055

 時間はやや遡る。


 恐怖で体が動かなくなり座り込む。

 間近まで迫るエルツスパイダーのブレードが振り上げられた。


 そして。


 振り下ろされる、その瞬間に死を確信する。

 引き延ばされる時間は奏真に過去を見せた。


 走馬灯。





 何気ない日常。

 奏真は普通の子供のように外で遊んでいた。

 端から見れば幸せな普通の家庭で育った男の子だがある日に亀裂が走る。


 父はもともと厳しい人で隣の都市の魔法学院の理事長だった。

 母は奏真が生まれた時から病弱でほぼ寝たきりのだったが優しい人だった。


 いつものように奏真が外へ遊びに出て帰ってくると母は病で亡くなっていた。

 奏真が遊びに帰って来た時には既に父が帰宅し、家で一人突っ立っていて。

 その時初めて父の涙を見た。

 だがそれと同時にその涙が最後だった。


 当時の奏真は五歳。

 母がどうなったのか、頭では分かっていてもそれが信じられず泣き喚いた。


 そこから父が急変する。


 もともと関心がないのかあまり話したことのない奏真にキツく当たるようになる。

 とは言っても暴力的な行為はなくひと言愚痴を溢す程度。

 その内父の仕事も忙しくなり始め奏真は近所のおじいさんに面倒を見てもらいながら育つ。


 十二歳になって久しぶりに父が帰省する。

 喜ぶ奏真だったがそこから地獄が始まった。


 父の学院ではなくその都市にある小さな学院に通わせられることになる。

 生まれた時から魔力が少なく、使えた試しがない奏真は歴史に興味を持ち、将来考古学者になろうと夢見ていたがそれを聞いてもらうことすら許されず父に魔法の道へ引きずり込まれた。


 だがそこで奏真はめげず必死に勉強をし強くなる為に努力をした。

 ある程度戦えるようになれば許してもらえる、いやむしろある程度戦えた方がいいから父が学院に通わせたとばかり思っていた。


 それでも出来た亀裂は塞がることはなく更に広がる。


 勉強しようが鍛えようが全く結果は変わらない。それどころか周りはどんどん魔法を覚え始め魔力が足りず一切魔法が使えなかった奏真は間違いなくその中で最弱で成長がないまま一年が過ぎる。


 ある日に、学院の方で課外授業があった。

 実際に弱い、危険性のないモンスターと戦う実践。

 奏真は他の人の足を引っ張った挙句に囮にされ本来あり得ない大怪我をした。

 その時にはとうとう周りからは無能だの、雑魚だの蔑まれ馬鹿にされた。


 怪我で入院中に父は一度も顔を見せに来ることはなかった。


 無事すぐに退院することになって真っ先に父の元へ訪れるも邪魔者扱いされ、相手どころか人としても見られていなかった。


 ここで一度、完全に奏真の心は引き裂かれた。


 更に追い込むかのように悲報が奏真の耳に届いた。

 世話になっていた近所のおじいさんの死亡。最後に残してくれた歴史の本、おじいさんなりにいなくなっても元気が出るように、と初めて渡されたプレゼントは本。


 だが、それが決め手となった。


 悲しみに耐えながら涙を溢しながら開いた一ページ。

 書いてあることに絶望する。


『魔法とは 絶対的な力であり、これを持つものこそが最強である』


 一昔前、魔法の天才と呼ばれた男が言った言葉。

 歴史の本であるためその人物が取り上げられていてもおかしくはないがタイミングが悪すぎた。


 魔法、魔法、魔法。


 小さい頃父が奏真に愚痴っていたのもこれだった。

 「なぜ魔法が使えない?」

 「魔法が使えない弱いやつなど……」


 同級生にも言われた。

 「魔法が使えない駄目なやつ」

 「魔法が使えない弱いやつ」


 誰も味方はいないような気がして。

 夢などどうでもよくて。

 皮肉なことに渡されたプレゼントが幼き奏真の心にトドメを刺した。


 気付けば奏真は崖の上から飛び降りていた。





 次に目が覚めた時は天国ではなく、まして地獄でもない。

 暗い部屋の中で寝かされていた。

 助けられたのだ。

 崖から真っ逆さまに落っこちたが死にきれず、それを誰かが。


 奏真を救ったのは片腕を失った五十代後半の女性だった。

 後に知るが戦闘で失った腕では復帰することは難しく一人崖の下に家を建て隠居生活を送っていたらしい。


 奏真はそんな彼女に泣き叫んだ。

 なぜ助けたのか。

 なぜ魔法が使えないからとこんな仕打ちを受けるのか、と今までため込んでいた全てを曝け出した。


 やがて話して、話を聞くうちに彼女の弟子として技術を学んだ。

 戦術、体術、ナイフ術、剣術から他にも多くのことを。聞く気はなかった魔法も。

 そこで奏真は魔法の制御に辿り着く。


 戦術と魔力制御で自分だけの、自分が使える魔法を生み出し戦う力を身に着けた。


 そこから奏真の旅が始まる。

 最初は何気ない、目的もない旅だったがある時に人を助けそこから請負人へと。

 アサギと出会い数多くの仕事をこなし格上とも戦えるように。

 

 やがて雪音と緋音と出会う。

 まさか自分が教える側となり自分もまた………。


 これからもっと強くなるはずだった。






 もういっそ諦めてしまおう。

 瞬間的に過去を振り返ってやはり思う、無理だと。

 もう全て投げ捨てて楽になろうと、そう思う。


 エルツスパイダーのブレードは目と鼻の先。


(もう十分頑張っただろ?こんな魔力で戦って………よくやったよ)


 このまま斬られれば致命傷になる。

 内臓がズタズタになって即死、かもしくは大量出血により失血死。

 どうでもいいと、そう思ってしまえば楽になれる。


 自然と瞼がゆっくりと閉じていく。


「―――――――ッ!!」


 音が消える。

 体の肉をそぎ落とされる強烈な痛み。

 大量の血を溢しながら奏真は倒れ込んだ。


 即死はしていないがこの傷ではもう動くことすらままならない。

 放っておいてもいずれ勝手に死にゆく命であると判断したエルツスパイダーはトドメは刺さずに背を向けてその場を離れていく。

 慈悲や憐れんでいるわけではない。

 関心がない、といった様子。

 あれほど警戒していのが嘘のように奏真に対し隙だらけの背を向けて。


 奏真は霞む視界にその姿を捉えた。


(…………もう………興味…ねぇ……ってか)


 しかしそれは奏真も同じく。


(………どう…でも………い……い……)


 意識が、感覚が消えていく。






















 ―――――!


 死んだと思って目を開くと奏真自身の足が見えた。

 血の溜まりに浸かり真っ赤に染まった靴とズボンの裾。擦り切れ土や血でボロボロのその足は紛れもない自分の。


(何で………)


 耳鳴りのような音が響き何も聞こえない。

 霞む目は酔ったように平行を保たず止まっているはずの地面が隆起し揺れているように見える。

 血の匂いと味。

 体の感覚はもはやない。


 それなのに。

 それなのにまだ。


(立っている………?)


 自分でも理解が出来ないこの状況。

 瀕死のくせにもうすぐにでも死ぬくせに何かに抗ってまだ生きている。

 

 最後の攻撃、切り裂かれたと思っていたが抉られてはいるもののそれほど深くはなく内臓は無事。ただ出血がひどい。


 一歩、体が歩き出す。去り行くエルツスパイダーに向かって。

 心はもう完全に折れ諦めているのに体がそれを聞かない。


 まだ、雪音あいつが戦ってるんだぞ、と訴えかけてくる。


 死ぬ瀬戸際に感じた雪音の魔力。それに起こされた。


(馬鹿が……こんな状態で……どう…勝つってん……だよ)


 ちょっと押されただけでも倒れそうだ。

 脳ではそう理解しているはずなのに、まだ。まだやれと。


(ああ………そうだな。やれば……いいんだろ?)


 動かそうとした手にエルツスパイダーが残していった糸が引っかかる。

 脳が考えるよりも先に体が動いた。


 魔力で出来たその糸の模倣を開始する。


 通常の魔法などは魔力が少ないためにどういう仕組みでどんな魔法のなか理解しても自分流にアレンジしなくては使えない。そうなると劣化版になり結局意味がない。ただし、この糸は違う。

 ごくわずかな魔力で造られた細い細い糸。硬さは真似出来なくとも簡単に出来上がる。

 些細な衝撃で切れてしまう程弱く細い糸だがそれを何十にも束ねていけば少量の魔力でも再現が可能。


 それでまず切り裂かれた体を縫い付けていく。

 魔力を巡らせ体内から。

 続いて動かない体に補強。

 壁に糸を放ちそれを巻き取るようにして移動する。


 あまり離れていないエルツスパイダーにはすぐに追いついた。


「待てや………まだ……まだ、死んでねぇ」


 どの体で言っている。

 誰がどう見ても同じことを思うだろう。

 奏真に追い付かれたエルツスパイダーもまさしくそう思ったが振り返った時、差し迫る奏真の姿を目に捉えモンスターながら戦慄する。


 再び警戒の耐性へと戻る。

 即座に糸を張り巡らせテリトリーを展開。

 迎え撃つ体制を万全に整える。


 そこへ奏真は追い付いたそのままの勢いで飛び込んだ。


 それに合わせてブレードが真横に薙ぎ払われる。

 目にも止まらぬ速さなのにも関わらず奏真は回避していた。自分の魔力で造った糸を死にかけの体の機動力にして薙ぐブレードより速くエルツスパイダーの周りを高速で動き回る。


 死にかけている奴の動きではない。


 エルツスパイダーは敵であると認識を改める。

 致命傷を負ってなお首を狙おうとするのはまさしく手負いの猛獣さながら。

 そこにあるのは既に戦慄ではなくもはや恐怖。映る奏真は狂気そのもの。


 糸を使って確実に。

 獲物を殺す。殺さねばならない。


 展開された糸のテリトリーに踏み込んだ奏真てきを絡めとる。


 だが思うように糸が動かない。

 初めて見せるモンスターにして驚愕の表情。

 まるで変わっていないように見えて目は見開いたように、動きには微かに見られる動揺。


 奏真はそれを逃がさない。

 いつも狙ってきた敵の動揺と隙。そこに攻撃を叩きこむ。


 だが奏真の魔力では攻撃が通らないなど周知の事実。


 ただ闇雲に、敵の目を攪乱するために高速移動を行ったわけではない。

 思うように動かなくなるエルツスパイダーの糸。高速移動を繰り返す最中、エルツスパイダーが張り巡らせた糸を操る連絡網を全て上書き、自分の支配下に置き換えるように繋ぎ後は奏真自身が持っている糸を引けばあるところへ収束するように細工していた。


 エルツスパイダーの動揺とほぼ同時に動きを止め立ち止まる奏真。

 体力の限界かとはたから見れば思うことだろうがそうではない。


 準備は整った。


 満身創痍の顔で微かに笑う。

 その瞬間、持っている糸をくいと引いた。


 僅か数センチ程度しか引かれなかったが確かな張力を感じ取った張り巡らされる糸たちはキリキリと音を立てて力が入る。

 一方では収束し始め、また一方ではプツンと切れる。

 それら全てが奏真の計算通り。

 奏真が張った糸とエルツスパイダーが張った糸を巻き込んで作動する。


 エルツスパイダーの足を、腕を、首を。

 糸が食い込み従来の生物の体なら容易く切断してしまう程に引き締まるがエルツスパイダーの体は硬く切断はされず代わりにその方向へと体が引き寄せられる。

 切断は免れたが故に関節が逆だろうが、悲鳴を上げようがどんどん引き締まる。

 バキバキと硬い体を破壊しエルツスパイダーの中心へと集められていく。


「―――――――ッ!!」


 絶叫。

 人の耳では聞き取れない高音域。

 足が宙に浮き、天井に吊るされるそれはマリオネットのようにも見える。

 やがて、


 ゴキンッ


と、大きな音と共に絶叫も、糸もピタリと止まる。

 ひしゃげてもう役割を果たさなくなった首がだらりと重力に従って垂れ下がる。


 絶命。


 敵であるエルツスパイダーが再起不能となる。

 試しに糸をナイフの投擲により全て斬るがぐしゃりと落下するそれは糸を切られた人形そのもの。


 そこでようやく奏真は勝利を実感する。


「…………」


 血まみれで決してうまくいったなどとは言えないが。

 勝てないと、自分の弱点を浮き彫りにされた相手に確かに勝利した。

 朦朧とする意識の中、血だらけの拳に力が籠る。


 真っ暗で閉ざされた空間に微かな光が差した、そんなような気がした。

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