2月21日

 10時半、私はT駅の前に立っていた。


 山下君の申し出を受けてしまったのだ。「何時にどこに行けばいいの?」と返信を出してしまった。そして、指定された場所に立っている。「歩きやすい靴でお願いします」とも追記されていたので、スニーカーを履いてきた。一体どこに連れていかれるのだろう?

 気温は低いが風もなく、日向に立っていると温かく感じる陽気。カシミヤのマフラーは必要なかったかもしれない。


「涼子さん!」

 呼ばれた声の方を見ると、私服姿の山下君が立っていた。

 いきなり現れたことに驚いたが、彼の後ろにエンジンのかかったままの車があった。

「車できたの?」

「はい、乗ってください」

 言われるままに曲線の綺麗なコンパクトカーの助手席に乗り込んだ。


 車内は余計な装飾や置物がなく広く感じた。男の人の車に乗るのは久しぶりだ。

「山下君、車持ってたんだ」

 先日、学生時代の話は聞いたが、今のプライベートの話題はなかったので車を所持していることに関心してしまう。

「今、若い人って車買わないらしいじゃない?」

「そうですね。大学の友人でも数人でしたね、車持ってるの。ボクの場合は実家が山奥なんで帰省の際にも車ないと大変なんですよ」


 車がゆっくりと走り出した。

「どこに行くの?」

 

 彼は少年のように笑ってこう言った。「遊園地です」


「遊園地?≪お話がある≫って言ってたじゃない?」

 

「ごめんなさい。≪デート≫って言ったら来てくれないかと思って…」


 あぁ、騙された…。いや、何となくわかってたのかもしれない。気づかないフリをしたのは私だ。

「…まぁ、いいわ。その代わり、楽しませなさいよ」


 

 遊園地なんて何年振りだろう?10代の時に付き合ってた彼と行った記憶があるが、大人になってから…社会人になってから、来ることなんてなかった。遊び方も変わってしまったのだ。デートと言えば、レストランなどでお酒を飲んで、その後はセックスをするものになっていた。別にそれに疑問も持たなかったし、それに満足していた。

 しかし、隣で運転する彼の提案は違って、遊園地に行くという。私は久々に履いたスニーカーのきつく結んだ紐を眺めて、少し胸が高鳴っていた。



 30分ほどのドライブの後、Mランドに到着した。



 園内は結構賑わい、子連れの若い親子や学生カップルが目立ち場違いな感じがしたが、「涼子さん、早く!」と先を急ぐ少年の後を追った。


 最初は≪遊園地なんて…≫と思っていたが、やはり街では見かけない華やかな色使いの建物や、賑やかなBGM、歩いている人々の笑顔に触れていると失くしていた童心が蘇ってきて、≪楽しまなきゃ!≫と思うようになっていた。


「涼子さん、スケートやりませんか?」

「涼子さん、次はアレに乗りましょう!」

「涼子さん、お腹すきましたね?」


 一日ってこんなに短いんだ…と思った時には園内の照明が点き始め、子連れの親子は遊び疲れて眠る子供を抱きかかけて出口に向かっている。夕日をバックに手を繋ぐカップルの姿が所々に見えた。


「涼子さん、最後に観覧車に乗りませんか?」

 彼が指さしたのは、園内のどこからでも見えるこの遊園地のシンボルとなっている大きな観覧車。

「最後にね…、いいわ」


 私たちはゆっくりと流れる観覧車の一台のゴンドラに乗り込んだ。


 向かいに座る茶色いクセ毛の大きな目をした男性は、上がっていく景色を楽しそうに眺めている。


「今日はありがとう。楽しかったわ…、久々に来るといいものね」

 楽しかった。スケートもお化け屋敷も…。なんてことないホットドッグも美味しかった。


「ボクも楽しかったです。涼子さんと来れてよかった」


 また今日も夢から覚めてしまう…。彼はきっとお礼をしたかっただけ。最後の観覧車はゆっくり一周して今日のデートは終わる…。






「涼子さん…、ボクと付き合ってくれせんか?」




 突然の彼の言葉に鼓動が早くなり、眩暈を起こしそうになった。何か言おうとしても全然言葉が出てこない。


「ボク、年下ですけど…これからもっと大人になっていくんですけど…涼子さんの隣で大人になりたいって思ったんです。」



観覧車は回る…。


「だって、私…7歳も年上なのよ」

 やっと出た言葉だった。


「今は新卒の小僧と、先輩かもしれない…でも、40歳になれば、70歳になれば、7歳差なんて大した事ないと思うんです!」



「40歳って、あなた…」



「ほら!」と言って私の隣に移ってきた。

「見てください。ちゃんとカップルに見えますよ」と指さす先に暗い夜空とゴンドラの照明が反射して鏡のようになったガラスに、並んだ2人の姿が映していた。



 そう、こうなることをどこかで望んでいた。あの一夜を共に過ごした日から、夢のように願っていた。でも所詮≪夢のよう≫なのだ。


 観覧車は回る…。



 観覧車は酷だ。時間制限があるように錯覚させる。


 観覧車が終わり、今日のデートが終わり、夢から覚める…。


 そんなに簡単に答えが出せるわけない!



 観覧車が地上に戻ってきた。


「ご乗車、ありがとうございます。お疲れ様でした」

 係員が扉を開けると無言でゴンドラを出た。



 観覧車に乗っていた十数分の間に一気に暗くなり、イルミネーションが光輝いている。


 山下君は黙ったまま私の後ろを付いてきているが、なんと言えばいいのだろう…。せっかく楽しいムードだったのに私が壊してしまった。



「涼子さん!!」

 園内中に響くような大きな声で呼び止められた。


 その声に気づいた数人のカップルが立ち止まり私たちを見ている。



 5メートルほど離れた所に立っている山下君の表情は影になって見えない。



「好きです!是非、お試しくださ~い!!」


 




「あははは…」

 笑い出してしまった。


「お試しくださいって…」


 おそらく、仕事で何度も繰り返してきたのだろう。



 もう…それすら愛おしく感じてしまう。




 ゆっくりと歩み寄ってきた山下君の胸に額を当てた。


「じゃぁ、試してみようかな…」


「はい!」彼はキレのいい返事をすると私を抱きしめてきた。


 それを見て、周りから様子を伺っていた人達数人から拍手が起きた。


 山下君は手を振って、その人達に応えている。


 あぁ、返事をしてしまった。夢なら覚めないでほしい。



「あの、涼子さん」


「ん…なに?」


「このあと…、ホテルを予約してあるんですけど…」


「あら、ずいぶん準備がいいじゃないの?」


「す、すみません…」

 照れくさそうに頭をかいている。

「それと香水つけてくれて、ありがとうございます」


 そう、今日は年始に山下君からもらった香水をつけてきていた。

「うん、そういうのはもっと早く言うものよ」

「すみません…」

「いいわ。もっとたくさんいろんなこと教えて、あなたをもっとイイ男にしてあげる」

「はい、お願いします!」


「まず、私の誕生日を祝ってもらおうかな。明日誕生日なの…私、30歳になっちゃう」


 どうしても年齢の話題になってしまう…。


「ボクにとっては、29歳の涼子さんも、30歳の涼子さんも素敵です。大好きです…涼子さん」





 純粋な言葉がとても嬉しかった。

 純粋な気持ちがとても嬉しかった。


 社会人になって失くしかけていた大切なモノを彼は持っていて、それを私に気付かせてくれる。


 少し弱気で、少し子供で…少し大人な山下君を私は好きになっていた。



 眩いほどに輝く色とりどりのイルミネーションに照らされて、私たちはもう一度抱き合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

29-7の恋 ももも @momomo-2020

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ