最終話 戸締まりとはじまり

 研究院が廊下のドアを開ける。そのドアの前に、彼は立ち塞がる。現場を後にしようとする研究院の前に立ち、深々とおじぎをした。

 天狗の面をかぶったまま。初めて彼に会ったその時の出で立ちで、不審者は顔を上げる。


「初めまして。俺の名前は……、まぁ、名前を聞くと親近感を持っちゃうから、名前は言わないでおこうかな。ほら、この天狗の面を見てよ。なかなか、怪しいよね」

「ふん。お前のせいで私の偽装が台無しだ。土を掃除して、イヤホンを外しておけば、防音室のマンドラゴラの悲鳴が漏れ出て死んだと偽装が出来た。しかし、土が無いことで、研究員たちに一抹の違和感は残る。その違和感を払拭する答えとして、私のこの殺人データをチラつかせ、研究所を脅して乗っ取る手筈だったのだが……」


 研究院は俺の方をちらりと見た。

「まさか、こんな怪しい男を現場に入れ、好きに調べさせ、喋らせるような刑事が警始庁捜査一課にいるとは思わなかったな」

「ははははは! そうだろう、そうだろう!」

「先輩! 褒めてませんよ!」

「なんだと!」


「ねぇ、研究院さん。あなたのその大事な大事な殺人データは、どこにあるの?」

「ふん、無駄だよ。私の身体を調べてもどこにも無い。そこの金庫に厳重にしまってある。私しか知らない32桁の英数字のパスワードだ。指紋認証と網膜認証もある。無理やり開けようとすると電流が流れる仕組みだ。絶対に開けることは出来ない」

「ふーん。そう。なら良かった」

 彼は金庫に向かって歩いていく。

「それなら、大丈夫」


 彼は金庫に手を伸ばし、引き抜くと小さなSDカードを指でつまんでいた。

「…んなっ! それは!? どうして!?」

 うろたえる研究院。

 俺はそのSDカードが一体何なのかを理解してしまった。

 厳重に金庫にしまってある殺人データ。32桁の英数字のパスワードと指紋認証と網膜認証。


 どう考えてもだ。

 そして、密室の中ならば、自由に出入りできる男が一人いる。


「カギがかかっていたから、お邪魔しました。これが、そのデータだね。再生してあげようか?」

「ま、待て! やめろ!」

「データが欲しければひとまず、さっき言ってたセンサーは解除することだね。君の命は俺次第だ」

「……くっ」

研究院はポケットに手を突っ込み、何かしらのボタンを押した。何かが解除されたような気がした。


「今だ! かかれ!!」

 俺と小早川で、うろたえた研究院に掴みかかった。両手を後ろで縛り上げ、手錠をかける。


「あ!」

 天狗の面の青年は声をあげながら、そのSDカードを踏み潰した。

「あーあ、うっかり踏み潰しちゃった。俺ってばドジだなあ」

 大事な証拠品を……。といつもならば言うところだが、今回に限っては許すとしよう。命拾いをした。


「今回の推理勝負は俺の負けだ。助かった。礼を言う」

「いや、いいよ。おじさんみたいに、俺に話しかけてくる人ってかなり稀だからさ。ほら、俺がどうして天狗の面をかぶってるか、わかる?」

「いや?」

 天狗の面が好きなんだと思っていたが?


「初対面で天狗の面をかぶってる奴なんか、怪しいでしょう? 距離を取るよね。心の扉を閉めるよね? そうすると、ほら」


 彼は一歩、近づく。

「心の中を覗き込めるでしょ?」


 俺は、一歩引いた。

 彼は笑って続ける。


「じゃ、楽しかったよ。髭宮ひげみや 正午しょうごさん。冴樹さんによろしく言っておいてね」

「どうして冴樹嬢の名を……!」


 どうして?

 いや、違う。

 彼の能力だ。


 密室に入り込む能力。

 閉じた心の中に入り込む能力。


 異様な天狗の面の怪しさで、初対面なのに図々しく近づいてくるあの厚かましさによって、扉を閉ざした俺たちの心の中を、じーっと覗き込んだに違いない。

 俺はたまらず、研究院が開けた、廊下のドアを閉める。


「早く出ていけ」

「ありがとう。お邪魔しました」


 もう会いたくない。

 耳を塞ぎたくなるような、

 目を背けたくなるような、

 不快感を残して、彼は別れの挨拶をした。

 それは別れというよりは、始まりの挨拶にも聞こえた。


「じゃあまたどこかで。今度はちゃんと戸締まりしてね」




 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マンドラゴラの密室 ぎざ @gizazig

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ