第3話 離

 目が覚めたとき、俺は病院の一室に移されていた。17年間の冬眠処理から覚め、こちらで生活を始めるにあたって、さまざま準備が必要となるからだ。


 まず、眠っていた間は使っていなかった消化器官を活動させ、通常の食事をベースとしたエネルギー代謝をできるように徐々にならしていかなければならない。さらに、寝たきりだった体に筋力をつけ、心肺機能も上げなければならない。

 と同時に、こちら側で生活していくための世界観――生活習慣やマナー、各種電化製品の使い方や交通機関、金融・経済のシステム、政治、その他もろもろ――をゼロから学び直した。


 大まかな点は、17歳までの記憶と同じだが、微妙に異なる点もあった。施設の人間が言うには、技術革新の速度が上がっているため、俺が生きていた時代なら30~40年分、世界は進歩しているのだそうだ。そして、それらはテキストベースの学びでは十分に吸収することはできず、生活の中で少しずつ身に付けていくしかないのだそうだ。


 俺は政府が用意してくれた家に入居し、就くべき仕事の手配と調整が終わるまで数日間の待機を命じられた。その間に、交通機関の利用や買い物などの、日常生活に必要な事柄に慣れておくようにとのことだった。

 以前の家族と会いたいかと聞かれたが、会わないことに決めた。


 彼らが言うところの、現実世界は素晴らしかった――いや、まったく素晴らしいの一言だ。


 退院後、どの街を歩いても、街並みは美しく、歩く人々は美しく着飾って幸福そうに微笑んでいる。ただし、そのファッションセンスは俺の理解を超えたものだったが。


 ネットやテレビのニュースを観ても、犯罪はとても少ない。まぁ、当たり前だ。<馴染めない人々アンフィット・ピープル>がいない世界では、犯罪はほぼ皆無だし、それでも犯罪に手を染めたものは、すぐにあっちの世界に送り込まれるから再犯率はゼロなのだ。

 たまに起きる事件は、過失によるものだ。司法のシステムは大きく変わっていて、仕事内容はというと、こういった事故の過失責任についての調査と、こちらに来たばかりの<馴染めない人々アンフィット・ピープル>の監視くらいだ。


 そのため、ニュースの内容は季節の風物詩やどこそこの公園の紅葉が見頃を迎えたとか、動物園で珍しいアルビノのトラが生まれたので名前を公募するとか、そんな内容だ。


 そんな世界で、俺はジャーナリストの職を得た。今までとは異なる視点で、この世界でニュースとして報道すべきあれこれを記事にすることいるのだ。


 交通事故――といっても数は少ないが――、産業廃棄物問題、より生産性を向上するためのハウツー、政府による長期成長目標、社会的資源リソース不足への対応、などの社会問題。


 そして仮想世界ヴァーチャルと<仮想現実夢ヴァーチャル・ドリーム>の改善。これについては、大抵、他の事案の後回しにされていた。


 彼らが言うには、上級国民優遇政策トリクル・ダウンにより、こちらの世界が良くなれば、彼らがいる世界もその恩恵を受けることになる。なので、まずは自分たちのいる世界をより良くすることが優先される、のだそうだ。


 ある日、再びエックスが現れた。会社帰りに声をかけられたのだ。こちらの世界では、彼は地味なグレイのスーツに眼鏡という姿だったので、彼が自分から名乗るまでわからなかった。


「こちらでの生活はいかがですか?」

「悪くはないですね」


 それは、真実だった。

 職場環境はとても良かったし、みな、労働を楽しんでいるし、同時に適切な余暇も楽しんでいる。それがパフォーマンスを下げないコツだと、理解できるからだ。

 だからみな定時に仕事を切り上げ、その後の時間は自由に過ごしている。

 俺も表面上は職場に馴染んでいた。皆、穏やかな人柄でコミュニケーション能力も高いので、労働問題や人間関係のこじれなどもない。俺が少し前まで<馴染めない人々アンフィット・ピープル>だったことを知っても、少し気の毒そうな顔をするだけで、困ったことや不自由なこと、何か必要なことはないかと聞いてくれる。


「特に、困ったことなどは?」

「別段……ないですね」


 エックスは、俺と並んで歩きながら、話し続けた。

「余暇は何をして過ごしているのですか?」


 俺は苦笑しながら言った。

「取り調べですか? 図書館に行って読書することが多いです。17年間のタイムラグがありますから、努力して埋めるようにしていますよ。と言っても、つい懐かしくなって古典ばかり読んでしまいますね。最近読んだのはサリンジャーです」


「気を悪くされたなら、すみません。一応、確認をするのが、仕事なもので」

 俺は頷いた。彼らの仕事は犯罪予防という意味において司法とも繋がっており、彼は仕事としてそれを行っているに過ぎない。


「お仕事の方は、順調なようですね」

「なんとかやっていますよ」

「いや、なんとかなどと言うものじゃない。あなたの職場での評価は、素晴らしいものですよ。私が覚醒させた方々の中で、あなたは一番の成功事例です。成長が感じられます。

 正直、覚醒前のあなたに接触したときは、少し不安に思う部分もあったんですが、今のあなたを見ると大成功だったと」


 不安に思いながら、あんな強気なことを言ったのかと思ったが、口には出さなかった。代わりに、ずっと気になっていたことを質問してみた。


「なぜ、<馴染めない人々アンフィット・ピープル>を、現実世界リアルに戻す必要があるのですか?」

「想定外に現実世界リアルから零れ落ちる人が多いというのと、出生率が上がらないこと、つまり数の問題ですね」


「想定外? シンクタンクの予想が不正確なのですか?」

 俺は、職業的な好奇心から聞いた。これは記事にするべきかと思いつつ。


 エックスは、口の端を歪ませて、声を落として「つい口を滑らせてしまった。これは記事にはしないでくださいよ」と断ってから、こう話してくれた。


「シンクタンクの分析では、<進歩の早さ>が原因だということです。文明の発展、進歩の早さに比例して、零れ落ちる人の数が増えるという矛盾が生じている、とね。もう一つ考えられるのは、社会から求められる能力特性が変化するために起きる現象ではないかと。

 等級分けクラシファイの基準が可変的であれば、17歳の試練トライアル・オブ・セブンティーンの後も、<馴染めない人々アンフィット・ピープル>の認定を受ける人が出てくるのも当然だ、ということです」


「その揺らぎをカバーするために、人間を、こちらとあちらで入れ替える、と」


 エックスは頷いた。


「可変性をカバーするための、 緩衝材バッファーが必要ということのようですね」


 俺は、以前に見せてもらった、あの真っ白な体育館のような場所を思い出していた。あのずらっと並んだカプセル。その中で死んだように眠っていた俺自身の顔。俺以外の大勢の<馴染めない人々アンフィット・ピープル>。


 その後は互いに言葉を発さないまま歩き続け、駅についた。並んで入るつもりだったが、彼は駅は利用しないという。

 別れ際に、彼はこう言った。

「これからも引き続き、人類の文明発展ために『高貴なる者の義務ノブレス・オブリージュ』を果たすことを期待しています。我々は、<馴染めない人々アンフィット・ピープル>の分も、前へ前へと進まねばならないのですから」


 彼の言葉に違和感を感じた俺は、敢えて違うことを言った。

「明日はクリスマス・イヴですね。メリー・クリスマス」

 そして彼と別れた。


 翌日は、休日だったので――17歳のときと違って週休三日だから――図書館へ行こうと思っていたのだが、クリスマスの臨時休館だった。しかたなく、町へぶらぶらと出掛けた。


 街は買い物客で賑わっていた。17年前と変わらぬクリスマス・セール。皆、幸福そうな笑顔で買い物をしていた。つられるように、駅ビルに入ってみる。色とりどりの商品に目を向ける。

 文具コーナーに目を引くものがあった。

 老舗文具メーカーのペンとノート。どちらも、今となってはかなり古典的なデザインのものだが、俺の好みにしっくりと合った。

 孤独な人間に相応しい、上質で良い買い物だと思った。

 まだ、そう遅い時間にはなっていなかったが、俺は買い物を終えて、そうそうに自宅へ引き上げた。


 帰宅してすぐ、買い物袋からペンとノートを取り出した。


 それから、古いドイツ製拳銃オルト・ギースと実弾を抽斗ひきだしから出した。どちらも、歴史的遺品を扱う古美術商から手に入れたものだ。案外こういうものでも簡単に購入できるのだ、と驚きながら。


 ノートを開き、真っ白いページを前に考える。


――高貴なる者の義務ノブレス・オブリージュ

 彼の言葉を思い出し、口元がゆがむのを感じた。


――だって、俺にはこれくらいしか、できないじゃないか?


 これは、誰に向けた言葉なんだろう? この世界でも、少し前までいたあちら側でも、俺は結局、孤独なのに。

 雑念に邪魔され、ペンはなかなか進まなかった。最終的に出来上がった文章はシンプルなものだった。


「身を賭して非人道的な社会システムへの反対の意思をここに表明するため、ここに、社会的競争ソーシャル・ゲームへの不参加権を行使する。これこそが、反出生主義者の高貴なる者の義務ノブレス・オブリージュと信じて」


 俺は、遺書の文面を確認した。

――完璧だパーフェクト


 視線を窓外に移し、空を見た。晴天とはいえ、真冬の夕方近い時間なのにカナリア・イエローの太陽が強く輝いていた。まるで、夏のリゾート地の海岸のように。

――完璧だパーフェクト


 俺は古いドイツ製拳銃オルト・ギースの弾倉を確認し、それをこめかみにあて、引き金トリガーにかけた指に、ゆっくりと力をこめた。

 すべてが夢ならいいのに、と思いながら。


(了)

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完全なるノブレス・オブリージュ日和 黒井真(くろいまこと) @kakuyomist

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