【20】二年前 ~不安~

 俺はこの日からずっと考えを巡らせていた。

 知り合いの後方の艦長たちと密に連絡を取り、海賊船の動向を探ったり、養父の船を見かけたら、ぜひ知らせてくれるように頼み込んだ。


 俺はただ、ジルバに一言いえばよかったのかもしれない。

『女神像をフラムベルクに返す』と。

 そして女神像を受け渡す場所に海兵隊、もしくは艦隊を待機させ、それを取りに来たフラムベルクを捕まえればよかったのだ。


 けれど焦りからくる判断力の低下のせいか、俺はそれが上手く行くとは考えられなかった。何より、フラムベルクの連絡係がジルバなのだ。

 あいつが俺を裏切れば、俺はもとより多くの部下がその犠牲になる。


 俺はあまり夜眠る事ができなくなった。

 一晩中甲板を歩き回って、ルティーナ、君を不安がらせた日もあったな。

 俺が二の足を踏んで迷っているこの瞬間も、養父の船はジェミナ・クラスを目指して刻一刻と近付いている。

 捕まえ損ねたフラムベルクが、不意打ちを仕掛けてくることを知らずに。

 



 そんな日が一週間ほど続いた、ちょうど今から一ヵ月前の夜。

 やはり眠る事ができない俺は、軍港の中で停泊していたアマランス号の甲板を、一人ぐるぐる歩き回っていた。


「アースシー」


 俺は後部甲板を振り返った。港の中で停泊しているから、当直は必要最低限の二人しか配置していない。その二人は今、アマランス号の船首の方で見張りをしている。


「……」


 俺はあいつの顔を見る事すら嫌になっていた。

 できるだけあいつに会わないように、自分から避けていた。

 だから俺は逃げた。

 なにもかもから逃げたくなった。

 こんな思いを抱いたまま、不安を抱えたまま、鳥に皮を剥かれて食べられるのを待つ、蛇の生殺しのような、一切の状況から逃れたい。

 いっそ海へ出て、フラムベルクと砲火を交えた方がいいに決まってる!


「待ってくれよ、アースシー!」


 ジルバが俺の腕を掴んだ。俺はそれを荒々しく振り払った。


「もう俺に構うな! 俺は決めた。これからは、奴の出方をうかがうような、そんな消極的な行動を取るつもりはない! だからジルバ。お前も今日限りでこの船を下りてくれ。フラムベルクの行方など、お前に頼らなくても自分で掴んでみせる。奴の所へ帰れ。そして俺の言葉を伝えろ。女神像が欲しかったら、父の所へではなくの所へ来いと!」


 言いたい事をあいつにぶちまけて、俺は胸がすっとするのを感じていた。どうしてもっと早くこうしなかったのだろう。


「アースシー、すまない。でも僕は、君を苦しめるために戻ってきたんじゃない」


「馬鹿な事を言うな。俺は現に苦しいのさ。苦しくて苦しくて、気が狂いそうなんだ! ジルバ、お前はなんでここにいる? 何故いつまでも俺の船に乗っているんだ? お前は海賊なんだろう!」


 その時俺は何が起きたのかさっぱりわからなかった。

 我に返った時には、甲板へ後頭部を強かに打ちつけていた。

 ジルバに殴られたのだと気付いた時、あいつは息をはずませて、俺をじっと見下ろしていた。


「僕は……僕だって。海賊なんてもうたくさんだ! でも、船長が娑婆にいる限り、僕は奴の手下として捕まってしまう。だから、君の力を貸して欲しいんだルウム艦長。あいつから僕を助けてくれ!」


 俺はまだ信じられなかった。ジルバのことが。


「そんな都合の良いこと……信じられるはずがない」

「でも僕は、君の事を信じている!」


 俺はようやく体を起こした。甲板に打ちつけた後頭部がずきずきする。


「アースシー。君は僕が海賊だという事を知っている。それなのに、何故この船に今まで乗せてくれたんだい? 海賊を取り締る君が、僕の素性を誰にも明かす事なく」


「……それは……」


「僕が海賊であることを告げてから、もう一週間以上が過ぎた。君の中の答えはすでに出ているはずだ」


 俺は不意に笑い出した。

 可笑しくて可笑しくて、今度はそれで気が狂いそうになるほど笑い転げた。

 なんて滑稽なんだ。

 俺があいつを信じていたなんて。

 それをこんな形で認めなければならないなんて、とんだお笑い種じゃないか!


 俺は甲板にひっくり返った。

 久しぶりに夜空を見た気がした。星の一つ一つが輝いて、とても綺麗な空だった。何日も眠れぬ夜を過ごし、何度も見上げた空なのに。


「ジルバ。一つだけ答えてくれ」


 俺はため息をついて身を起こした。


「何故お前はそこまで俺を信じる事ができる? 俺はフラムベルクを捕らえるために、お前を利用した挙げ句、奴と一緒に拘束するかもしれないぞ」

「それでも構わない」


 きっぱりと言い切ったジルバが、俺に向かって右手を伸ばした。


「あの時海岸で君が助けてくれなかったら、僕は死んでた。だからその時の借りを今こそ返したい」


 俺はあいつの手を取り立ち上がった。


「いいだろう。お前にはずっと騙されっぱなしだったんだ。だが、その恩を仇で返すようなことがあれば、俺は地獄の果てまでお前を追うからな、ミリアス・ジルバ」


 ジルバが、そっとうなずいた。


「ありがとう。アースシー・ルウム。君は何度も僕を助けてくれた。その礼はどんなことがあっても君に返すよ。必ず……」




 ◇◇◇




 そこまでルウム艦長が話し終わった時、ジルバはくすぐったそうに首筋を掻いた。恐らく照れ隠しだと思われる。

 それにしても驚いた。私が安穏と眠りについていた甲板で、こんなやりとりが二人の間であったなんて。


「そしてこの早朝のことだったよ。養父ちちの船がフラムベルクに襲撃されたのは」


 私はゆっくりと唇を噛みしめた。

 あの日のことははっきりと覚えている。

 ルウム艦長はいてもたってもいられなかったのだろう。夜が明けきらない暗いうちに出港して、多くの船が東方蓮国へ向かうためにとる北へ船を進めた。

 そして、遭遇したのだ。

 フラムベルクの不意打ちを喰らい、炎上するエーリエル・ルウムのベル・クライド号と――。


「養父の船がフラムベルクに襲われ、しかも奴を再び逃した俺には打つ手がなく、ただ待つ事しかできなかった」


 そう。この一月の間、私達はフラムベルクを求めて様々な海域へ船を出したけれど、姿はおろか、噂すらも見たり聞いたりすることがなかった。

 ルウム艦長は肩をすくめ、意味ありげに隣の席のジルバへ視線を投げた。


「けれどジルバがついにフラムベルクと接触して、俺宛の脅迫状を持って帰った時は、嬉しくて嬉しくてたまらなかった」


 私は飲みかけていたコップの水を吹きそうになった。

 どこの世界に脅迫状を貰って嬉しがる人がいるだろう。


「変な奴だよね、アースシーってさ」


 ジルバがそう小声でいったけれど、ルウム艦長は彼を無視して話を続けた。

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