第六話 我慢強さ


― 王国歴1118年 晩秋 - 1119年 年初 


― サンレオナール王都




 ジュリエンは厨房に来る度、私の料理について意見を言ってくれます。


「今日のサラダの盛り付けはお前だろ?」


「その通りです。良くお分かりですね」


「お前が手を加えた料理はそりゃあすぐ分かるさ。何かいつも一工夫してあるもんな」


 ポールさんの料理を昔から食べてきたジュリエンは違いにすぐ気付くそうでした。料理人として第三者から評価を受けることはとても励みになりました。そういう意味でもジュリエンが夜中に厨房に来るのを私は心待ちにしているのです。


 このままではいけないと思いながらも、彼が訪ねて来る度にずるずると欲望の赴くままにお互いを求め合う関係が続いていました。


 ジュリエンは私のドレスを脱がさず、エプロンも調理帽もしたままでするのが興奮して萌えると言います。仕事が済んでエプロンを外していても、わざわざ私につけさせました。


 そしてエプロンの胸当てをずらし、ドレスのボタンを中途半端に外しただけの裸よりもかえって恥ずかしい私の姿に舌なめずりをしているのです。


 制服好きというかエプロンフェチなのもまるっきり嘘ではないでしょうが、ドレスを脱がすのも面倒でさっさと挿入して終わりたいがための時間短縮なのだろう、と私は冷めた見方をしていました。


 この関係が屋敷の人にばれると、私は職を失い、推薦状もないまま次の仕事を探さないといけない羽目になるかもしれないのです。


 避妊に失敗してデキてしまったらもっと悲惨な状態になります。妊娠中に就職活動をしてもろくな仕事にありつけないでしょう。そして父親の居ない子供を出産、極貧シンママだなんて目も当てられません。どっちにしろ、この関係はどう見ても私に不利でした。


 ですから避妊だけはきちんとするように気を付け、ジュリエンにも最初からしっかりと釘を刺していました。


「はっ、思わず仕込んじゃっただなんて、俺がそんなヘマするわけねぇだろ」


 憮然ぶぜんとそう言ってのける彼は最低男なのか、それとも責任感があるのか、とにかく少し安心しました。




 姉は私がクイヤール家に就職が決まった時にとても喜んでくれました。


「妹がお友達のお屋敷に就職するってフランソワに報告するわね」


「お姉さま、テネーブルさまとご家族は何ともお思いにならないでしょうけれども……公爵夫人の妹が伯爵家でこき使われている身だと、クイヤール家や他の貴族の方々に知られるのはあまりよろしくないかと思います」


「……それもそうね、ご免なさいダフネ。貴女にまで気を遣わせて」


 そんな経緯があって、私の就職先は伏せられているのでした。


 クイヤール家の方々からしても、まさか新しく雇った料理人が天下のテネーブル公爵家に嫁ぐ元男爵令嬢クロエ・ジルベールの妹だとは思いもしないでしょう。ジルベールなんて姓はどこにでもある名前ですし、そもそも一料理人の名前をお屋敷の方々が覚えているはずもありません。




 この年は晩春に姉の婚約、年末には母の再婚という、我がジルベール家にお目出度いことが重なった年でした。


 交際中のクリスチャンから母が求婚されたのは秋の紅葉が一番綺麗な時期でした。ラブラブの二人は出会って丁度一年の日に書類だけ提出して結婚しました。そして夫婦は王都南部に一軒家を購入し、年内にも新居に引っ越す予定なのです。


 新婚夫婦の母とクリスチャンが新しい家で生活を始めるのなら、私はクイヤール家に住み込みで働くことを考えていました。夫婦二人で水入らずの新婚生活を楽しんでもらいたかったのです。


 それでも母とクリスチャンの方から一緒に住もうと言ってくれました。クイヤール家の屋敷に住み込んでしまったらジュリエンとの不毛な関係からそれこそ抜け出せなくなりそうでした。私にとっては新居に家族で住む方が魅力的だったので、その言葉に甘えることにしました。


 姉も婚約が成立したのだから、もうテネーブル公爵家に越してしまえばいいというのに、私たちと一緒に新居に移ることになりました。結婚までは家族で過ごす時間を大切にしたいと言う姉に、今すぐにでも同居を始めたいテネーブルさまも強く出られなかったのです。


 私たちはクリスチャンも加えた家族四人で新しい年を迎えました。姉が嫁ぐ前に家族四人で迎える新年は最初で最後となり、とても感慨深いものがありました。




 そして年が明けてすぐのある夜、私とジュリエンの関係は何ともあっけなく終焉を迎えてしまいました。


 わざわざ厨房まで足を運んで来るのが億劫になった彼が、私に寝室を訪れるようにと言い出したのがきっかけでした。彼との逢瀬も病みつきになっていましたが、夢中になって主従関係を越え、のめり込んで職を失うわけにはいかないのです。


 私は思っていたよりも悲しみに暮れ、喪失感と虚無感にさいなまれていました。


 ジュリエンには嫌われてしまったけれども、路頭に迷うという最悪な終わり方をしなかっただけでもましだと自分に言い聞かせていました。


 自宅では新婚夫婦の母とクリスチャンに、結婚間近の姉の幸せに水を差さないように、私は歯を食いしばって一人喪失感に耐えていました。


 それでもある日、私がため息ばかりついていると姉から指摘されました。私が連日浮かない顔をしているのが気になっていたと姉は言います。


「ダフネ、何か悩みがあるのでしょう?」


「そんなことありませんわ、お姉さま。仕事が忙しいだけですから」


 話せるはずがありませんでした。姉によるとジュリエンとテネーブルさまは貴族学院時代からとても仲の良い間柄のようです。姉の愛する婚約者の親友のことを何と言って説明すればいいのでしょうか。


 そんな時、姉が私に朗報をもたらしてくれました。


「テネーブルのご両親のお知り合いの方が王宮人事院の上部にいらっしゃってね、以前から料理人の求人があったら教えて下さいとお願いしていたのです。そうしたら、律儀に私の頼みを覚えて下さっていてね。もうすぐ空きができるからと正式に求人が出る前に知らせてもらえました。ダフネ、応募してみたらどう?」


「ほ、本当ですか? 是非、挑戦してみたいです」


「人と人との繋がりって大切ですよね。それでも、テネーブル家の後押しだけでは就職は無理です」


「はい、分かっています。お姉さま、愛しています」


 そして私は天下の王宮に面接を受けに行くことになりました。姉が人事院まで案内してくれました。


 私は緊張していましたが、以前クイヤール家に初めて訪れた時ほどではありませんでした。社会人歴数か月の私も少し度胸がついてきたようです。


 王宮の厨房で料理人と言っても、普通職員用食堂、本宮の高位貴族専用の食堂、王族の食事専用の厨房と、職場も仕事内容も様々なのです。今回空きが出来たのは本宮にある大厨房の料理人の職でした。


「貴女に就いてもらう職は昼食と夕食の時間帯です。場合によっては早番になることもあります。来月の頭から来られますか?」


「私は採用ですか? はい、来月でもいつでも、もちろん大丈夫です」


「貴女を雇うことにしたのは、テネーブル家から紹介されたからだけではなく、貴女が学院を優秀な成績で卒業したからです」


「あ、ありがとうございます。私、テネーブル公爵家や学院の恥にならないように努めます。よろしくお願いいたします」


 王宮の職は職種にかかわらず人気なのはいつの時代も変わりません。待遇も将来性も、他で働くよりもずっと好条件なのです。私は信じられない気持ちで雇用契約書に震える手で署名をして、帰路につきました。


 クイヤール家の仕事に不満があるわけではありませんが、ポール料理長の奥さんが王都に帰ってくると私の勤務時間は大幅に減らされることになるでしょう。


 それにジュリエンにもう顔を合わせなくてすみます。彼の姿を見る度に、自分の立場もわきまえずすがりつき、私を捨てないで、また抱いてと言いそうになる気持ちを抑えなくてもいいのです。




***ひとこと***

へぇ、ジュリエンってやっぱりエプロンフェチだったとは……ということは置いておいて……


ダフネは家に帰るとラブラブ新婚夫婦のキャロリンさんとクリスチャンに結婚間近のクロエが居るのです。これはキツいです。


我慢強さ ガーベラ(オレンジ)

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