8

「それいつまで取っておくの」

「気が向いたら捨てる」

 光彦が瓶を持って光に翳している。瓶のなかには金成の爪が入っていた。赤い肉片が小魚のように揺らめいている。光彦はこうやって制裁の証拠を取っておく。付き合いたてだった頃には引いたけれど、もう大して気にならない。

 金成へ制裁をしてからストーカー行為はなくなった。贈り物はもちろん、後ろからつけられるなんてこともなくなった。金成は学校に来なかった。ネックレスが見つかった以上、言い逃れはできっこない。

 警察には通報していない。ストーカー行為がなくなったし、金成への制裁がバレてしまうからだ。下手したら傷害で訴えられてしまう。ま、それをしたらストーカー行為も露呈するのだが。とにかく、もうお互い済んだこと。金成には光彦の仲間から、今後近寄るなと伝言してもらった。これで安心だろう。

 さちほは光彦の腕に抱かれる。シーツに皺が寄る。二人は裸だった。

「だからストーカーされたんだろうな」

「どういう意味」

 さちほは光彦の顔を見上げる。暗がりの光彦は笑っていた。

「こんな身体だから」

 と、さちほの身体を手の甲で撫でた。

 配慮のない言葉だ。本人は褒めているつもりか、あるいは慰めてくれているつもりなのだろうが、身体的な特徴を言われていい気はしない。

 潮時かもしれない――さちほはそう思った。出会ったときの、あの心が躍る感覚はなくなっていた。女性を下に見たような態度や暴言、そういったものもある。我慢の限界に到達していた。

 いつか、やんわりと切り出そう。遠くないうちに。さちほは心に決めた。

 そうやって考えていたから、光彦が腕を強く絡めてくることになかなか気づけなかった。

「いたっ。ちょっと、光彦、力強すぎ」

 光彦の手を振りほどいて、さちほは起き上がる。いくら情熱的になっているとはいえ、力加減は考えてほしい。さちほは電気をつける。そこで異変に気づいた。

「光彦……?」

 光彦は、うっと呻いたかと思うと、胸を押さえて喘ぐ。

「ちょっと光彦。冗談止めてよね」

 光彦は身体を弓なりに反らす。その演技に、さちほは苦笑いする。けれど光彦は止めようとしない。あろうことか口からよだれまで出している。ただごとじゃない――そう思った。

 痙攣は止まらない。鈍い音を立ててベッドから落ちる。演技じゃない。打ち所なんか考えずに床に落ちたのだ。それでさちほはようやくことの重大性を把握した。

「ねぇ、光彦! 光彦ってば。大丈夫?」

 さちほは光彦を揺さぶる。呼びかけても答えない。叩いても反応がない。

 救急車――。救急車を呼ばないと!

 動揺しながらさちほはスマホで救急車を呼ぶのだった。

×××

 光彦が死んだ。さちほは信じられなかった。昨日まで元気だったのに、あっという間に告別式まで進んだ。心臓の持病を抱えていたのは家族から聞いた。さちほは型どおりの言葉を述べて席に着いた。式は厳かに、滞りなく行われた。さちほは呆然と光彦の遺影を見ていた。葬儀には怜美たちも来ていた。和解はできていなかったが、葬儀の場で持ち出すことはなかった。

 さちほは冷静だった。というより現実を受け止められなかっただけかもしれない。金成が来るまでは。

 金成を目にしたときさちほは我を忘れた。金成を制裁して時を置かず光彦は死んだ。無関係であろうはずはない。葬儀が終わるのを待って、金成に近づいた。

 さちほは金成にネックレスを投げつける。

「あんたが光彦を殺したんでしょ」

 金成は虚ろな目をしてさちほを見た。

「何か言いなさいよ!!」

「…………僕は殺してません」

「嘘言わないで。あんたに……あれがあった途端に光彦は死んだ。関係ないなんて言わせない」

「あんなことをしておいて、よく僕にそうやって言えますね! 何話しても理解できないんだったらはなから話しかけないでください」

 金成はその場を去ろうとする。さちほは腕を掴んだ。

「離してください」

「いや。話を聞かせてくれるまで離さない」

 それでも金成は腕を振りほどこうとした。さちほは足を踏んだ。爪が剥がれているところを強く踏み込んだ。

「あああああああぁぁ」

 金成は叫ぶ。しゃがみ込んで、足を両手で覆っている。惨めなものだ。でもこいつが真実を語らないのだから仕方ない。

「さちほ、落ち着いて」

「邪魔しないで!」

 後ろから怜美たちが駆け寄ってきた。さちほは引き離されまいと金成を掴んだまま。

 余計なことを、とさちほは思った。二人の問題なのにどうして部外者が介入するのだろう。弔問客がじろじろとこっちを見ている。目鼻口が馬鹿みたいに開かれている。さちほは急に阿呆らしくなって金成を掴んでいた力を緩めた。その隙を見て、金成は足を引きずるようにして逃げるように帰っていく。さちほはその無様な姿を見ている。

「さちほ……どうしてこうなっちゃったの」

 髪を乱しながら怜美は言った。さちほが暴れたから怜美の黒髪はボサボサになっている。

「分かんない」

「分かんないって……。今日で光彦くんとお別れなんだよ。さちほのそんな姿見て、光彦くん喜ぶわけない」

 そんなこと言われなくても分かってる。

 さちほは笑いそうになった。だって怜美は心にも思っていないから。そういうメロドラマみたいな言葉を吐いて、他人を慰める自分を愛らしく思っているのだ。つくづく自己愛が強い女。

 だから怜美には言うつもりはない。どうせまた麻衣はおろか、あらゆる人に言いふらすに決まっている。それどころか妄言として処理されて信じてくれることさえ怪しい。金成が殺したなんて。

 言い返すことはしなかった。さちほは黙って、そこから離れていく。ついてくる者はいない。光彦の遺影の笑顔がいつまでも脳裏に焼き付いていた。

×××

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