第5話 難関はまだまだある

 無視するために布団にくるまっていた奏汰だが、いつの間にか本当に寝てしまっていた。目を覚ますと、部屋の中はすでに薄暗くなっていた。

「どのくらい寝たんだろう」

 スマホを確認すると午後六時だった。ぐっすり寝過ぎだ。

 眠たい目を擦り、奏汰はあれっとルシファーの姿を探してしまう。天蓋付きのベッドの上、そこは一人だと広すぎることにようやく気づく。

「怒ってるだろうな」

 感情任せに怒鳴りつけたという自覚はある。でも、謝るのってあっちじゃないか。そういう気持ちもあるので悶々としてしまう。

 だって、あいつは俺の夢を踏みにじったようなものだぞ。

「はあ。とはいえ、才能が無いことは基礎実験に失敗して身に染みてるんだけど」

 奏汰はああもうと頭を抱えてしまう。

 ひょっとして夢が実現できないと悟ったから、ルシファーなんていう悪魔を呼び寄せてしまったのか。だとしたら自分の心の弱さが原因じゃないか。

「と、ともかく、ここはあいつの家なんだし、顔を合せないのは拙いし、服もないし、お腹空いたし」

 色々と言い訳を並べて、奏汰はよいせと身を起こした。そして服に触れる。思えばこれ、センス抜群で高級品、しかも身体にぴったりフィットするものだ。あいつはいつ、俺のサイズを知ったんだと奏汰は溜め息。

「与えられるだけじゃあ、男は満足できねえの」

 ぶつぶつと結局は文句を言いつつ、それでも部屋のドアを開けた。廊下はすでに灯りが点されて明るかった。この屋敷は古風な見た目のまま、電気ではなく蝋燭がメインに使われている。本当に異世界だ。

「異世界転生の方がまだマシだったな」

 あれって現世では死んでるし。

 奏汰はまだぶつぶつと未練を言ってしまう。でも、今日のことで気づいた。大学に必死にしがみついていたけど、負けを認めている自分がいる。

 あそこに、もしルシファーが現われなかったとしても、居場所はあっただろうか。結局はだらっと卒業して終わってただけじゃないか。

「はあ」

 溜め息を吐き、ともかくベヘモスはいるだろうと食堂のドアを開けた。すると、鼻腔を擽ってきたのは嗅ぎ慣れた匂いだった。

「え?」

 そこで見た景色は衝撃だ。食堂のテーブルの上にはあらゆるカップ麺が置かれている。そして、それを無心に啜るルシファーの姿がある。

 すでに十個は食ったのか、横には空の容器が積まれていた。美形の外国人がスーツ姿で一心不乱にカップ麺を啜る。その姿は狂気しかない。

「奏汰様。どうかルシファー様を諫めてください。あんなものばかり食べていてはお身体に障ります」

 そこに救いの神とばかりに泣きついてくるベヘモスだ。

 ええっと、寝ていた五時間ほどの間に何があったんだ。

「おい、ルシファー。カップ麺の一気食いなんていいご身分だな」

 しかし、そんな姿がおかしくて、奏汰は普通に声をかけれていた。

 するとルシファーが顔を上げ、もごもご喋ろうとする。が、口の中に麺を入れすぎ。

「飲み込んでから言えよ」

「か、奏汰のこと、ちゃんと知ろうと思ったの。でも思いつかなくて、カップ麺が好きだって言うから」

「っつ」

「くそっ、どれも美味すぎる。奏汰、お前は何味が好きなんだ? というか、どうして同じ味なのにこんなに種類があるんだ」

 手当たり次第に集めたらしいカップ麺を指差し、ついでもう食べれないとルシファーは口を押える。

 その姿に、ついに我慢できずに奏汰は笑ってしまった。そして、昔ながらのチキン味のラーメンを取り上げる。

「これ」

「へえ」

 自分のために必死だというルシファーに、奏汰は仕方ないなあと笑っていた。



 取り敢えず仲直りも出来たところで、二人は揃ってリビングに移動していた。しかし、だだっ広いソファだというのに、ルシファーは奏汰の横にピタッとくっついている。

「あのさ、話し合いの時くらいは距離取ってくれない」

「ぐぅ。だって奏汰がようやくここの生活を受け入れてくれたのに」

「無理やりな」

「・・・・・・ううっ」

 五時間の放置プレイがよほど聞いたのか、ルシファーの俺様キャラがなりを潜めている。

 これはこれでやりにくい。奏汰は溜め息を吐き

「あのさ。強引なのか強引じゃないのか、はっきりしてくれない?魔界に連れて来るところまで超強引なくせに、大学に行くところでちょっと妥協してみせたり、ベッドでは紳士的な態度だったりって、色々と矛盾がありすぎ」

 と、今まで疑問に思っていたところをずばっと質問してみた。

 すると、ルシファーはううっと頭を抱える。だから何なんだよ。

「おい」

「お前に一目惚れしたってのは話しただろ」

「えっ、ああ」

 それでベッドに潜り込んだって話だったよな。奏汰は頷く。

 でもあれ、黒猫姿の時に一目惚れしたのだとしたら、一か月ほどタイムラグがあることに気づく。つまり、ここでも妙な矛盾があった。

「俺様にとってはまさに初めての恋だ。性欲を満たしたいんじゃない。心の隙間を埋めてくれるというか、ずっと傍にいたい、その過程でイチャイチャしたいって思ったのは、奏汰が初めてで」

「っつ」

 そんなどストレートな告白ってあるか。

 奏汰は耳まで真っ赤になる。悪魔の初恋の相手が自分っていうのが笑えるが、ここまで言われたこと、人生で一度もない。

「どうしていいのか解らず、俺様はサタン王に相談しに行った」

「初恋を上司に相談すんなよ」

「その場にはベルゼビュートもいて、二人が親身に相談に乗ってくれた」

「いや、さらっと魔界ツートップに恋の相談してんじゃねえよ」

 とはいえ、ルシファーも魔界では上の人物。魔界スリートップが揃って俺の相談。

 なんの悪夢だ。奏汰は青ざめてしまう。

 この恋、とんでもない連中しか絡んでねえ。

「サタン様は押しが大事だと仰った。でも、ベルゼビュートは押しばかりではいけない。長く関係を続けるのならば、大事なシーンでは相手の意思を尊重しなさいって」

「ああ」

 あっさり謎が解けたなと、奏汰は今度は頭痛がしてくる。

 つまり、俺様キャラのルシファーとすれば、サタンの意見は解りやすいのだ。真っ先に相談したのもサタンだし。

 ところが、恋の攻め方が違うベルゼビュートが絡んだことで、変なところで引くことになっていたと。

 しかし、ベッドでいきなり押し倒されてヤられていたら、それこそ奏汰は舌を噛んで死んでいたかもしれない。ある意味、ベルゼビュートの意見は正しい。

「舌を噛んで死ぬだと!? 俺様のセックスは素晴らしいというのにか?」

「いや、俺はノーマルなの。男に掘られたって時点で死にたくなるから」

 相手がルシファーだから流されている。というより、無理やりが通っているようなものだ。奏汰はげっそりする。

 もしも現実世界で男に押し倒されてヤってしまったとなれば、確実に自殺する。

「くぅ。人間って難しいなあ」

「いや、難しくない。至って普通だ。性思考は人それぞれってだけだ」

「奏汰はこんな可愛い顔をしているっていうのに。というより、女を抱くなんて無理なのに」

「いや、無理じゃねえし」

 決めつけんな。

 奏汰はげんなりしつつも、魔界で生活するということは男に抱かれることを受け入れるしかないのかあと、そこが最も難関だった。




 男云々を考えるよりも前にまだまだ難関があった。

「何だこれ! っていうか、俺の下着は?」

 昨日まであった下着が空っぽになり、代わりに紐パンやらブーメランパンツが詰まっている。一体何だこれとルシファーに詰り寄ることになる奏汰だ。

「だって、可愛くないんだもん。せっかく特製のパジャマを用意したっていうのに、全然合ってないんだもん。嫌だ」

「・・・・・・」

 どんなガキの言い分だ。っていうか、これ、穿くの。俺が穿くの? 奏汰は頭を抱えてしまう。

「いいじゃん。俺様しか見ない」

「そういう問題じゃない。っていうか、お前は見る気満々なのも嫌だ」

「何を言っているんだ。俺様はいずれ奏汰の全部を見る」

「言い切るな。くそぅ」

 総てを握られている。今や大学にも逃げ場所がない。そんな状態でこの仕打ち。はあ、仲直りするんじゃなかった。こんなの、穿かない方がマシじゃないか。そう思えてくる。

「穿かないだって。そんな、俺様の理性が持たないな」

 ぐふっと鼻血を出すルシファーに、これまた逃げ道なしかと奏汰は溜め息。仕方なく、究極の選択に近いのだが、仕方なくブーメランパンツを手に取った。

「これにするよ!」

「ああ。いいよ。さあ、風呂に行ってこい。ベヘモスに命じて日本式の浴槽というのを導入しておいた」

「マジで!」

 お風呂が出来たと聞いてテンションが上がる奏汰だ。

 やった、これで少しは一人でゆっくりする時間が確保できる。

「うっ、そんなに喜んでくれるとは」

 ルシファーはルシファーで、満面の笑みの奏汰が見られて悶えている。

 なんだかんだで、似た者同士。テンションは同じ二人だ。

「じゃあ、入ってくるな」

「ああ」

 にこにこと奏汰を見送ったルシファーだが、その場で頭を抱えてしまう。

「どうしよう。奏汰は俺様とのセックスを望んでいない。それどころか、無理にやったら死ぬなんて言ってる」

 一人になって、そのショックが襲いかかるルシファーだ。

 伴侶として奏汰が欲しい。ということは、いずれそういうこともしたいわけで、永遠にしないなんて無理だ。そこをどう乗り越えるべきか。

「ほう。真面目に悩んでますね」

「あっ、ベルゼビュート」

 いきなり聞こえた声に、ルシファーは顔を上げる。すると、ぼわんっと煙が立ち上り、中から銀髪の紳士が現われる。彼こそ魔界二位のベルゼビュートだ。

「人間を伴侶にと言ったときはどうなるかと思いましたが、ちゃんと無理やりはやっていないようですね」

 ベルゼビュート、まずそこに感心してみせる。俺様キャラ全開のルシファーのことだ。今頃、むちゃくちゃにやって人間を殺しているのではないか。そう心配していた。

「殺す心配までしていたとは、さすがは真面目なベルゼビュート。実は奏汰、我が伴侶になる男だけど、男とのセックスにかなり抵抗があるって」

「ふむ。まあ、多くはそうでしょうね。とはいえ、神がわざわざ禁忌にする事項。人間の欲求の中に確実にある欲望のはずです。特に男はその傾向にあると聞きました。軍隊や南極探検隊など、極限状態で周囲に男しかいない状況が続くと、ますますハードルは下がるといいます」

「そうなのか」

 望みあり。それだけでもテンションが上がるルシファーだ。

 それにここは魔界。奏汰は逃げ道なし。女はいない。オッケー。

「ただ、気長にですよ。人間の悩みというのは時間が掛かるものなんです」

「はあ」

 しかし、すぐにオッケーにならないのが困ったところだ。ルシファーは気の抜けた返事をしてしまうのだった。

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