道端に千円札が刺されていた


 炎天下のうだるような暑さに震えながら、道を歩いていたら、包丁に刺された千円札を見つけた。


 いや、どういうことかと思うかもしれない。だがこれは事実で、まっすぐ伸びた千円札を包丁がグサッと刺した状態で道に落ちていた。

 壁に磔刑のように、ではなく。道端に、磁石が何かみたく固定するように、お札の真ん中から少し右にズレたところにして富士山が映っていない面……つまり、野口英世さんの顔にブッ刺されている。

 おそらくこれは野口英世さんに恨みがある人物の犯行……と、するにはあまりにもショボいし意味もない。野口英世さんの人間性(主に金の貸し借りとかについて)の是非が別れることくらいは知ってるけど、現代でこんなことをする人はいないだろう。


 そもそも千円札というのは日本円に換算して一円玉が千個分の価値があり、中学までの僕の月の小遣いであり、そのへんのコンビニで一時間バイトするよりちょっと価値があるものだ。しかしそれでもお札としては最弱で樋口さんの五分の一。諭吉の十分の一程度の力しかない。

 しかし、同じお金でも自販機の下に落ちる硬貨だとか……そういう問題ではない。

 よほど無造作に上着のポケットに突っ込みでもしなければ財布の中で落ちないであろう千円札が、道に落ちているというだけで多少の事件性があるというのに、どういうわけか人為的と思われる包丁まで付加されているのだ。

 これはいったい、どういうことなのだろう。


 ……もし刺しているのがクナイだとか剣だとか異質で特別なものならまだいいが、刺さっているのは安物っぽさそうな包丁。もし刺さっているのがおふだとか昔の希少価値があるお札なら何かあるかもしれないけれど。そんなものはない。



 さて。ここで包丁を抜いて千円札を懐に入れるのは簡単だ。だか、これはあまりに見え見えすぎる。派手派手なルアー。或いは傘がすぐそばにある肉だ。

 大方その辺に誰かが潜んで交番に届けないことを咎めたりする……或いは、包丁に瞬間接着剤でも塗られている悪戯目的だろう。



 ……しかし、見逃すことはできなかった。

 なぜかというと僕の懐事情は非常に寂しく、その原因はお盆に小遣いをたかりにきた親戚のガキ共や連続して襲来する友人妹達への誕生日プレゼントだ。

 後者はともかく前者は高校生になったからといって、僕はまだ貰ってもいい年頃だろうに全くふざけた話だ。

 そんなわけで。普段なら心の余裕に任せて見逃してやるとこだが、今の僕にとってはたった千円されど千円ではなく、天から舞い降りた幸運のようなものであった。ついさっき千円足りなくて買えない本があったし。

 ……そう、絶対に包丁を抜かなくてはならないのである。



 ……こっそりと、周りに人がいないことを確認する。ここは人気のない道。…………もし通りかかった誰かに何か言われたら道に包丁が刺さってて危ないから捨ててやろうとしたとでも言い張ればいい。

 よし、では柄に何もないことを確認し、風も吹いていないことを確認し、お札を抑えて━━



「あれ、長谷川先輩ではありませんか。何をやってらっしゃる?」

「うおおっと!? いや何僕は景観悪化とか傷害事件を防ぐための善意の行動をとっていただけであって決してこの下のものに興味があったわけでは━━って君か。朝比奈」


 突然後ろ声をかけられビックリ反射的に言い訳を言ったが、よく見たら後輩の朝比奈だった。全く、驚かせやがって。


「……む。いけませんよ。道端で自殺なんて。いくらいいことなしで友人にも恵まれない不遇な人生を悲嘆したからといって、そんな事をしては周りの迷惑になります。ちょっと手頃な後輩とデートでもしてリフレッシュしましょう」

「君はいったい僕のことを何だと思っているのかな? そうじゃなくて、ただ僕はこれを抜こうとしただけだよ」

「ヌくだなんてそんな……周りに誰もいないとはいえいきなり何を言い出すのですか」

「わー、脳みそ春色。君は包丁の下にあるこれが見えないのかい?」


 何故か顔を赤らめている真面目風馬鹿は包丁の下のお札を見て、


「ん……な、なんてものが落ちてるのです!! ……え? いやなんで包丁に刺されているので??」

「知らない。現代アートか何かじゃないか?」

「と。とりあえず、一応写真撮らせてもらっても?」

「SNSにはあげない方がいいかもな。ほら、あるだろう住所を特定するってやつ……いや、あれは玄関前だし、そもそもそれやるのにこれを使うのもおかしいが」


 パシャパシャしてるの尻目に、包丁に手をかけて抜こうとする……が、思ったより固くて意外と抜けない。


「……というか、君はこーいうの咎めそうなのに咎めないんだな」

「え、えっと…………包丁がここにあったら危ないですよね?」

「………………そうだな!」


 こいつは真面目だった。素面でこういうことを言えるタイプのアレだった。



 …………話しながらも、僕は結構頑張って包丁を抜こうとしているんだけど、どうしてかまるで抜けない。地面の熱くなっているのにも耐え、側にいる朝比奈の目も気にせず両手で結構必死にやってるが……本当に抜けない。

 

「おや、意外苦戦しておられる様子。私も手伝いましょうか?」

「ぐ……ぐ……いや、なんか思ったより抜けない…………いやもう少しで…………」



「頼む。代わってくれ。君運動部だったろう?」

「はい。貧弱もやしの長谷川先輩よりは多分力がありますので!」

「ちっ」


 敬意にかけるな……。別に尊敬される先輩はやってないからいいけど。



「むっ……これはなかなか固いですね。先輩、折角ですから私の腰のあたりに手を回して引っ張ってください」

「大きなカブ引っこ抜くみたいに、か?」

「はい!」


 うんとこしょ、どっこいしょ。それでも包丁は抜けません。



「………………………先輩、ちょっと友達呼びますね!」

「馬鹿、そこまではしなくていい!」

「……私はこの包丁を抜かなくてはならないんです! 何があっても!!」


 ……ヒートアップしてしまった。

 このままでは数十分後には男女年齢様々にこいつに呼び出された人間でこの狭い道がごったしてまう。それはちょっとよくない。止めなくては。

 …………あ。



「んー……今思ったんだがここの地面、土とかじゃなくてコンクリだよな?」

「まあ、そうですね」

「普通、刺さるか? コンクリに」

「試したことないのでわかりませんが……頑張ればできるのでは?」

「ああ、そうかもな。けど……正直、こんなもののためにここまで頑張りたくない。それにコンクリに深く差し込むくらいなんだから…………下手に力入れて引っこ抜いたときに破れたりしたら……交換してもらえるかわからんし……なんかこう、もうやめないか?」


 なんか急に……絶対に抜いてやる。という熱が冷めてきた。そもそも夏の外でこんなことするくらいならコンビニでバイトでもしてた方がいい。


「しかし、それでは収まらない気がします!  私が毎夜毎夜この謎のことを思い出して悶々としてしまうことを許容するのですか!」


 朝比奈は……とっても熱中している。顔が赤いのは興奮からなのか、暑さからなのか。


「けど、このままじゃ熱中症になっちまう。ほら、一旦忘れて帰ろう。警察に連絡でもしとくから」

「え!!? じゃ、じゃあ……あとちょっとだけチャレンジさせてください!」

「ええい、僕にこれ以上言わせるな! なんかこれはヤバイ気がするんだよ!」

「では私一人でやらせてもらいますので先輩は帰ってください! ……そうしたら下の写真は私のものでいいですよね!」


 え?



「…………は? 写真? 千円札じゃなくて?」

「何言い出すんですか! 暑さで先輩こそダメになっているのではないですか? ほら、よく見てください、顔が刺されていますがこの……ちょっと僅かなところから見える顔は先輩の顔ですって! 少しエッチな半裸姿ですけど!」


 朝比奈の言ってることが何かおかしい。

 写真……? 写真に、見えている?


 僕には単なるお金にしか見えないのに……と、そこまで考えて。


「おい朝比奈、さっきスマホで撮ってたよな!? それちょっと僕に送ってくれ!」

「は、はい!?」


 スマホには…………やはり、千円札が映っている。けど、朝比奈が写真だって言ったってことは…………!




 その後、LINEとかで友人家族に送ったところ。全部違う反応が帰ってきて……その中には、紙とか写真ではなく、スマホだとかだったりもあった。

 これでようやくわかった。


 これは…………多分、見た人の願望とか、欲しいもの。好きな人とかの形に見えるけれど、絶対に取れないというタイプの存在だ。

 それで何がどうなるのか……ということはわからないが、さっきの朝比奈の熱中具合を見ると、気絶するまでチャレンジし続けただろうな。

 

 幸運だったのは…………僕が見たのが高々千円という、割とスパッと諦めれそうなものだったことだろう。それでも包丁を抜かなければならない使命感に駆られていたんだから…………うん。考えるとゾッとしてしまう。



「って、先輩。千円に見えていたってショボすぎませんか? せめて一万……というか札束くらいにしておいておくべきですよ」

「うるせー。君が口走ってたこと、忘れてないからな」

「あ! あれはですね!」


 ……朝比奈が幻視したのが僕。しかも半裸姿ってのは笑えないなあ。様子を見るに僕にとっての千円と価値がだいぶ違うし。

 少しだけこいつとの距離感を考えよう。僕は強くそう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る