第十話 熱烈な恋


 クリスチャンとの関係はお互い想い合っている限り、続けていきたいのは山々です。しかし、同僚の彼女の気分を害してしまったら彼の仕事に障るのではないかと、それだけが心配でした。


 彼女を置いて喫茶店を出た後、私はクリスチャンの自宅に向かいました。彼はまだ出勤していませんでした。


「キャロリン、お早うございます」


「今日はまだいらっしゃったのですね、クリスチャン。朝食はもうお召し上がりになったのですか? まだでしたら急いで準備致しますわ」


 市で買ってきた野菜を片付けている私を後ろからクリスチャンは抱き締めて首筋に口付けてきます。


「いえ、もう食べました。顧客の一人と昼前に約束があるので、それまでに出ればいいのです。ねえ、キャロリンいいでしょう?」


 彼が私の体をまさぐっていますが、今朝に限っては仕事前の彼に抱かれるのに少々抵抗がありました。少しだけクリスチャンの体を押し返してしまいました。


「本当に時間は大丈夫なのですか?」


「もちろんです。さあ、早く、らさないで下さい。私は貴女と時間いっぱい愛し合いたいのですから」


 年下の彼にそう甘えられると私の体も熱くなり、火がついてしまいました。


 それでも私のせいでクリスチャンの仕事に支障をきたすようでは、あの同僚の女の子に何か言われかねません。しかも暑い季節ですから窓が開いています。二人でまぐわっている時のあられもない声がすぐ下の事務所に聞こえないか、少々心配でした。


「外に声が漏れてしまいますわ」


 彼の腕から逃れて寝室の窓を閉めました。


「私は人に聞かれても構いませんし、貴女が外を気にせず大胆によがり声を上げるのを聞きたいのです」


 クリスチャンはそんな言葉を私にささやくので私も開放的な気分になっていました。


「ああ、クリスチャン……」




 激しくお互いを貪り合った後、クリスチャンはすぐに身支度を始めました。


「キャロリン、貴女はゆっくりなさっていて下さい。腰が立たないのでしょう?」


「も、もう……誰のせいだとお思いなのですか?」


 彼の言葉に甘えて、私はまだ気だるい余韻に浸っていたくて寝台に横になっていました。


「貴女のお陰で今日も一日頑張れそうです。行ってきます。愛しています、キャロリン」


「私もですわ」


 すっきりとした笑顔を残してクリスチャンは出勤していきました。




 今朝、あの若い女性に言われたことは私の胸の中にしまっておくことにしました。クリスチャンが彼女ではなくても誰か他の女の子に目移りしてもしょうがないという気持ちはいつもあります。


 一途で誠実に私のことを愛してくれる彼は、男性としても一人の人間としても尊敬できる人です。彼が幸せになれるならそれでいいと心から思えました。何と言っても彼のお陰で私は女としての自信を取り戻せたのです。


 その日、クリスチャンは仕事で遅くなると言っていたので、私は午後早めに帰宅しました。最近彼は朝遅く出掛け、帰りが夜になることが多かったのです。


 不動産の仕事は家の買い手や売り手の都合に合わせないといけないので、夕方や夜に顧客との約束が入ることもしょっちゅうでした。


 私が娘二人と遅めの夕食をとっていた時でした。仕事帰りのクリスチャンが訪ねて来ました。


「まあクリスチャン、お仕事お疲れさまでした。お夕食をここでお召し上がりになりますか? 私たちも丁度食べていたところです」


「今日は真っ直ぐ帰るつもりだったのですが、どうしても貴女の顔がまた見たくなったものですから。しばらく取り組んでいた案件に目途が立って、一安心できたのです。夕食は私の食べる分があるのでしたら、軽く頂きます」


 彼は私の唇に軽く口付け、娘二人にも挨拶をしています。


「こんばんは、お嬢様方、ご機嫌麗しゅう」


「クリスチャン、聞いて下さい! 私、遂に就職先が決まったのです」


「それはおめでとうございます。良かったですね、ダフネ」


 ダフネは特にクリスチャンに懐いています。いつの間にかゴティエさんではなく、名前で呼ぶようになっていました。


「ええ。王宮料理人にはなれませんでしたけれど、ある伯爵家の厨房に職を得ることができました。再来週から仕事を始めます。私もやっと社会人ですわ」


「貴族のお屋敷ということは住み込みですか?」


「いいえ。通うことにしました。だって私はお姉さまとお母さまの面倒を見て、食事も作らないといけないのですもの」


「ダフネ、いくらなんでもそれは言い過ぎよ」


「あはは」




 その夜、娘たちは例によってさっさと自室に引き上げてしまい、私とクリスチャンは居間で二人になりました。


「クロエは来年結婚、ダフネも就職が決まって、私もやっと肩の荷が下りました。それにしても女性として一番輝いている時に、育児と借金返済に追われていて……今になって年下の貴方との恋にうつつを抜かして浮かれているだなんて」


 私も今朝の出来事があって、色々思うところがありました。


「今まで貴女が独り身で頑張っていたお陰で私は貴女と巡り合うことができたのですから。それに貴女は今も十分美しく輝いておられますよ」


「私、貴方に甘やかされてちやほやされて、だめになってしまいそうですわ」


 クリスチャンが私の元を去ってしまうと、私はしばらくの間、孤独と虚無感にさいなまれることでしょう。


「貴女を思う存分甘やかして愛して、私なしでは生きていけない体にするのが私の目的ですから」


「い、いやですわ、クリスチャンったら……」


 こんな会話をダフネに聞かれようものなら後で散々からかわれるに決まっています。


『もうお母さまとクリスチャンったらぁ、ばかっぷるに成り下がってしまって』


 彼女は何かある毎にそんなことを言うのです。




 それからしばらくして、クリスチャンが益々忙しそうにしているので私は彼が体を壊さないか心配になってきました。


「事務担当の女性が突然辞めると言うのですよ。今回の人は一年ももたなかったなあ……何でも親御さんに縁談を勧められて、故郷に戻るそうです。今新しい人を募集中なのですが、中々条件に合う人が見つからないのです。引き継ぎが間に合えばいいのですが。貴女に会える時間が減ってしまって、私は寂しくてしょうがありません」


 彼は何のやましいこともなさそうでした。


「まあ、そうだったのですか……くれぐれも無理だけはしないようにしてくださいね」


 その彼女がクリスチャンの事務所を退職する直前、再び私に絡んできました。彼を訪ねる私と事務所の前でばったり鉢合わせしてしまったのです。


「良かったわね、私の方から手を引いてあげるわ。あんな熟女専のオッサン、こっちからお断りよ!」


「貴女もお幸せにね」


「最後の最後まで嫌味な年増女ですこと!」


 彼女の精一杯の虚勢なのでしょう。そこで笑ってしまわずにはいられませんでしたが、真面目な顔を崩さないように努めました。




 もうすぐ季節は秋になります。菩提樹を見る度に私はあのティユール通りの家のことを思い出していました。


 紅葉の季節のあの家も見てみたい気がしましたが、クリスチャンにも聞けずにいました。きっともう良い買い手がついたのでしょう。優しい彼のことですから、私が残念がるのを分かっていて何も教えてくれないに決まっています。




***ひとこと***

ライバル小娘の妨害も何のその、二人の堅い絆はびくともしません。さて、今のところクロエとフランソワは婚約が成立して少しリードしていますが……キャロリン・クリスチャン組は追い抜くことができるのでしょうか?


熱烈な恋 バラ(赤)

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