最終話 誓いのキスを

 それにしても、相手の快適を邪魔しないというわりに、俺の快適は邪魔したよなと、そう思わなくもない奏汰だ。実験室で実験しつつ、ふとそこに立ち返る。

 だが、果たして大学生をやっていた自分が快適に暮らしていたのかというと疑問だ。

 ついでに今の生活が不快かというと、全く以てそうじゃない。広々とした屋敷にふかふかのベッド、美味しいご飯と至れり尽くせりだ。

 男同士のセックスも、最初は抵抗があったが、今や気持ちいいだけになっているし。さすが悪魔なだけあって、ルシファーの手練手管は凄いものだし。

「ううむ。今、好きなように実験できているしなあ」

 さらには、化学をやりたいという自分のために、こんな立派な実験室まで用意してくれたし。奏汰は複雑な気分になる。

 しかもだ、大学の卒業を邪魔されたものの、今やそれさえ障壁にならないことが起こっている。

「どうした、奏汰。何かトラブルか?」

「い、いえ、違います。ちょっと考え事を」

「じゃあ、休憩にするか」

「いえ、大丈夫です」

 さて、奏汰が誰と喋っているかというと、パソコンに映る相手だ。その人は人間界の、しかもヨーロッパの有名大学の先生で、奏汰も憧れていた人の一人だった御仁。

「あの、まさかロバート先生が悪魔信仰に興味があったなんて」

 気遣いをしてくれるそんな凄い先生、画面に映る好々爺然としたイギリス人、ロバートに奏汰は思わず確認してしまう。

「ははっ、奏汰。イギリス人は幽霊が大好きなんだぞ。悪魔くらい、いても不思議じゃないさ」

「いや、悪魔くらいって」

「それに信仰とは違う。存在を認めているだけだ」

「はあ」

 それ、詭弁では。奏汰はそう思ったものの黙っておく。

 いいじゃないか。ルシファーの人脈で、まさかのノーベル賞候補とまで言われる凄い先生から個人レッスンを受けられるんだから。

 ここ数日、そう言い聞かせること幾星霜。

 そう。奏汰が魔界のみんなに認められ、また奏汰もずっとここで生活することに何の抵抗もなくなったことから、ルシファーが研究を続けられるようにとロバートとコンタクトを取ってくれたのだ。ルシファーとすれば化学が最大の敵であり、だから大学でのことを邪魔していたのだという。

 やっぱり相手の快適を侵害していないか。

 そう思うが、やはりロバートまで用意されると、その点を追及できない。今や化学も出来ちゃうのだ。

 で、ルシファーに呼ばれたロバートは

「魔界にいる人間だって。しかも化学を研究したいと。ブラボー。是非ともお友達になりたいよ」

 と快諾してくれたのだ。

 今や魔界もWi-Fi完備、インターネット環境も整ったということで、教えを請うのも問題なく出来るようになったというのも、これが実現した要因だ。

「俺、何をやっているんだろう」

 ふとそう思うこと幾星霜。だが

「奏汰。ドラゴンの卵というのは面白いなあ。論文に出来ないのが非常に残念だ」

 自分よりやる気満々のロバートを見ていたら、どうでもいいかとなってしまうのも事実だった。



「結婚式をしよう」

「は?」

 奏汰の化学研究も起動に乗り、街の人たちも奏汰がいるのが当たり前になったある日のこと。ルシファーがそう唐突に宣った。おかげで奏汰は素っ頓狂な声で訊き返してしまう。

「は? じゃないよ。伴侶だと誰もが認めるようになったわけだが、やはりちゃんと披露宴をやりたい。そもそも伴侶になるという人生の節目だぞ。ちゃんと式を執り行うべきだろう。ていうか、見せびらかしたい! 奏汰は俺様を大好きなんだってことを、街のみんなに見せつけたい!!」

「いや、もう、最後は本音がダダ漏れじゃねえか」

 結局は奏汰がルシファーを殴ったことで認められた事実を打ち消したいんだな。

 奏汰とその場で給仕をしていたベヘモスは気づく。

 ただいま食後のお茶の時間だ。そこで唐突にルシファーが叫ぶなんて日常茶飯事。というわけで、結婚式なんていうでかい話題が出て来ても、奏汰は慣れつつあり、ベヘモスにとっては珍しくもないこととなっている。

「いいじゃん。やろう」

「ま、まあ、やってもいいけど」

 その場合、どうなるんだろうと奏汰は悩む。

 まさか俺、ウエディングドレスを着る羽目にならないよな。

 ふとガブリエル騒動が頭を過ぎる奏汰だ。

「俺様は黒のタキシード、奏汰は白のタキシードでやろう」

 が、その懸念はすでに結婚式プランを考えていたルシファーによってすぐに消えた。

 ああ、なるほど、二人ともタキシードなのか。

 奏汰は自分のタキシード姿を思い浮かべ、七五三にならなきゃいいけどなと思いつつ頷く。

「衣装は最上級のものを用意しよう。披露宴会場をどこにしようかと悩んでいるんだが」

「広間でいいんじゃないのか?」

 わざわざ会場を用意しなくてもと思った奏汰だが

「いいや。ちゃんとやるの!」

 とルシファーに全力拒否された。

 お前の方が花嫁っぽいっていうのはどういうことなんだ。

「それでは、ルシファー様が経営されているリゾートホテルでなされては如何でしょう。あそこの結婚式プランは評判も上々でございますよ」

 ベヘモス、無理難題を言われては困るとばかりにそう提案。

「ああ、なるほど。その手があったか」

 で、ルシファーもちゃんと式が出来ればいいので、そこは難しく考える必要はなかったかという感じだ。

「ついでにホテルの宣伝にもなりましょう。運命のお二人が結婚式をなされたとあれば、それに続く者たちが多く出てきますよ」

 さらにベヘモス、駄目押しまでする。よほど無理難題を警戒しているらしい。

 まあ、とんでもないことを言い出しかねない男だからね。

「ふむふむ。じゃあ、海辺のホテルを押えておこう。で、各地にいる貴族どもに案内状を出すのと、街の人で行きたい人がいれば、その料金はこっちで持つとお触れを出して」

 で、会場が決まれば後は任せろとばかりに、ルシファーは次々に手筈を言い始める。

「奏汰様、お料理の希望はありますか?」

 そしてベヘモスも、普通に結婚式が行われるだけならばいいよと、奏汰に料理を訊いてくる。

「やるんですね、結婚式」

 で、当事者であるはずの奏汰は、呆れつつも好きにしてと思うのだった。



 さて、結婚式当日。

「お、おかしくないかな」

「大丈夫ですよ」

 ベルゼビュートに着替えを手伝ってもらった奏汰は、七五三になってないかと不安で仕方がない。が、ベルゼビュートはちゃんと男前ですよと励ましてくれる。そして、はいっと手鏡を渡してくれた。

「ああ、まあ、普段と髪型も違うから、なんとか」

 前髪を上げてセットされた髪型を見て、奏汰は何とかなってるかと渋い顔。

 でもさ、前々から思っていたけど、日本人ってタキシードが似合わないよね。身長がそれなりに高い人ならばまだしも、自分のように小柄な人は似合わないよね。

 そう心の中で思ってしまう。

「奏汰、着替え終わったか」

 と、そこにタキシードを完璧に着こなすルシファーが入ってきた。

 くぅ、カッコイイ。

 奏汰は月とすっぽんだとがっくり。

「な、なぜ落ち込むのだ」

「マリッジブルーでしょう」

「違う!」

 ベルゼビュート、なぜそんな要らんところでボケるんだ!

 奏汰はますますがっくり。

「おおっ、奏汰。今日は可愛いだけでなくかっこいいな」

 と、そこにこちらも完璧な男、サタンがやってくる。

 ダメだ。欧米人に近い彼らに純日本人の自分が太刀打ちできるはずがない。

 ちなみにベルゼビュートもタキシードなのだが、こちらはカッコイイというより色気があった。

 不思議なもんだ。やっぱりそこはサタンに愛されているからか。

 じゃあ、俺にも色気が出てもおかしくないんだけどなあ。

 奏汰は悩んでしまう。

「奏汰、俺様は奏汰のタキシード姿が好きだぞ!」

 ようやくタキシードで悩んでいると気づいたルシファー、最大限にフォロー。奏汰は珍しい気遣いに苦笑し

「ありがと」

 やっとショックから立ち直った。

 まっ、ここは馬子にも衣装と開き直るしかないか。

「皆さま、来賓の方々が揃いました。会場へいらしてください」

 わいわいやっていたら、ベヘモスが結婚式の準備が整ったと呼びに来た。それに奏汰とルシファーは自然に見つめ合い、笑ってしまう。

「幸せ全開だな」

「ええ」

「俺たちも式を挙げるか」

「遠慮します」

 横でサタンとベルゼビュートがそう言い合うので、二人は照れてしまった。

「じゃあ」

「ああ」

 先にサタンとベルゼビュートが来賓席に向うのを見送り、二人はもう一度見つめ合う。

「まさかここまで来るとは」

 そしてルシファーは感慨深げに呟いた。それは奏汰だって同じだ。

「ベッドの中にお前が現われた時はどうなるかと思ったけど、でも、今は良かったって思ってる」

「奏汰っ!」

 感激のあまりに抱きつくルシファーに、奏汰ははいはいと背中を叩く。そこにある翼が、自分とは違う存在だと教えてくるが、今はそれさえも嬉しく思ってしまう。

 悪魔に選ばれた人間。

 それだけ聞くと不幸まっしぐらみたいなのに、現実は真逆で幸せに満ちあふれている。

「行こう」

「うん」

 二人は手を取り合い、会場へと向う。

 バージンロードを歩く二人を、集まった悪魔たちが祝福してくれる。その中にはなんと、神の名代としてやってきたガブリエルの姿まであった。

「結婚、おめでとう。神のご加護があらんことを」

 ガブリエルの言葉に、二人は思わずきょとんとし、そして笑ってしまう。

「神の加護がなくたって」

「幸せだもんねえ」

 ルシファーと奏汰はそう言って笑い合うと、みんなが見守る中、誓いのキスを交わしたのだった。

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