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 さて、時は少し遡ってその日の朝。

 桜花寮の一室でテキパキと身支度を整える望月茉莉の姿を眺めながら、神乃羚衣優は悶々としていた。


「せんぱいも、そろそろ準備しないと遅刻しちゃいますよー?」

「う、うん……」


 学年の異なる羚衣優と茉莉にとって、学校に行くということはつまり放課後まで離れ離れになってしまうことを意味する。昼休みに会うことも可能ではあるが、わざわざ他学年の教室を訪れるのも気が引けるし、昨日までほとんど赤の他人であった二人が突然イチャイチャを始めるとよからぬ噂が立ちかねない。

 ましてや、羚衣優と茉莉はそれぞれ『謎の多すぎる美少女』と『頼れる生徒会副会長』というレッテルが貼られているので、くっついたことが分かれば一大スキャンダルだった。



「ね、ねぇまっちゃん……」

「なんですか?」


 制服のリボンを結びながら首を傾げる茉莉は可愛らしい。

 羚衣優は一層この少女を引き留めたくなってしまった。


(もう少し……もう少しだけ一緒にいたい……でも、嫌われたら嫌だし……めんどくさい女だと思われたくないし……)


「う、ううんなんでもない……」


 喉元まで上がってきていた甘え声を無理やり飲み込むと、その様子を見ていた茉莉はとてとてと羚衣優の傍に駆け寄ってきて、自然な仕草でその金髪を撫でた。髪全体を手ぐしですくように二三回、茉莉に触れられると羚衣優の心の中は幸福感で満ち溢れ、自然と顔がほころんでしまう。


「まっちゃん……?」

「ごめんなさい。可愛かったのでつい……」

「可愛い……? そんなことないよ?」

「あたしが可愛いと思ったんですから、可愛いんですよっ!」


 謙遜しながらも、羚衣優は内心ガッツポーズをしていた。可愛いと思われているうちは茉莉は羚衣優を捨てることはない。だからもっと可愛いと思わせたい。気を引きたい。羚衣優の頭はそんな考えでいっぱいになった。


「じゃああたしは朝の集まりがありますので早めに行きますね? せんぱいも遅刻しちゃだめですからねー!」


 夜にあんなに乱れていたとは思えないほど、茉莉はビシッと制服を着こなし、スクールバッグを掴むと小走りで寮を後にした。



「……」


 シーンとした静寂に羚衣優は寂しさをおぼえた。スマートフォンを取り出すと、メッセージアプリで登録したばかりの『づきちゃん』──茉莉へ早速メッセージを送ってみる。


『行ってらっしゃい♪』


 既読はつかない。走ってるからかな? と思いながらも少しモヤモヤしてしまう。

 不安になった羚衣優は


『放課後待ってるからね?』


 と追加で送信し、ダメ押しとばかりにハートのスタンプを押しておく。


(これでよし……っと)


 やっと満足した羚衣優はそそくさと身支度を整えて学校へと向かった。その頭の中はもう授業や昼食のことなどよりも、放課後茉莉と何をしようかということが大部分を占めていたのだった。




 ──昼休み。


(まっちゃん、まだ既読つかないよ……なにしてるのかな?)


 羚衣優はスマートフォンを握りしめながら少し苛立っていた。前の彼女であった琉優子は、羚衣優がメッセージを送るとすぐに反応してくれたので、朝送ったものが昼休みになってもまだ読まれていないという事実は羚衣優のメンタルを順調に削っていた。


(忙しいのかな? それとも未読無視?)


 考えてみれば昨日出会ったばかりの相手にそこまで求めるのもどうかしている気がする。あまりしつこいと嫌われちゃうし……と、羚衣優は追加で『いま何してる?』と送るだけに留めておいた。

 本人としてはだいぶ自重した方だったが、残念ながら羚衣優の基準は常人のそれとはかけ離れていた。


「はぁ……」


 窓の外──正確には茉莉の教室のある方向を眺めながら憂鬱そうにため息をつくその仕草は儚げで、羚衣優はまた本人の知らぬところで隠れファンを増やしていたのだった。


 羚衣優は休み時間になる度にスマートフォンをチェックし、茉莉からの返事を待っていた。だが待てども既読すらつかない。

 ワクワクしながらスマートフォンの画面をつけ、『通知0』の表示を見て落胆し、アプリの通知欄を更新しまくって通知逃しがないか確かめ、やはり本当に既読すらついていないのだと分かって絶望し机に突っ伏す。──ということを何度も繰り返していた。


(どうして? なんで読んでくれないの? まっちゃんにとってわたしはその程度のものだったの? いや、もしかしてまたお姉さまみたいに遊ばれているのわたし……?)


 琉優子との悲しい別れが思い出されて泣きそうになった羚衣優は無性に茉莉に会いたくなった。『会いたいな……』とメッセージを送ると今朝の茉莉の手の感触を思い出すように自分の髪をすいてみた。


(ううん、まっちゃんに限ってそれはないはず……だって、まっちゃんは愛が重い女の子は嫌いじゃないって言ってくれたんだから!)


 そう自分に言い聞かせてみるも一時の気休めにしかならなかった。


「ふぅ……」


 出るのはため息ばかりだった。



 ──放課後。


 茉莉は生徒会に行くと言っていた。つまり、それが終わるまでは寮に戻ってこない。相変わらず既読はつかないが、羚衣優には作戦があった。

 それは昨日、羚衣優がなんとなく茉莉に尋ねていた彼女の好み。


(まっちゃん、猫が好きって言ってたな……)


 羚衣優は茉莉に好かれるためならなんだってやるつもりだった。早速インターネットの通販サイトで猫のグッズを買い漁る。ぬいぐるみ、枕、ストラップ、さすがに寮なので実物の猫は飼えないが、それに関しては茉莉の愛情がその猫に行ってしまっては困るので見向きもしなかった。


 あとは身につけるもの。ネコミミ、しっぽ、猫のあしらわれた下着、靴下、水着……。


 気づいたら貯めておいたお金をほとんど使い尽くしてしまっていたが、羚衣優は気にしなかった。それよりも今からグッズが届くのが──茉莉に可愛いと言って貰えるのが楽しみで仕方がなかった。


 ふと時計を見ると、もうすぐ生徒会が終わると茉莉から伝えられていた時間だった。


(もうすぐ……もうすぐまっちゃんに会える……!)


『もう生徒会終わった? 早く寮に戻ってきて!』


 いても立ってもいられなくなって、羚衣優はメッセージアプリを開いてそう送信すると、茉莉からの返事を今か今かと待ち続けた。

 やがて時間を過ぎると、羚衣優の中で何かがプツンと切れた。


(遅い……ここまで何も連絡がないなんて……まっちゃんの身に何かあったんじゃ……)


 羚衣優は桜花寮を飛び出して真っ直ぐに中学の生徒会室に向かう。


(待っててまっちゃん……今行くから!)


 桜花寮から生徒会室まで全力ダッシュする金髪美少女の姿は一部の生徒の間で噂になったが、当の羚衣優はそんなことは意に介さない。やっとのことで生徒会室の前にたどり着いた羚衣優は扉についている小さな窓から中の様子をうかがってみた。

 部屋の中では五人の少女たちが仲睦まじく談笑している。──もちろん茉莉も。


 茉莉は隣に座っているくせっ毛の少女の方を見ながらニコニコしていた。その様子はとても楽しそうで、羚衣優は胸がチクチクと傷んだ。


(まっちゃんは……わたしといるよりも生徒会の人達といる方が楽しいんだ……)


 視界が霞んできた。目元を拭うと僅かに水滴がついた。



 その時、ふと一人の少女と目が合ってしまった。その少女は机のお誕生日席に座っており、艶っぽい黒髪が印象的だった。

 少女は羚衣優を真っ直ぐに見つめながらニッコリと微笑む。羚衣優は思わず扉の陰に隠れた。


 ──次の瞬間。


 勢いよく扉が開いて中から茉莉が飛び出してきた。待ちに待った想い人の突然の登場と、先程の少女の笑みのこともあって羚衣優は完全に動転してしまい、何故かその場から走って逃げ出してしまったのだった。

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