第30話やられたぁ。

「なぁジュニア。朝から太一が石化してない?」

 机1つ挟んで隣の席に座る亮太が目の前に立つジュニアに声をかけた。

「悩み事だってさぁ。

 亮太も学食行く?

 イチ、お昼だよー」

「昼? もう昼か」

 うわ言のように呟く声に亮太が二マリと笑う。

「面白そうだからついてくべっ」



 外の柔らかい日差しにつられ、購買で買った昼食を手に外通路の木陰に入る。

「今年は空梅雨だよなぁ」

 空を見上げて亮太が独り言ちた。


「そういえばさぁ、ジュニア先々週辺りデートに行くって言ってたけど、その後どうなった?」

「ああ。あれねー」

 テリヤキチキンサンドを手に亮太に向き直る。


 視界の隅に、パックのオレンジジュースにストローを挿すイチを捉えつつ、心持ち大きな声を張った。

「結局振られちゃったかなぁ。

 ヘコんで弱ってるのにつけ込んで、チューしようとしたら避けられちゃった」


「ブウゥゥッッ!」


 ジュニアの不意打ち的な一言に、イチの口からオレンジジュースが勢いよく吹き出す。

「ゴホゴホッ」

「僕的に結構真面目に迫ったんだけどなぁ」

「お前。いつもニコニコ笑ってるくせに何気に黒いな」


 乾いた地面にオレンジジュースがしみ込んでいく。

「ごはっ」

「ノンノン。亮太はまだ僕をわかってない。

 オレンジって器官に入るとイガイガするよねー」

「まだ、付き合い2カ月だし。

 引っ叩かれた? コップの水をかけられた?」

 おかしな期待を込めて、亮太が続きを催促さいそくする。


「それ、古いドラマの見すぎだから。

 僕は無傷だったよ。

 避けようとしたカエが後頭部強打したくらいで」

(カエちゃん。ね)

 亮太の頭に名前がインプットされた。


「こほっ。

 いつの話だよ」

 ようやく復活したイチがチラリとジュニアに視線を向けた。


「昨日。言わなかったっけ?」

(聞いてねぇわ)

「てか、ジュニアぶっちゃけ過ぎじゃない?」

 薄いハムカツサンドにぱくつきながら、亮太が心配そうな顔をする。


「んー。まぁ、終わったことだし。黙っておくのもイチに悪いかなぁって」

「あれ。なにその発言」

 乾き始めたオレンジジュースのシミ。イチの悩み事。


「あー。なんか分かったかも。

 たいっちゃん。動かないと始まんないっスよ。

 いいねぇ。青春だぁねぇ」

 ムスッとそっぽを向くイチの横顔に、亮太がいたずらっ子の視線を向けた。


「しかしジュニアの立ち直りの速さは尊敬するね」



 ###


「イチ。放課後買い物付き合ってよ。

 駅向こうのモール」

 結局放課後。ジュニアが声をかけてきたのに、いつものように亮太からのサッカー部への誘いを断り、なんやかんやとしていたら、教室はもぬけの殻。


「居ねぇし」

 カバンに入れっぱなしのスマホにLINEの着信を知らせるライトが光る。

「『遅いから先に行くね』?

 ……まぁ、ジュニアだし」

 歩くのが面倒だから自転車をアテにしたのかと思っていたのに。




「ジュニア? モール着いたんだけど、どこにいんだよ」

 思い当たるのは電器屋か薬局か。

『お。やっぱりチャリは早いねぇ。

 中央広場のでっかい噴水ん所で待ってて。

 こっちも着くから』

 通話を切って、現在地を確認する。

 確か噴水はあっちか。



「そして居ねぇし」

 6月も後半。暑いほどではないが、噴水の周りは水遊びを楽しむ幼児たちで賑わっている。

 流石に制服のジュニアが居れば目に入るはず。


 スマホを制服のポケットから取り出し、聞き覚えのある声にイチの手が止まった。

「着いたよ。

 え? 誰かって……。

 あれ。イチがいる」


『じゃあねー』

「え? ちょっとっ。ジュニアの買い物じゃないの?」


 あー。やられた。亮太もグルだな。

 ちょっと気まずそうなカエと目が合い、同時に鳴ったLINEの着信音に画面に目を落とした。


「あたしたちのグループLINEだ。

『インカム強制立ち上げしちゃったから、各自でおとしておいてね。よろしく』」

「なんでインカム?」

 ポケットから出したインカムは、確かに持ち主を示す色を放っている。


『! GPSっ』

 2人の目が合って声が重なった。

「電話で誘導しといてなんでGPSまで」

「リビングのパソで見てんだろっ!

 ったく」

 イチはブチっとインカムの電源を落とした。


「……っと。

 イチ。あのね……」

「カエっ」

 ギュッと拳を握って、言葉を探すようなカエの仕草につい口が出た。


 1日中考えてたけど、気の利く言葉なんて見つかんねぇ。

「カッとなって言い過ぎた。

 ゴメン」


 イチの言葉に、カエの顔がホッとほころぶのがわかる。

「ううん。イチの言う通り、怪我じゃ済まなかったかも知れないもん。

 あたしもゴメン」

 どちらからともなく笑みが浮かぶ。


「じゃあ、仲直り」

 カエの出す拳にコツッと拳を合わせた。

「ジュニアになんか言われた?」

 昨日の事を聞きたい気もしつつ、話を振ってみる。


「えっ?

 ああ。うん。ちゃんと仲直りしろって……」

「そか。

 まぁお互い見事に引っかけられたしな」

 噴水の出力が上がり風に煽られた飛沫しぶきが2人の頬に届く。


「もう夏だね。来年はカイリもリカコさんも受験だし、今年はみんなで海とか行きたいなぁ」

 海か。

 男のサガと言うか、ついカエの水着姿が頭に浮かんだ。


「リカコさんは嫌がりそうだな。

 日焼けとか」

 心の中が読まれたら。なんて焦りに視線を逸らす。

 その目に入る、徐々に小さくなる噴水の中に妙な違和感。


「イチっ!」

 声と共にカエが走り出す!


 微動だにしない小さな子供がうつ伏せに倒れていた。

「キャアアァァァァッッ!」

 母親らしい女性の悲鳴。


 再び水柱が上がり、カエの姿を隠す。

「くっ!」

 遅れて飛び込む噴水の勢いに痛みを感じた。


 カエらしき腕から子供を受け取ると、そのまま腕を引き噴水を飛び出す!

 子供の身体をうつ伏せに膝に乗せ、背中を叩きながら声を掛けた。

「聞こえるかっ!」


「イチ、頭」

 スポバから出したカーディガンをタイル張りの地面に敷いてカエが声を掛ける。

「呼吸してない。唇にチアノーゼっ」

 カエの足元に頭を置いて、自分の耳を子供の胸にあてた。


「心肺停止。シンマしよう」

「誰かAED持ってきて!」

 カエが声だけ掛けて、人工呼吸の為に大きく息を吸う。


「あっ! カエっ。

 シンマ代わって!」

「ええっ?」

 頭側に回り込みカエを押し出す。


「いいから代われ!」

 気道を確保し空気を送り込んだ。

 カエが肺が膨らみ胸が動くのを確認して、利き手の甲に左手を重ねて心臓マッサージを始める。


「1っ2っ3っ4っ5っ6っ7っ8っ9っ10っ!」

 30まで数えて、また人工呼吸。

「起きてっ!」

 小さな心臓を強く押し続ける!


「こはっ。

 おええぇっ」

 小さな口から水が溢れて大きな泣き声が響きわたった。


「よかったあぁぁ」

 カエがぺたんと座り込んで天を仰ぐ。


「ありがとうございますっ! ありがとうございますっ!」

 子供を、涙ぐむ母親の腕に帰しカエを振り返ると、安堵からかその瞳からぽろりと涙がこぼれ落ちた。


 綺麗だ。


 青い空、日の光にカエを包む水滴が光って見える。

 全身ずぶ濡れ。夏服の白いブラウスは肌に張り付き淡いブルーの下着が透けて見えている。


 相っ変わらず無防備だけどなっ!

 イチは子供の下に敷いていたカーディガンを拾うと、カエの肩にかけた。

 騒ぎに野次馬も集まり出している。


「カエ、上着の前、合わせろ。ブラウス透けてるぞっ。

 人も集まってきたしけよう」

 2人分のカバンを持ってカエの腕を引き上げる。

 今になってAEDを持った従業員らしい男が走り寄って来た。

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