第2話

 わたし、雨野あめのみやびこと天野雅あまのみやびはクリスマスが目前に迫ったとある日、わたしが所属する事務所の社長である伊ヶ崎波奈いがさきはなさんに呼ばれ、彼女が住むマンションの隣の部屋を訪れていた。


「雅ちゃんいらっしゃい、よく来たわね」

「こんにちは。あっ、めずらしい。結唯ゆいさんもいらっしゃったんですね。お久しぶりです」

「うん。……こんにちは、雅」


 出迎えてくれたのは波奈さんと、波奈さんのパートナーで天寿の共同経営者の彼方結唯かなたゆいさん。

 お二人ともとってもお忙しい方で、波奈さんは日本中の、結唯さんは世界中の取引先を飛び回っている立派なビジネスパーソン。


 かつてわたしが、所属していた大手芸能事務所の社長とプロデューサーからセクハラを受けていたところをお二人が助けてくださった恩人だ。

 天寿に事務所を立ち上げたのもわたしのためで、以来お仕事のことだけでなくわたし達の後見人になってくれたりと、私生活の面でもとてもお世話になっている。

 わたしと麗がとても信頼している方々で、わたし達の両親のことも知っている。


「雅、仕事の量とか大丈夫? 波奈に余計なこと押し付けられたりしてない?」

「ちょっと、余計なことって何よ。……お、押しつけたりしてないわよね?」


 抗議を示すため結唯さんのほっぺたをつつきながらも、急に不安になったのかわたしに確認をとってくる波奈さん。

 わたしはぷっと噴き出しそうになりながら頭を振って否定する。


「大丈夫ですよ、波奈さん、結唯さん。ちょうどドラマの収録も終わったところで麗とゆっくり過ごしてます」

「それならよかった……」

「そうそう。昔から波奈は人使い荒いからね〜。わたしも何回オフィスのソファーで夜を明かしたことか。ニューヨークに逃げたくもなるよ」


 わかってた、とでも言うように軽く笑って冗談を言う結唯さん。


「うっ。し、仕方ないでしょう! あの頃は今と違って会社を興したばかりだったんだから。それとニューヨークに行ったのは結唯が向こうの流行を取り入れるための修行をするためよ。雅ちゃん、騙されないでね」

「分かってますよ。もう何回もその話聞いてますから」


 出会った頃から変わらないお二人のやり取りにクスッと笑いがこみ上げてくる。

 わたしは笑いを隠すようにお二人にわたしが呼ばれた理由を訪ねた。

 お二人は毎日のようにあちこち飛び回っているものの、週末と年末年始やお盆には時間を合わせて必ず一緒に過ごしている、ということを以前聞いたことがある。

 今日は土曜日だから、仕事を忘れるための二人きりの時間を削ってまでわたしを呼ぶくらいにはよっぽどの話があるんだろうなと予想していた。


「そう身構えなくていいわ。お仕事の話じゃないから。それに何回も言ってるけど私たちはあなたと麗ちゃんを家族のようなものだと考えてるから変なことは言わないわ」

「それなら良かったです……」

「今日来てもらったのは、これからのことを相談するためよ」


 これからのこと……?


「そう。将来のこと。あなたの後見人として……家族として提案したいことがあるの」

「家族として……」


 久しく使っていなかった言葉だ。家族、か。


「うん。昔から言ってるけどわたしたちのことは姉だと思って遠慮しないでほしい。少しずつ、雅のペースで構わないから」

「はい。本当にありがとうございます。でもまだやっぱり家族だと思うのには時間が必要みたいなんです。まだ、わたしはお二人に対して『わたし』として接してるみたいで……。本心では家族になりたいと思ってるのに」


 とても失礼なことを言っている自覚はある。でも、わたしはお二人がわたしの言いたいことを正しく理解してくれることを知っている。

 お二人はわたしが仮面を被っていることを承知の上で、それでも『わたし』と接しようとしてくれている。わたしはそんなお二人だからこそ、意識して仮面を外そうと頑張っているのだけど、結局甘えてしまう。


 わたしはお父さんとお母さんの死から立ち直るために、何があったかを忘れられるように演技という鎧を纏って生きるようになった。


「あの日以来、演技の練習のためにいろいろなシチュエーションや妄想で演技を日常に織り交ぜながら生きてきました。麗の前で以外」


 麗にだけは演技という嘘で……偽りのわたしで接したくなかったから。

 でも。


「でも、一週間、一ヶ月、一年と続けるうちに本当の自分がよくわからなくなってしまったんです。麗の前でも麗と接しているわたしがわたしであるのかがよくわらかなくて……」


 麗にまでわたしが『わたし』として接してしまっているんじゃないか。そう考えるだけで身体が冷たくなって震えてしまう。


「……ちゃん、雅ちゃん」

「ぇ、ぁ、はい」


 暖かくて優しい波奈さんの声色に、この場から離れつつあった意識が引き戻される。


「あなたはいま、きっと自分探しの旅に出てるんだと思う。五年前から積み重ねてきた沢山の“雨野みやび”によってあなたはあなたが何者であるのか分からなくなって揺れ動いているの」

「自分探し……わたしが、何者なのか……」

「そう。そこでわたしと波奈から提案なんだけど、少し自分探しの時間を取ってみないかな?」

「お休み、ですか?」

「お休みというか、お仕事の量を減らしてみない? ってこと。今まで頑張りすぎていたようにも思ったから。少し、雨野みやびである時間を減らしてみない?」


 視線を落として少し考えてみる。

 ……確かに今まで、子役時代からずっと毎日がお仕事続きでずっと雨野みやびという鎧を身にまとっていた。もしかしたらこのせいで麗の前でわたし自身に戻れなかったのかもしれない。

 麗のため、と思えば考えに時間をかけるまでもなかった。


「わかりました。確かにわたしがわたしである時間を増やしたほうがいいのかもしれません。きっと麗のためにも。……今までずっと、心配させてたと思うから」

「それがいいわ。じゃあ、マネージャーに新しいお仕事を減らす手伝いをするように言っておくわ。今まで通り声がかかったものを雅ちゃんと共有してもらって選んでもらうけど、なるべく減らす方向で意識してね?」

「あいつ、ずっと雅のこと気にかけてたからね。きっと喜んで手伝ってくれるよ」


 そう言えばわたしのマネージャーさん、お二人の親友だって聞いていたっけ。

 ……忙しくてずっと近くにいれないことに悩んだ結果、信頼できる人にわたしのマネージャーを任せてくれたらしい。


「わかりました。……本当にありがとうございます」

「いいの、いいの。私たちみんな雅ちゃんと麗ちゃんのこと大好きだから。いつでも頼ってほしいな」


 そう言って優しく頭を撫でてくれる波奈さんと結唯さん。

 何年もの間感じていなかった温かい手のひらと優しい感情に、ちょっと泣きそうになってしまって慌てて涙を引っ込めたのは秘密だ。


「でも自分探しと言っても何をしたらいいのか……。ずっとわたしは何かって考えてたらおかしくなっちゃいそうで……」

「それについてももちろん考えてるよ。哲学者じゃないんだから、ずっと自分について考えるのはわたしでも無理さ」

「そうね。雅ちゃん、私が理事長をやってる学校に通ってみない?」

「学校、ですか?」


 波奈さん理事長までやってるのか……いや、波奈さんのことだからこれくらいは当たり前なのかな。と考えながら質問を返した。


「そうそう。星花せいか女子学園っていう女子校で、私と結唯もここの卒業生なのよ」

「卒業した学校の理事長をしてるんですか……?」

「天寿を立ち上げたときに在籍してた大学もその系列なのよ。ちょうど経営難で苦しそうだったから、折角なら私達みたいな出会いが沢山生まれる場にしたいなと思って」

「それが理由で経営権を買ったんですか……」


 驚きと呆れが混ざった声をあげる。

 波奈さんと結唯さんは学生時代に出会ったと耳にタコができるくらいきいている。

 それにしても学校か……。

 わたし、中学一年生のときはまだギリギリ通っていたけど、それ以降お仕事の関係でほとんど通うことはなくなったんだよな……。

 中学も高校も芸能人に理解がある学校に転校・入学してはいたけれど、お仕事続きだったからちゃんとした学生生活にやっぱり憧れがある。


「ずっと大人に囲まれてばかりで息苦しかったでしょう。私達も会社立ち上げたばかりのとき社交界で似たような経験をしてるから分かるわ。折角の十七歳、華の高校生なんだから、学校生活やってみない?」

「……少し、気になります」

「ほら、麗ちゃんも今年から高校生でしょう。一緒に通っても大丈夫よ。東京じゃなくて空の宮にあるんだけど、今と同じように向こうの私達の家の隣に住めばいいから」


 聞けば、駅前の一等地に高層マンションを建ててそこに住民票を置いているとのこと。

 ……この家も十分広くて整ってるからここに住んでるのかと思ったのに、まさか東京滞在用の別邸だったなんて。


 あれこれ考えてみたけど、やっぱり麗の意見も聞きたかったから一旦保留にさせてもらった。


 わたしにはとても有り難いし、忘れかけていた学校生活をまたやってみたいというのもある。

 でも、麗の意見を一番に考えたい。


 わたしにとって、麗以上に優先される事柄は無いのだから。

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