第3話

 妹の麗はわたしと違って普通の中学生だ。

 そろそろ年が明けて本格的に受験シーズンに突入するということもあって、今日も家で勉強をしていた。


 わたしに似て努力家な麗は、通っている中学校でも優秀な成績をとっているらしい。


「雅、おかえり」

「ただいま、麗」


 わたしと麗は、お母さんの教育方針でお互いを名前で呼び合っていた。姉だから妹だからで比べられることもなく、両親も同じくらいの愛をわたし達に注いでくれた。

 姉妹だけど、わたし達は姉妹というより“家族”そのもの、片割れのような存在だ。

 ……だからこそ方っておけないのかもしれないけど。


「波奈さんと結唯さん、お元気そうだった?」

「ええ、とっても。勉強の途中で悪いんだけど、ちょっといいかな?」

「ちょうど一休みしようと思ってたとこ。……お茶でいい?」

「うん、ありがと」


 麗がペットボトルのお茶をコップに注いでくれるのを待ってから、わたし達はダイニングテーブルに向き合って座る。


「麗……実はね、波奈さんが理事長をやってる学校に編入しないかって誘われた」

「へぇえ! どんなところ?」

「空の宮ってところにある女子校なんだけど、波奈さんと結唯さんもそこの卒業生らしくて。いろいろ融通を効かせてくれるみたい。……あと今までお仕事ばっかりだったから、年相応の学校生活を送りなさいって」

「ウチはいいと思う。大賛成。ウチもね、ホントは雅にも普通の女子高生をやってほしいなって思ってたんだ。……なかなか言えなかったけど」


 麗の後半の言葉は、本当に消え入りそうな小さな声だった。


「麗」

「わかってるよ、ウチのために雅が頑張ってくれてるって。雅がウチのことを一番に考えて支えてくれてるって! でもね、ウチは雅がもっと雅自身のことを考えてほしいって、そう思ってる」

「……それは無理だよ。だって」

「お母さんから言われたから、でしょ。ウチを守ってって。でもウチも耐えられないの! これ以上雅がウチのために傷ついていくのを見てられないの」

「麗……」

「だから、ウチは波奈さんの提案に賛成。雅には、高校生のうちにしかできないことを経験してほしい。学校で友達を作って、恋をして、青春をしてほしい」


 麗の懇願に久々に頭をハンマーで殴られたかのようなショックを感じた。

 ここまで麗に感情的な事を言われたのは一体いつぶりなのか、まったく見当もつかない。

 キツイ言葉だったけれど、家族だからこそ麗が本気でわたしのことを考えて言ってくれていることがよく分かる。

 だからわたしは、最初真っ先に口にしようとしていた、麗がよければ。という言葉を言うことができなかった。

 わたしにとって麗が一番なのに対して麗もまたわたしのことが一番なのだろうから。


「……波奈さんと結唯さん、まだおうちにいらっしゃるよね。ウチちょっと行って話ししてくる」


 視線を落として何も口にできないわたしを置いて、麗はひとり椅子から立ち上がって部屋を後にした。



 ***



「やっぱり星花に呼んでみて正解だったわね」

「うん。雅には自分とは何かを探すきっかけを、麗には今までの願いだった雅を支えるっていう目標の第一歩になっただろうから」


 ここ数時間の間に、隣に住む実の妹のように可愛がっている姉妹がこの部屋を訪ねてきた後。

 波奈と結唯はソファーで手を繋ぎながらくつろいで言葉を交わしていた。


「雅ちゃん、やっぱりまだお母さまに言われた『麗ちゃんを守って』っていう言葉に引きずられているみたいね。麗ちゃんは逆に雅ちゃんに守られるだけなのは嫌みたいだし」

「いくらご両親に二人は平等な家族だよって育てられても、根底には雅には自分が妹を守るべき姉という意識が、麗には自分のためだけに尽力する姉の雅に、雅自身の幸せを願う意識が出て来ているんだろうね」

「きっと二人が深いところで結ばれているからこそ感じることで、だからこそすれ違ってしまうのかも」

「私と結唯の力じゃなくて、他のもっと歳の近い友達の力で解決してほしいわね。私達ばかりに頼るのは、寂しいけどよくないから」


 結唯の肩に首をもたれかける波奈。

 その頭を優しい手つきで結唯はそっと撫でる。


「それにしても結唯、麗ちゃんにお姉ちゃんって呼ばれたからって興奮しすぎよ。嬉しいのは分かるけど、ちょっと引いてたし」

「うっ、あれは……はじめて呼ばれたから嬉しくて……」

「確かにもともと雅ちゃんの大ファンで、天寿でサポートしようって言ったのもあなただけれど。あの子たちの前だけでもちゃんとしなさい。って言っても後の祭りだけど」

「うぅ……気をつける」


 まったくもう。と呟いて、波奈は結唯を抱きしめた。



 ***



 波奈さんと結唯さんから聞いたことはウチにも良いことばかりだった。特に雅に関することには。


 お二人の部屋の玄関扉をそっと閉めて一息つく。それと同時に、先程までの会話を思い返してみる。


「麗ちゃんは賢いから、きっと雅ちゃんがあなたに向けている想いとかを全部分かった上で、それでも雅ちゃんのことを支えたいと思ってるんだと思う」

「どうして……」

「なんで分かるのか……そうね、大人になると何となく感じ取ってしまうの。私達はそれをおかしいと言うつもりも、正しいと言うつもりもないわ。あなたたち二人が解決するべき課題だから」


 今までいろいろな悩みに乗ってもらっていたけど、はっきりとお二人の前でウチの考えてることを、つまり雅を支えたいという事を言ったことなかったはず。

 それなのにピタリと言い当てられて驚いた。

 そしてその後に、それはウチと雅が解決するべき課題だという言葉にも強く頷く。

 でも……。


「でもどうしたらいいのか分からないって顔をしてるね」

「うっ、はい……その通りです。ウチはウチのために頑張ってくれている雅を支えてあげたい。雅はウチを守りたい。ずっと平行線の、お互い譲れないことなんです。でもなるべく雅の負担にしたくなかったから今までウチはなるべく言わないようにしてました」

「今日はついに我慢できなくなっちゃった?」


 またピタリと言い当てられる。


「はい……」

「ふふっ、私と結唯にも似たような経験があるから分かるわ。私達の場合はお互いの夢についてだったけど。……この話は今度してあげる。今はあなたたちのことだから」

「わたし達は麗と雅の課題には口を出さない。でも、課題を解決する手伝いはしてあげられるよ。雅からも聞いたと思うけど、雅はもちろん麗にも星花に入ってほしいなと思ってる」

「ウチもですか?」


 正直驚いた。雅のためなのかと思ってたから。


「麗ちゃんと雅ちゃん、二人の課題って言ったわよ?」

「あ……」

「でも、麗は今年受験生で志望とか決めてたんじゃないかって思ってさ。もしやりたい事とか入りたい学校があるならもちろんそっちを優先してほしいから」

「いえ、雅と一緒に編入します」

「わかった」


 ウチは考えるまでもなく即答した。

 きっとお二人もウチがなんて答えるか予想がついていたんだろう。聞き返すこともされず、あっさり受け入れられた。


「じゃあ、今は雅ちゃんとよく話し合いなさい。それで、きちんとお互いの考えを伝えられて気分良く二人揃って編入する心積もりができたら詳しい話をしましょう」

「はい。分かりました。本当に、お世話になります。…………波奈お姉ちゃん、結唯お姉ちゃん」

「……聞いた波奈!? お姉ちゃん、お姉ちゃんだって!!」

「はいはい落ち着いて落ち着いて。……麗ちゃん、こうなった結唯は手に負えないから、私が抑えてるうちに行きなさい」


 普段のクールで落ち着いた結唯さんの雰囲気から一変、急に身を乗り出して興奮した様子に呆然としていたら、波奈さんが助け舟を出してくれた。

 ウチは何も言えずただただ頷くと、結唯さんを抑えつける波奈さんと、興奮気味にまくし立てる結唯さんを尻目にそっと部屋を後にした。



 ***



「ただいま、雅」

「……おかえり、麗」

「話ししてきたよ」


 麗が部屋に戻ったとき、雅は出たときと全く同じ格好で項垂れていた。

 再び同じ席につく麗。


「ウチね、お二人の提案に甘えてもいいと思う。ウチも雅と同じ学校に通っていいって」

「同じ学校に……? でも麗、行きたい学校があるって……」

「それは今まで通りの生活だった場合の話。雅と同じ学校に通えるならそれでいい」


 姉、妹と呼びあっていなくても血を分け合った片割れ。何が言いたいのかは伝わっているはずだし、正しく伝わってることもウチにはわかる。

 だからこれ以上は何も言わずにただただ雅の言葉を待った。


「…………わかった。わたしには麗が必要だし、同じくらい麗にもわたしが必要だよね。考えれば分かることなのに、今までずっとわたしのことしか考えてなかった」


 秒針が十週はしただろうか。

 カチッ、カチッという秒針だけが見守る静寂が破られたのは、雅の自信なさげな声だった。

 そしてガバッと顔を上げ、意志のこもった力強い言葉でいつもの言葉を言う。

 いつもの、雅自身を苦しめる鎖の言葉を。


「でもこれだけはわかってほしい。麗のことはわたしが守る」

「わかってる。同じくらい、ウチは雅のことを支える」


 今日は言われっぱなしじゃない。

 ウチはあの日から五年近く経ってやっと、ウチの気持ちを伝えることができた。


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