第五話 別れの悲しみ

― 王国歴1119年 年初


― サンレオナール王都、西端の街ペンクール




 マドレーヌと定期的に逢瀬を続けるうちに、わざわざ俺の方からこそこそと厨房を訪ねるのが段々面倒になってきた。大体彼女は通いらしく、毎夜残っているわけではない。


 マドレーヌが抱けると思って厨房に降りて行っても彼女はもう帰宅していて厨房には誰も居ないことが何度もあった。


「なあ、次は仕事の後に俺の部屋に来いよ。寒い日はやっぱ食料庫よりも快適で温かい寝台でヤリたいし」


 ある夜、情事の後にそう提案してみた。


「それは出来かねます。私は料理人なので若旦那さまのお部屋に伺うことは禁止されておりますから」


 俺を拒むことなどなかったマドレーヌが、その時だけはきっぱりと断ってきた。


 コトの最中は俺のことをジュリエンと呼ぶの彼女も、一旦体が離れてしまうと若旦那さまになり、言葉遣いも勿体ぶったものに戻ってしまう。


「仕事中じゃなければいいだろ。大体うちの人間は皆夜早いから誰かに見られることなんてないさ。もしそうだとしても夜食を持って行くように俺に言い付けられたって言い訳なんていくらでもできる」


「それでも、無理なものは無理なのです」


 マドレーヌはそこで微笑みながら静かにため息をついていた。まるで俺が聞き分けの無い小さい子供であるかのような態度にカチンときた俺の口からは言ってはいけない言葉が発せられていた。


「俺、家に女を連れて来て自分の部屋に入れるなんて今までなかったんだぜ。その俺が特別に呼んでやってんのに」


「ヤりたい時に指を鳴らせば喜んで貴方のお部屋に伺って股を開く、そんな都合の良い女をお求めでしたら他を当たって下さい」


「何だよ、その言い草は。お前だって俺に抱かれて毎回よがりまくって、イイ思いしているくせに!」


 そのままマドレーヌは真っ赤になって黙り込んでしまい、俺はむしゃくしゃしたものだからきびすを返して食料庫を後にしたのだった。それは年が明けてすぐの寒い夜のことだった。




 当時の俺は何とも身勝手で、マドレーヌの立場も気持ちも分かっていなかった。実際俺が命じて彼女を部屋に呼び込んでいたとしても、執事や両親は使用人の彼女の方をとがめて、良くて減俸で悪ければ首にするだろう。


 以来俺は意地を張って厨房のマドレーヌを訪ねることを辞めた。もし彼女の方から謝って俺にすがりついてくるなら許してセフレとしてキープしてやろうと考えていた。俺はそんな自分勝手極まりない最低男だった。


 一介の料理人マドレーヌへの興味はただの性欲であって、それ以上ではないと自分で自分にきつく言い聞かせていた。その後も俺は裏庭で鍛錬している時に彼女の姿を何回か見かけたが、使用人の彼女から俺に声を掛けてくることはなかった。




 西端の街ペンクールへの遠征の話が俺に持ちかけられた時はまだまだ寒さも厳しかった。俺はその提案に飛びついた。


 マドレーヌとあんな形で喧嘩別れした後は毎日虚しく過ごしていたのだ。別れ、というか彼女とは単に体だけの関係で付き合ってもいない。それでも彼女の存在が気になる屋敷から出られると思うと少し気が紛れそうだった。


 そして俺は正式に辞令を受けると、その翌日にはペンクールへ出発した。人手不足の国境警備隊に張り切って加わった俺はしばらく王都に戻るつもりはなかった。娯楽も多い派遣先の街で羽を伸ばして一人気楽に過ごすつもりだった俺だが、実は楽しかったのは最初の数週間だけだった。




 春になり、親友フランソワの結婚式に招待されていた俺は一か月半ぶりに数日間だけ王都に戻った。


 その時に我が家の厨房を何度かこっそり覗いてみたがいつもポールとその妻だけが働いていて、マドレーヌの姿が見えなかった。ポールが彼女を呼ぶ声も聞こえてくることはなかった。


 出される食事も、マドレーヌが来る前の定番ポール料理に戻ってしまっていた。その時はまだ何とも思わなかった。ポールに言われて買い出しにでも出掛けていたか、それともその日彼女は休みだったのだろうと呑気な考えだった。




 親友のフランソワは結婚前に爵位を譲り受け、テネーブル公爵を名乗っていた。王族に次ぐ天下の公爵という身分の彼だが、何ともお茶目で憎めない人物なのだ。だからこんな俺とも学院時代からの腐れ縁が続いている。


 高級文官として勤めているフランソワは職場の後輩に恋をして交際を始めてからというもの、めっきりと付き合いが悪くなった。そして晴れて婚約が成立するとうちの家族全員、婚約者のクロエさんに紹介されていた。


「へぇ、あのクロエ・ジルベールさんを選ぶなんて、実は女性を見る目があるのだね、フランソワは」


 彼の婚約を知ったうちの兄は何気に奴のことを褒めているのだかけなしているのだか、そんな発言をした。兄は案外クロエさんに横恋慕していたのかもしれない。


 彼女は絶世の美女でもなく、真面目そうな地味な顔立ちで、身分も落ちぶれた男爵家の出である。


 フランソワによるとクロエさんとの交際から結婚に至るまで苦労に苦労を重ねたらしい。そして遂に愛しい彼女を射止めた俺の悪友は、正にデレデレの骨抜き状態で、既に完全に婚約者の尻に敷かれてしまっているのだ。


 就職したばかりの頃から、結婚なんて人生の墓場だなんて言っていたあのフランソワがである。そこまで恋にうつつを抜かして突っ走る彼を揶揄からかいながらも、少し羨ましいと思っている自分が居るのは否定できない。


 まあとにかく、そんな彼の結婚を祝うためなら親友として遠方からでも何としてでも駆けつけたかったので、休みが許可されて本当に良かった。




 さて、新郎新婦の友人たちにとって、結婚式とは同窓会のようなものでもある。俺は晩餐会で顔馴染みの友人たちとの近況報告で忙しく、ダンスをするわけでもなく、ただ飲んで喋っているだけだった。


 そこで小広間に入って行く友人の一人を見つけ、一言挨拶をしようと彼を追いかけて俺もその部屋に入った。そこには既に何人かが陣取っていて、酒を飲みながら賑やかにしていた。


「流石に公爵家の結婚式ともなると規模が違うよなぁ」


「招待客はほとんどテネーブル家側の人間ですけれどもね」


「そりゃそうだろう。奥さんの方は取り潰しになった男爵家出身で、庶民同然の生活をしているそうだから。貴族の集まりに呼べる親戚も知り合いも居ないのさ」


 出来れば耳にしたくない会話だった。


「どうやって公爵夫人の座を射止めたのか、大いに気になるところよね。彼女、見た目によらずあっちのテクがスゴいとか? ほら、下々の者は誰彼と構わずねやでの技を磨くそうですものね」


「そりゃあそうさ、誰もが口に出して言わないだけで、なぁ? フランソワはまんまと篭絡ろうらくされて、もう仕込まされたのかもよ。数か月もすれば分かるさ」


 俺は酔いが一気に醒めてしまいそうだった。


「あぁーあ、ここは空気が悪いな。おい、今の会話、テネーブル家と新婦の家族の前で堂々と出来る度胸があるならしてみろよ」


 普段なら聞き流すところを、思わず突っかかってしまった。友人夫婦が侮辱されるのは許せないが、彼らの結婚式で揉め事を起こすのも本当は避けたいところだ。


 俺の言葉にシーンと静まってしまった小広間の面々だった。


「大体な、フランソワの方がクロエさんに振り向いてもらおうと必死になってストーカーの如く彼女を追いかけ回していたんだぜ。新郎新婦と親しくしている人間なら誰でも知っていることだ。それに、二人は去年の夏に婚約して今日式を挙げたんだ。デキ婚なわけないだろ。それに今更そんなこと誰が気にすんだよ?」


 小広間に居る人物全員を威嚇するように見回した俺は、部屋の角に居た女にふと目が留まった。


 その大きな目を更に見開いていた彼女は俺と目が合った瞬間にきびすを返して俺と反対側の庭に面した扉からさっと出て行ってしまった。


 俺は一瞬、人違いか幻かと思ったが、あの印象的な碧い瞳を見間違えるはずはない。我が屋敷の下働きの女がどうして着飾って公爵家の結婚式に招待客として居るのか、追いかけようと気が焦っても、咄嗟に足が動かなかった。


「オイッ! お前何でここに?」


 そう叫んでマドレーヌが去った出口にやっと駆け寄った。しかしテラスにも庭にも、濃い桃色のドレスを着た彼女の姿はもうなかった。その後大広間でしらみつぶしに探しても彼女は見つけられなかった。




***ひとこと***

ここにも一人、西端の街ペンクールへ遠征する人がおりました。ジュリエンも例外なく、試練か災難にぶつかるに決まっています。


クロエとフランソワの結婚式に居たマドレーヌちゃんらしき人物、正体知らぬはジュリエンばかりなりー。


別れの悲しみ キンセンカ

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