遺言

埴輪

遺言

『私は死にます』


 プレゼンの時間だというのに、僕はトイレの個室にいた。急な腹痛ということになってはいるものの、本当は逃げ出しただけだ。


 少しでも気を紛らせたい一心でスマホを起動したところ、SNSにメッセージが届いたのだった。『私は死にます』……と。


 アカウント名は佐伯──恐らく、本名──で、アイコンは初期設定のまま。プロフィールもない。スパム業者然としているが、そうではないことを、僕は知っていた。


 以前、僕が酔った勢いでつらつらと呟いたアイディアに、『素敵ですね』と返信してくれたのが佐伯さんだった。……嬉しかった。乾いた砂漠に一滴の雨水。そんな心境。


 それから、頻繁ではないものの、メッセージのやり取りは続いていた。性別も、年齢も、わからない。ただ、自分を認めてくれた……それだけで、十分だった。だから。


『どうしたんですか?』


 メッセージを送ると、返信があった。


『すいません。突然』

『いえ。それより、何があったんですか?』

『大丈夫です、寿命ですから』


 ──寿命。ということは、かなりお年を召しているのだろうか。しっかりした言葉遣いだという印象はあった。それに、今時は高齢者の方がSNSをやっていてもおかしくはないだろう。それでも、なぜ──


『病院ですか?』

『自宅です。本当なら、救急車を呼ぶべきなのだと思います。実際、そのつもりで電話を手に取ったのですが、それよりも、あなたにメッセージを送りたいと思いまして』


『どうして、僕に?』


『お恥ずかしながら、私には友人と呼べるような人がおりません。ずっと、一人で生きてきましたから。なので、連絡ができる相手があなたしかいなかったのです』


 ……そうだったのか。あり得ない話ではない、と思う。結婚しない人も増えてきた。それどころか、一人で生きることを賛美する情報も溢れている。それが、その末路が、これなのか。SNSでやり取りしているだけの、素性が知れない相手。そんな相手に、人生最後のメッセージを送るしかない、それが。


『私は幸せ者です。こうして、死に際を看取って頂けるのですから』

『その、本当にもう死にそうなんですか?』


 不躾かも知れないけれど、もう言葉を選んでいる余裕はなかった。


『ええ。信じて頂けないかもしれませんが、分かってしまったのです。何しろ、もう百年以上の付き合いのある体ですから』


 そんなにも……それなのに、これなのか。本当にいないのか? 誰も? 家族は? 友人は? 親戚は? ご近所は? ……僕の頭には、なぜという言葉しか浮かばなかった。


 ──ドンドン。


「おいっ! 何やってるんだっ! 時間はとっくに過ぎてるんだぞっ!」


 個室の扉越しに、上司の声が届く。


「お前、本当に腹が痛いのか?」

「そうじゃないんですが、その、今にも死にそうなんです!」

「……家族か?」

「いえ、SNSの……」

「はっ?」

「えっと、信じて貰えないかもしれませんが、今、まさに、死にそうな方がいて、僕に、最後のメッセージを──」

「プレゼンはどうするつもりだ?」


 どうするもこうするもない。今行かなければ、佐伯さんが『素敵ですね』と言ってくれたアイディアが、形になる前に潰えるのだ。佐伯さんなら、わかってくれるはずだ。プレゼンが終わったら、すぐに連絡すればいい。そう、それだけのことだ。だから。


「行けません!」

「マジか、お前──」

「僕だって、馬鹿なことをしているとは思います。だけど、人生最後のメッセージ送ってくれた人を、放ってはおけませんよ!」

「……わかった。お前は腹痛で早退したことにする。帰るとき、裏口使えよ」

「あ、ありがとうございます!」


 僕は扉に向かって頭を下げると、急いで佐伯さんにメッセージを送った。


『大丈夫ですか!』

『ええ。まだ何とか』

『どこにお住まいなんですか?』

『なぜ、そんなことを?』

『できれば、今から伺おうかと』


 ……告げられた住所は、飛行機を使っても間に合うような場所ではなかった。


『すいません』

『いえ。お気持ちだけで十分です。ただ、私からの返信が途絶えたら、お手数ですが、119番へのご連絡をお願いできますか?』

『わかりました』

『ご親切に、ありがとうございます。あなたに連絡して良かった』

『こちらこそ、あの時あなたに素敵なアイディアだと言って頂けて、救われました』

『それは良かった。私にも、生まれた意味はあったのですね』

『これも何かの縁です。いくらでも、話してください』

『そうしたいのは山々ですが、もう終わりの時が来たようです』

『佐伯さん!』

『ありがとうございました』


 ──一時間経っても、佐伯さんから新たなメッセージは届かなかった。僕は119番に電話をかけ、要件を伝えて通話を終えた。


 後日、プレゼンで企画が通った日にメッセージを送ってみたけれど、当然のように、佐伯さんからの返信が届くことはなかった。


 それでも、佐伯さんのアカウントは残っている。SNSがサービスを終了しない限り、これからも残り続けるだろう。いずれ、僕が死の間際を迎える時にも、きっと。


 その時、僕がどうなっているのか……誰かと一緒なのか、一人なのか、わからない。それでも、僕はメッセージを送ろうと思っている。顔も知らない、生きてもいない、それでも、大切なあなたへ。

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