【12】炎の海賊

 ルースの話によると、黒い帽子に紅の羽飾りをつけた男達は、右手の漁船が係留されている桟橋へと向かったそうだ。


「ほらオレ、アースシーの兄貴の頼みで今朝荷物運んだんだけど。この先の漁船まで、それを持って行ったんだ」


 私はその船の特徴を詳しくルースからきいた。

 ひょっとしたらルウム艦長はそこにいるかもしれない。


「一人で行くって、いくらおねーさんが軍人でも危ねぇって!」


 この子は本当に優しい子だ。


「大丈夫。ちょっと様子を見に行くだけだから。でもあなたに一つ頼みがあるの」


 ルウム艦長が万一船にいて、奴等の不意打ちにあっていたら助けが必要になる。だから私はルースに軍港まで伝言を届けてくれるように頼んだ。


「財布ごと持って行ってもらっていいわ。それはあなたの報酬よ。だから早く海軍詰所まで行って、私の手紙を届けて頂戴。お願いね」


「……うん、わかったよ。オレ、猛烈にエルナンテより速く、急いで走るよ!」


 ぱっとルースが私の首筋に腕を回してきた。


「だからアースシーの兄貴、大丈夫だよね。兄貴がいなくなっちゃったら……オレ、ホントにひとりぼっちになっちまう……」


 私はその小さな肩をゆっくりと抱きしめた。


「ええ、大丈夫よ。あの人がそう簡単にやられるもんですか」


 ……やられるもんですか。

 私は子供を抱く腕に、ぎゅっと力を込めた。

 

 

 

 とはいうものの。

 相手が相手フラムベルクなだけに不安は募る。

 軍人だろうがなんだろうが、奴等はジルバ元料理長を含めて七人はいた。

 見つかったら捕まるのは必定だ。


 ルースと別れて私は一人、夜の闇に浮かぶ漁船を一隻ずつ見ながら、港の奥の方へと歩いて行った。彼がルウム艦長に頼まれて、アマランス号の船首像を運んだ船はすぐにわかった。


 誰もいない魚市場のそばの桟橋に、古びた――それでいて、周りの漁船より大きな船から男達の話し声が聞こえたからである。


 その船は二本のマストを持った遠洋用の漁船で、船首を海の方に向けて係留されていた。私は靴音が聞こえることを恐れ、それを静かに脱いで裸足になった。


 身を屈めて、足首にかかるドレスの裾を踏まないように手でつかみ、注意して、そろそろと漁船の右舷側へと近付いて行く。

 その時、何かが甲板へと倒れる重い音がして、広場で聞いたあの低い男の声が漁船の前部甲板から聞こえてきた。


 私ははやる気持ちを抑えつつ、漁船の船尾から甲板へともぐりこんだ。

 つんと魚の臭いが鼻をつく。船尾は捕った魚を入れるための籠がいくつも置いてあり、私は危うくその一つに足を突っ込んで、前に倒れそうになった。


 急いでそこから足を抜いて、船の中央部にある操舵室まで這っていくと、ランプの光が目についた。扉のない操舵室を下からそっと覗き込んでみると、小さな作業台の上に一つだけランプが置いてある。


 操舵室の前方の壁は大きな窓があり、そこから前部甲板が見渡せそうだ。

 私は意を決して操舵室に入った。部屋のランプがついているから、気をつけなければ、こちらの姿が外から丸見えになってしまう。私は膝をついて窓の下まで行くと、海坊主のようにぬっと頭を上げて前方を覗き込んだ。


「……!」


 私は出かかった声を必死で抑えた。

 漁船の前部甲板は広く、操舵室の真ん前には大きな巻上げ機ウインチが置いてあった。そこから少し前の方に低めのマストがあり、その下で二人の男が、黒髪の若い男を甲板に押さえ付けていた。


 男達の傍らには見覚えのある、大きな灰色の帆布のようなもので覆われたが立て掛けられており、彼等を取り巻くように、三人の海賊と冷ややかな目つきでそれを見ているジルバ元料理長、そして、あの黒い帽子に赤い羽飾りをつけた背の高い男が立っていた。


 私は思わず唇を噛みしめ目を閉じた。

 甲板に押さえ付けられているのは、まぎれもなくルウム艦長だったからだ。

 コツ……と靴音を立てて、黒い帽子の男がルウム艦長の前に立った。


「警告したのに無視するからこうなる。俺を追うのはやめろと言っただろう? ルウム?」

「……ふっ。俺の船を燃やしただけでは飽き足らず、今更何の用だ。フラムベルク」


 黒い帽子の男――フラムベルクは肩を揺すって低い声で笑った。

 私はようやくあの男の顔をみることができた。

 奴は五十を過ぎた、一見上流階級を思わせる品性を備えた風貌をしていた。

 身なりも小奇麗で、その大きな両手には略奪品なのか、大粒の宝石をつけた指輪が幾つもはめられている。


 だが実際そうではない証拠に、その青白い顔の右頬には、引きつれたような火傷の痕が一筋、目の下から口元までついている。これが「炎の海賊フラムベルク」と奴が呼ばれる由縁だ。


 上品に笑っていたフラムベルクの風貌が、突如、海賊の本性そのもののように、凶暴なものへと変わったかと思うと、奴はやおらマントをひるがえして腰に帯びていた一丁の銃を抜き放ち、それをルウム艦長のこめかみへと当てた。


「用があるから、わざわざ出向いてやったのさ! 憎たらしいエーリエルの小せがれが。まさか俺の『女神』を、船首像にしていやがったとはな。まったく! それを知っていればあの老いぼれではなく、てめえの船を燃やしてやったのに、とんだ二度手間だ」


「……ふん。俺が追いかけたら、しっぽを丸めてロードウェルの船団へ逃げて行ったくせに。俺の船を見れば、お前の大事な女神がいることに気付いたはずだ。もっとも、それに気付いた頃には、俺が貴様の船を二度と浮かばないようにしていたがな」


「なんだと!!」


 フラムベルクが唇を震わせ、引き金を握る指に力を込めた。

 艦長が撃たれる。

 そう思った瞬間、フラムベルクの太い腕を、ほっそりしたそれがそっと制止した。ジルバ元料理長だった。


「まあ船長、落ち着いて下さいよ。ルウムはいつだって始末できる。まずは船長の大事な『女神サマ』が本物かどうか、見た方がいいと思うな」

「くっ……!」


 だがフラムベルクは腹の虫がおさまらないらしい。ぎりと音を立てて歯を噛みしめている。


「もしも偽物だったら、本物の女神像の行方は、このルウムしか知らないんですよ~? 今殺したら、永遠に像の行方がわからなくなってしまう。それでもいいんですか? 言っとくけど、は全然知らないですからね」


 フラムベルクはわなわなと唇を震わせた。


「うう……。くそっ! ジルバ、今はお前の言う通りだな。これで女神像がニセモノだったら、殺しても殺し足りないわ! ルウム!」

「……ふっ」


 嘲るようにルウム艦長が鼻で一笑した。けれどその青紫色をした鋭い眼光は、フラムベルクへの敵意で満ち満ちている。


「ジルバ。お前に助けてもらおうなんて、俺が思っていると思うか?」


 ジルバ元料理長は、フラムベルクの傍らで、ゆっくりと首を横に振った。


「勘違いするなよ、アースシー・ルウム。僕は、僕自身のためにああ言ったのさ。なんせ、あの像の事は君しか知らないんだからな」


「そうか。それならそれでいい。だがフラムベルク。貴様は今、俺を撃たなかったことを、きっと後で必ず後悔するだろう」

「……っだと!?」


 フラムベルクがいまいましげに、ルウム艦長のこめかみから銃を離したかと思うと、奴はそれを逆手に持って、いきなり台座で彼の顔を殴りつけた。


「へらず口ばかり叩きやがって!! 後悔するのはてめえの方だ、小僧が!」


 フラムベルクは一気にそうまくしたてると、甲板に顔を伏せ、微動だにしないルウム艦長を満足げに見下ろした。


「俺の『女神』が本物かどうか。それを調べるまで黙ってろ。てめえの顔を見ると、ぶっ放したくてたまらなくなる」


 フラムベルクは銃の台座から滴り落ちる血を指ですくい取り、それをゆっくりと味わうように口に含んだ。


「もっとも……偽物だったら、こんなものではすまさん……!」


 罵声と共に息を吐き出したフラムベルクは、マストの前に立てかけられた帆布の包みにぎらぎらとした視線を向けた。


「……」


 私は怖いと思う恐れのせいではなく、ただ沸々と沸き上がる怒りの感情のせいで体が震えるのを止められなかった。


 ――ルウム艦長の馬鹿。

 奴を挑発して、一体どうするつもりなの?


 あの短気なフラムベルクのことだ。女神像が本物であったとしても、奴はルウム艦長の命を奪うだろう。


 ――私は、どうすればいい?

 私にできることはないの?

 考えろ。きっと何か手はあるはずだ。


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