「ふう。ごめんなさい。急な仕事入っちゃって。あれ。豚汁。もう食べちゃったんですか」


「あ」


「おお。すごい。画が描いてある。俺がここを出たのが零時だから、あれから四時間ずっと描いてたんですか?」


「あ。う」


「どうしたんですか。うわっ」


 抱きつく。抱きしめる。彼の存在を。確かめる。


「今回の対面は大胆ですね?」


「いなく。なったかと。思った。画のなかに。帰っちゃったと。思った」


 彼。一瞬だけ、黄昏。


「そうですね。あなたの描いた、あんな画みたいに。いなくなってしまいたいと思うことが、ときどきあります」


 抱きついたまま。彼の顔に。手を、伸ばす。頬にふれる。


「いなくなりたいの?」


「ええ。ときどき」


 伸ばした手の先。彼の頬。涙の感触。


「わたしも。一緒にいなくなっても、いい?」


「あなたも?」


「あなたと一緒にいたい。あなたの作るごはんを食べたい。あなたと。あなたと」


「待ってください」


「あなたのいるところで、画を。描いていたい」


「ストップ。だめです。そんな簡単に、勢いで決めちゃだめです」


「でも。あなたがいなくなってしまいそうで。わたし。あなたの黄昏に」


「黄昏か。そうだな。黄昏が好きなんでしょうね、俺は」


「わたしも。あなたの黄昏に、立っていたい」


「あはは」


「え?」


「あなたの黄昏に立っていたいとか。かっこいい台詞ですねえ。あはは。すごいかっこいい」


「ねえ。はずかしい。今の無し。取り消しで」


「あなたの黄昏に立っていたい。あははは」


「やめて。はずかしい」


 彼。泣きながら、笑っている。涙をこらえるような、黄昏の表情。


「まだ、何回か会っただけの関係です。一緒にいたいと思うには、早すぎる。何もかもが、早すぎる」


「うん」


「でも、俺も。一緒にいたいです。あなたと。仕事があるので四六時中とは言えないですけど。そうだな」


 彼の涙。やさしく、拭ってあげる。


「だめだなあ俺。泣いてばかりで」


「泣いてもいいよ」


 彼。何も言わず。わたしの腕のなかで、しばらく、泣いていた。わたしの服に、彼の涙の温もり。暖かい。彼の温度。


「一緒に。いてください。俺の隣に」


 絞り出すような、彼の心の声。


「はい。あなたのとなりにいます。一緒に」


 それだけでいい。一緒にいるだけで。それだけで、満たされる。これからも、ずっと。一緒にいよう。

 言葉は、要らなかった。抱き合ったまま。朝焼け。黄昏の光のなかで、お互いに手を伸ばす。

 伸ばした手の先には。あなたがいる。

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伸ばした手の先 春嵐 @aiot3110

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