贈り物を受け取って

佐藤苦

1

 寂しい顔にアイラインが入ると人間味が出てくる。顔立ちが淡泊だから、こうして化粧して何者かに化けないと石橋さちほは誰にも会いたがらない。特に大学なんて不特定多数の交流があるところでは。

 ピンポン。チャイムが鳴ってさちほは玄関に向かう。穴から覗くと帽子を目深に被った宅配人がいた。朝の八時という時間帯はさちほを不機嫌にさせた。

「ここにサインを。フルネームでお願いします」

 返事もせずに言われるままサインした。蛇がもんどり打つような字を連ねると、宅配人は愛想笑いをする。急いでいたからかなり省略していた。

ドアが閉まったことを確認して、箱を見つめる。宛先は自宅の住所だ。けれど宅配なんて頼んでいない。最近は節約のためにネットショッピングもしていなかった。身に覚えのない贈り物。一瞬、仕送りかもしれないと思ったけれど、親の性格を考えると連絡がないのはおかしかった。

 差出人が空欄なのも気がかりだ。まさか書き忘れることなんてあるまいし。少しだけ気味が悪かったけれど開けてみることにした。そう考えたのはこれが彼氏――神前光彦のサプライズの可能性が高かったからだ。

 厳重な梱包から出てきたのは4℃のネックレスだった。綺麗だからつけてみると似合っている気がした。今日の化粧にも調和している。飽きたら内緒でメルカリとかラクマに流せばいいからそれまでつけておこうと思った。このあいだケンカした光彦の機嫌も取れるだろう。光彦も可愛いところあるんだな。さちほはほくそ笑んだ。

 大学近くのアパートを借りたのは三ヶ月前の大学入学時だった。薬科大に遅刻は厳禁だ。先輩曰く、少し遅れただけで単位を認められないことがあったらしい。このアパートなら徒歩で行けるから寝坊しても十分で着いた。寮もあったけれど、バスで二十分かかる距離はセキュリティがしっかりしていても選択肢には加えられなかった。それに寮の規則で、外部の人を呼べないこともさちほの寮嫌いの原因だった。

 リュックに教科書を詰めていく。今日は月曜日だから重たい教科が重なる日だった。

 薬剤師に興味があったわけではない。薬学部に進んだのは実家が薬局を経営していたからだった。結婚したらパートで働けばよいし、いずれは実家を継げばいいと考えていた。

 教科書を詰め終わって、さちほは立ち上がる。玄関を出る前にもう一度鏡を見た。

 ――大丈夫。髪も乱れてない。

 それからリビングへ振り返る。プリント類は机に散らかってるし、流しの食器も洗い終えていない。ロフトのハシゴには服が掛かっている。

 こんなところ人は呼べないな。帰ったら掃除しないと――。

 そう思いながらさちほは大学に向かった。

×××

 開始一分前に講義室に滑り込み、まだ空席だった後列の席に座る。直後、慌てた様子で男子学生が入ってきて、きょどりながらさちほの隣に座った。

 講義室の席には偏りがあって、中央より前は指名されやすいから不人気だった。それで毎回、後列は混雑していた。男も目立たないことを第一に考えたのだろう。さちほは特段気にすることはなかった。

 医学概論は必修の講義だ。にもかかわらず空席率が高いのは、同様の内容を進級しても学ぶという噂のためだ。カードリーダーだけ通して講義室を後にする学生がいる。

 以前はさちほもそうしていた。けれど出席しているのは内職に適した環境だったからだ。ここなら適度な集中が保てるし、ついでに定期試験の情報でも得られれば棚ぼただ。光彦のカードを託されていることも関係あった。

 リュックからレポートを取り出す。医療経済学のレポートの締め切りが迫っていた。あの講義の教授はウザいことこの上ない。きっと人生でモテたことはないだろうなと思う。

「――つまりそういう理由で心臓の薬は併用禁忌なのです」

 教壇に立っているはげ散らかした教授が手元の資料を読む。しかし、教授本人も学生もやる気が感じられない。両者とも役割を分かっていて、義務的な講義を演じていた。

 と、講義が中盤に差し掛かったときだった。

「そのアクセサリー素敵ですね」

「はっ、なんですか急に」

「すみません。変なこと言って。教科書を見せてほしくて」

「はい?」

「実は慌てて出てきたために鞄に入れるのを忘れてしまいまして」

 男子学生が急に身の毛がよだつことを言った。入ってきたときは顔なんて見てなかったが、小太りで前髪が張り付いている、気持ち悪い男子だった。どうせ声を掛けてくるならイケメンがよかった。面識はない。さちほの苦手なタイプだった。

 ひょっとして何かの病気なのだろうか。男の手元にはルーズリーフとシャーペンしかない。どう見ても困っているようだったけれど、講義が半分以上進んだところで言い出すのは変わっている。ついでに言うとアクセサリーを褒めたところも。

 一人だったら親切はしなかった。しかし、周りの目が気になって教科書を渡すことにした。どうせ自分は内職しているから不要だった。

「ありがとうございます」

 男は礼を言って、教授の説明している項目を目で追っていく。

 汚してないか。勝手にマーカーしてないか。教科書を貸した手前気になってしょうがなかった。せっかく集中していたのに、疑心暗鬼に捕らわれレポートそっちのけで男を観察していた。

 あっ、と気づいたのはそのときだった。男の左頬の部分に花弁のような形の傷跡があった。さちほの記憶に同じ形の傷跡を持つ者は一人しかいない。四津川星琉(よつがわ・せしる)は小学生だった頃、気になっていた男子である。その男の子と形が瓜二つだった。

 しかし、と思い直した。記憶のなかの四津川星琉は痩せ型の男の子だった。

「今日の講義はここまで」

 教授が言って、すでに片付けを始めていた学生たちは一斉に出ていく。さちほも男から教科書を受け取ってから、それに続いた。

 馬鹿げた妄想だった。星琉くんがここにいるなんて。いつまで過去に囚われているのだろうか。いくら告白できなかったとはいえ未練たらしさはダサすぎる。

 さちほは頭から男のことを一蹴した。もちろん名前を調べようとも思わなかった。

 

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