけたりできるものではない、はず。


「お前がやったわけではない、母親は自身の超能力暴走で亡くなったのだ」


 少女の思考を読んだのか、表情から見て取ったのかわからないが、彼女が知りたいと思った答えを祖父は語り、清楓さやかの返事を待たずに言葉を続ける。


「先に連絡を入れてくれれば、昼食の時間を一緒に過ごせたのだが」


 予想もしていない発言をされて、清楓さやかはびっくりしてしまった。祖父は机に戻り、パソコンに何らかを打ち込んでいる。


「これから学会の連中との昼食会に行かねばならない」

「あ、忙しいのにごめんなさい!」


 慌てて彼女は立ち上がった。

 祖父は少しだけ目線を上げる。


「その傷、泥が入っていた。清楓さやか、汚れた手でこすっただろう」

「……え?」

「薬を三日分出しておく、抗生物質と炎症止め」

「あ、はい?」


 シュッと音を立ててプリントアウトされた処方カードが手渡された。

 彼女はそれを素直に受け取ると、お礼を告げて院長室を後にした。


 それを見送って頑固そうな一文字の口元が、僅かに緩む。


「今は、塩を送っておくのもいいだろう。恩を感じる方だといいが」


 そう思いながら上着を手に取り、約束の時間に確実に間に合うように、出かける準備をテキパキ進め、少し早めの時間に院長室を出て行った。


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