7

×××

 ピンポン。朝の早い時間のチャイム。さちほは目をこすって玄関に向かう。

 宅配人が立っていた。両手にはダンボールの箱。

 差出人欄を見て、さちほは一瞬で目が覚めた。何も書いていない。二回目の贈り物だ。

「……受け取れません」

 自然に言葉が出ていた。一度目は受け取ったけれど、二度目は怖くて受け取れない。

「はっ……」宅配人が短い言葉を発する。「受け取れないって、どういうことですか」

 焦って早口になっている。無理もない。持ってきた品物を受け取らないなんて滅多にないのだろう。

「困ります。受け取ってもらわないと」

「でも、私、身に覚えがないんです」

 さちほは必死に抵抗した。でも宅配人も引き下がらない。

 仕事だから。彼にとっては中身が何であろうと関係ないのだ。腐っていても危ない品物でも届けば仕事を全うしたことになる。

 埒が明かない。そのまま五分は過ぎた。宅配人は電話をしている。営業所だろうか。受け取ってくれないんです――。そんな声が聞こえてきた。

 そのとき、怜美が言っていたことを思い出した。証拠になる。メールや電話の履歴と同じように、贈り物も被害の証明になるのだ。

 宅配人は困っている。それでさちほは受け取ることにした。宅配人はほっとした表情を浮かべた。さちほはサインをして、玄関を閉める。

 箱を開けるとアンクレットが出てきた。さちほは気味が悪くなってすぐに箱を閉じた。できるだけ遠ざけていたくて、玄関の靴箱のなかに入れた。

 一体、誰の仕業だろう。心当たりはない。しかし、頭によぎるのは先日話した金成の姿だった。疑いは晴れたはずなのに、頭からは離れなかった。それもこれも彼の生来の気持ち悪さが影響していたのだと思った。

 金成を問い詰めて、日を置かず贈り物が届いた。通常だったら、やはり金成を疑わざるを得なかった。けれど二日しか経っていないのに、あえて疑われるようなことをするだろうか。ましてやあの金成。自分を賢いと思っている男が、こんな愚かな真似するわけない。

 さちほは再び光彦に連絡した。しかし光彦は軽視した態度を取り続けた。

「乱暴されたとかじゃないんだろう。貢ぎ物だと思って、贈らせとけばいいじゃねえか」

 豪胆だとは思う。でも光彦は被害者じゃないから悠長なことを言っていられるのだ。

 さちほは呆れた。光彦が頼れると思ったのは自分の間違いだったかもしれない……。

×××

 それは唐突に起こった。

 大学の実験が長引いたせいで、帰りが遅くなった。同じグループの馬鹿女が立て続けに実験に失敗したのだ。ようやく終わったと、時計を見ると時刻は夜の八時。手早く器具を片付けて、大学を後にした。

 なんであんなにしゃしゃり出てくるのだろう。できないなら黙っていればいいのに。

 気持ちが前に出て、歩みを速めた。日が長い季節とはいえ、この時間になるとさすがに心細かった。

 大学からアパートに帰る途中、道が細くなる場所がある。そこは車も通らなくて、さちほはいつも歩調を速めていた。とくに、ストーカー被害に遭ってからは、日が落ちる前に帰れるように気をつけていた。

 街灯が点滅している。木々の繁茂したところが闇を深くさせている。

 ふいに、足音が聞こえた。気づいたのは車の通りがなくなったからだ。アスファルトを擦る靴音だけが団地の壁に反響していた。

 コツコツ。

 後ろに誰かいる――。それも遠くない距離。振り返りたかった。でも、振り返ったら逆に不審に思われるかもしれない。偶然に同じ道を歩いているだけだろう。団地があるし、気にしすぎだと、思っていた。けれど、歩けど歩けど音はなくならない。確かに聞こえる。同じ音量、同じ靴音で。ずっと付けてくる。

 さちほは足を止める。振り返る。名も知らない虫が目の前を横切る。誰もいない。気配はあるのに誰もいなかった。

 どこかの家に入ったのだろうか。いや、そんなはずはない。ずっと聞こえていたんだ。どこかに隠れている。どこだ? 茂みのなか。自転車置き場、フェンスの後ろ……。

 ――いた。フードを被った男が闇に紛れていた。

 汗が噴き出して、心臓が鳴っていた。

 家までは少しの距離だ。平静を装って歩き、曲がり角でダッシュした。アパートの階段を駆け上がり、施錠する。覗き穴から外を窺う。つけられている様子はない。

 息が荒い。さちほは玄関の戸を背に、座り込んだ。

 誰がこんなことを。金成? いや金成は違うと結論づけたばかりだ。まさか、隣人。あんなに部屋で騒いだから。だったら光彦……? それも違う。だって光彦はサプライズ嫌いだから。ああ、光彦だったらどんなにいいことだろう。だとしたら残るは勘違い、被害妄想、幻覚? いいや、絶対にいた。あれは誰だ。フードを被った男。

 これまでは贈り物だけだった。それがついに姿を現したのだ。着実に悪化している。ストーカーのペースに乗せられている。さちほは身の危険を感じた。

 スマホが震えた。画面を見ると非通知表示だった。

 さちほはスマホを落とす。出られなかった。切られるのを願っていた。出たら取り返しがつかなくなる気がした。電話は鳴り続ける。振動が止まっても、また鳴った。不在着信が溜まっていく。電源を切って一時間後に起動した。すぐに電話は鳴った。

 さちほは頭を抱えた。耳を塞ぐ。何も聞きたくなかった。ついに限界を迎えて、電話に出た。

「いい加減にして!」

「さちほ、どうしたんだよ」

 電話の向こうから狼狽した声が聞こえる。光彦だ。画面には光彦と記されていた。いつの間にか非通知の電話は止まっていた。

「助けて……」

 涙声でさちほは懇願した。フードの男。あれはきっと金成だった。思い返せば背格好は一致していた気がした。助けてほしかった。実家を継いでもいい――金成が言っていたことを光彦に伝えた。光彦は怒るだろう。でも、光彦に火をつけたかった。自分のために行動してほしかった。電話の向こうから息づかいが聞こえる。荒っぽい、獣のようなそれは出会った頃の光彦。

「分かった」

 光彦は言った。簡素だが、それがさちほを充分に安心させた。

×××

 さちほの部屋の上階で、金成拓也はほくそ笑んでいた。手にはネックレス――さちほの五味袋から取り出したものを様々な角度から見ている。

 そこにチャイムが鳴った。玄関を開けると、柄の悪い男が三人立っていた。金成はそのうちの一人に襟を掴まれて室内に引きずられる。離してくれ、と叫ぼうとしたところに腹に一発拳をくらった。

「黙っとけ」

 椅子に座ると手足をダクトテープで固定された。

「神前からの伝言だ」

「な、なんですか。離してください。誤解です助けてください……」

 足の爪にペンチのようなものを当てられる。

 金成は叫んだ。けれど、口のなかの布のせいで声は届かない……

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