ED No3 ある剣士の一人満足


 思うに、世界に生きるというのは何かしらの犠牲を強いるということなのだろう。

 根本的に、生き物というのは食べなくては死ぬという話でもあるが……より良い結果と順位を求めれば、誰かが下に落ちていくこととなる。全員同着の徒競走だとしても、本来なら一位になれた誰かを抑圧しなくてはならない。

 そうだ。僕らはいつだって何かを犠牲にしなくてはいけない。そんなのは当然の事実なのに……そのときがくるまで、目を逸らさなくちゃいけない。


「柳原先輩。私は人助けが大嫌いなんですよ」


 ……彼女、黒淵華燐はその点において酷く単純な割り切りをする。

 代価なしで基本動きはしないし、部活でも常に上に立つためにはおおよそできる全ての努力を行い、目を向けるのは常に自分。


 ……そんなふうな、仮面をかぶっている。


「…………華燐ちゃん。僕は、人生ってのはとにかく犠牲を欲するシロモノだと思っているんだよ」


 秋のひんやりとした空気は気持ちいいけれど、やっぱり陰鬱な気持ちは晴れない。彼女と話すのも、気が重い。


「先輩、よくわかってるじゃないですか。そうです。世界ってのはそういうクソみたいな構造です」


 生存競争に始まった全ての人類の歩みはそれを示している。ただ、生きるというだけで他者の何かを侵食する。それが、僕たちだ。

 

「ほんと、私って今まで絶対に強い側の人間なんですよ。だから先輩みたいな弱い側の人たちの気持ちとかわからないんですけど…………ええ! この世界は誰にとってもクソですよ! あはは!」


 皮肉たっぷりに笑う彼女は━━とても、哀しげに見えてしまう。憎たらしいとかムカつくとか、そういういつもの感情をどうにも感じられない。


「いやあ、やっぱり僕と君は気が合うね。そうだ、犠牲を強いる世界なんてクソ以外の何者でもない。僕は欲張りだから、なるべく犠牲とかなし済ませたいんだよね」

「わー! 身の丈考えてくださいよ先輩ー! ……両手に抱え込めるだけ抱え込んで、結局取りこぼしちゃって何も残せなかったあなたが、今更何言い出すんですか」


 耳に痛い話だ。しかしその通り。助けたいと願った僕は、結局誰も助けられなかった。誰かの味方をするということは、誰かの敵になるという単純な理屈も理解できないで、最適な行動も取れやせず。


「そう言われたら僕は何も言えないさ。もう自分は失敗しちゃったからね」

「……フォローするわけじゃないですけど。別に先輩が悪いわけじゃないですよ。あんなの、誰が予想できるんですかって」

「それでも、僕が部長を助けれたら。或いは先回りして問題を解決できたら……とは思うんだよ」


 妹を助けるには全てを敵に回す覚悟で盗みを行わなくちゃいけない。先輩を助けたら先輩を縛る全てを切り裂かなきゃいけない。友達のために戦えば、それこそカタナの全てをへし折らなくてはならない。そして、


「……本当に残酷だよな。一つを救い上げたら他の全てを失うなんて、さ」


 目の前のこの子を救うには、世界の全部を捨てなくてはいけない。

 意地の悪く、性格も悪く、よく突っかかってくる彼女。横取りとか普通にしてくるし、からかわれたりいたずらされた事二度や三度ではない。…………ただそれでも、僕にとっては大切な後輩だ。



 彼女は、優しく微笑む。

 今まで見たことのない……できれば、もっと雰囲気のある場所で見たかった笑顔。


「でも先輩。私なら一つを失うだけで、残りの全てを救えるんですよ? 全部全部なかったことにして、蔓延る魔性も。失ったものも。この今にもひび割れそうな空だって。全部」

「そうかい」


 確かな意思を携えたともしびの色の瞳が、僕を見つめる。彼女を通し、この階段を昇らせて、あの社に捧げれば。確かにそうなるのだ。

 今はちょうどの逢魔ヶ時。今にも崩れ去りそうな終焉の赤い空。この行き止まりの今も終わる頃。

 彼女を通らせれば、空も晴れ晴れ魔物も立ち消え。大体の人はそれでハッピーとなる。



 だが、絶対に彼女を通しはしない。


「どいてください」


 透き通るように綺麗な白い肌に、赤みを帯びた漆黒の巫女服は映えるけれど……僕はどちらかといえばいつもの制服姿の方が好みだ。

 彼女は儀式用の短刀ではなく、見慣れた三尺三寸の大太刀を構えて僕に向き合う。


「……降ろしなよ。僕は好きな子と殺し合うのは嫌なんだ」


 夕陽でわかりにくいけれど、少しだけ顔を赤らめて彼女は、


「…………こ、こんなときに何言ってるんですか! 先輩!?」

「自己犠牲とか、君のキャラじゃないよ。残される側の気持ちを考えない自己犠牲なんてバカのやること、さ」


 そもそも、自己犠牲なんてものは天秤のどちらも取りたがってしまう愚か者の行為だ。

 全てを失うよりも、大切な誰かを犠牲にするよりも、自分を犠牲にするのが一番心が痛まない。ああ、素晴らしいね。自分は悲劇的に死ぬが、それでも救いたいものは全部守れる。美しい話だ。


「……僕を代わりに生贄にしてくれよ。そうすれば君は、みんなは元通りになれる」

「…………っ! バカ先輩、さっき自分が何を言ったか復唱してください!」

「自己犠牲とかアホのやる事だよ。そしてまあうん。僕はアホなんだよね。今まで何度も生き残れる機会はあったんだけど……結局、何度も何度もふいにしてさ」


 誰にもわからない懺悔を一つ。


「もうさ、君まで死んだら僕も砕け散りそうなんだよ。だからせめて……先輩孝行だと思って、僕に任せてくれよ」


 彼女にだけ晒せる弱さを一つ。


「…………私、先輩のこと尊敬してないんで。尚更だめですね。いっつもいっつも抜けてますし、剣の腕だって私の方が上です。……こんなときになって、カッコつけないでくださいよ」

「好きな子の前でカッコつけてもいいじゃないか。……この僕は君が大好きなんだ。いっつもいっつも本心を隠しているけど、みんなに優しくて、誰かを助けることが大好きな君を愛してるよ、華燐ちゃん」


 彼女だけが知る告白を一つ。言い切って、ようやく胸の中に詰まっていたもやもやが晴れた気がする。うん。これでもう僕は死んでいい。告白が受け入れられなくても、独り善がりの自己満足でも、僕は。この僕は満足なのだ。

 


「…………じゃ、尚更渡せませんね。この刀は。役目は。……大切な先輩をみすみす犠牲になんてできませんよ」

「うれしいね。けど……僕はね」


 カタナを抜く。それをスイッチに精神は研ぎ澄まされ、ただ目の前の彼女にのみ意識が流れる。


「死ぬことがどれだけ怖いかなんてもう知っているんだ。だから……知らない君にそれを押し付けたくない。そして僕は、クソったれな神様に大好きな君の体を、魂を渡したくない」

「あはは。なんですかそれ。……先輩は私なんかより、もっといい女見つけた方がいいですよ」

「…………はは。今の僕は君以上を思いつけないんだけど……ね!」



 …………終わるのは一瞬だった。不意打ち気味に切り掛かったのは受け止められたが……この微妙に狭い道。僅かなスペースで彼女の大太刀は十全には扱えない。

 斬って斬って、打ち合う合間に僕は彼女の…………生贄のための短刀を奪う。このために磨き上げた奪刀術だ!


 そして、ちょっと乱暴だけど距離のために彼女を蹴り飛ばす。


「しまっ━━━━!」



 あとは急いで駆け上がって、死ぬだけ。さ。大丈夫。僕の走力は彼女よりもずっとすごい。後ろから聞こえてくる泣きまじりの叫び声も、全部無視して死ねばいい。


 慟哭なんて聞き慣れない。だけど、こうやって生贄になって神様に願いを叶えてもらったら……その生贄についての記憶は霧散する。だから……どこか惜しいけれど、彼女に傷は残らない、はずだ。


 さあ、短刀を握って、僕は力強く心臓めがけて一刺しにしてしまう! 

 痛いし燃え尽きるような感じが出たし、呪術が血を流れ痛みで絶叫してしまうし、血で社が汚れてしまったが……まあ、どうでもいい! できることなら社とかぶっ壊してやりたいくらいだから、むしろ気分はいい。それに、みんなをこれで救える。



 ……彼女が追い付いてしまった。おいおい。泣くなって。いつもみたいに皮肉っぽく笑ってる方君には似合うんだから…………。いや、そうじゃ。ないか。


「先輩……っ! バカ、バカですか! あなたのいない世界に私を置いて行かないでください! 頼みますから、いっつも悪いこと言って、でも、でも!」



 意識が消えていく。僕の命を吸って、粉々に砕け散った短刀。こうなればもう僕は絶命するしかない…………けれどどうしてか、何か伝える程度の余力はあって、これも温情なのかなあと。一人嗤って。


「そうだよ。君は……こんなバカな先輩がいたって、笑って、笑って、いつか忘れておくれよ。そしてみんなと……いつか出会う大切な人と、心の底から笑ってくれ」


 返事は、聞けなかった。呆れて物も言えなかったのかな。それとも、耳がもう奪われてしまったのかな。そがれてそがれて、感覚も消えて、目も見えなくなって、そのうち死体も持ち去られていく。



「━━━━」



 暗く沈んでいく意識の中で、


「━━━━━━」



 ……確かに唇に当たった柔らかな感触だけが、やけに鮮明だった。

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