第8話記憶のかけら ✳

 一瞬、黒スーツかと緊張が走ったけど、 ジュニアの様子から見てもそれは無さそう。

 チラリと目の端に映ったナイフの光に両手の平で頸動脈けいどうみゃくをカバーする。


「何だよ、ちょっと遅刻したらスゲェ楽しそうな事になってるし」

 3人組だったって事ね。

 聞き覚えのない若い男の声。殺気なんて全くないし、なんだったらその声に含まれるのは歓喜の感情。

 うん。普通にキモイ。


「はいっ!」

 急にジュニアが手を上げた。

「何でカエはいっつも、うわっ。とか、のええぇぇっ。とかなの?

 きゃあっ。とか、いやぁ。って無いよねー。なんか、助けるモチベーションが上がらない」

 ふー。とため息混じりに首を振る。


「ええ。そこ? じゃあ別に助けてくれなくていいもぉん」

 ぷぅ。と頬をふくらます。

 そんなあたしとジュニアのやり取りを見ていたイチは『また始まった』とばかりに冷たい視線を送ってくるし。


 そして面白くなさそうな男がもう1人。

「随分のんきに無視してくれるじゃないか」

 あたしに向けていたナイフをジュニアに向けて伸ばした。


 はい。お疲れ様。


 伸びてきたその手を、振り下ろしたあたしの手刀が叩きつける。


 パシーッといい音がしてナイフが地面を転がった。


 間をおかず、ローファーを履いたあたしの踵が男の足の甲を勢いよく踏み付ける。

 ここ、あんまり知らないかもしれないけど人体の急所の1つ。


「がっ!」

 痛みに腰が引いた隙間を縫って、男のみぞおちに肘鉄を叩き込む。

 ここ。結構有名な急所。


「ふっふざけ……」

 あたしから離れ、ヨロヨロと数歩後ろに下がっていくが。最後まで言わせる気も、聞く気もない。

「ひゅっ」

 口から気合の息を吐き、男の側頭部に後ろ回し蹴りを叩き込む。


「話が違っ」

 えええっっ!

 ゴッッ。

 見事にヒットしたあたしの蹴りに、男の身体が音を立てて地面を流れていく。

 脳震盪のうしんとう確実。


 止まらなかったぁぁ。

「今そいつ、なんか言ってたなぁ」

 イチの冷たい声。

「う。だってさぁ、そもそもか弱い女の子を盾にとろうなんて、腐った根性してるからこういう報復に会うわけですよ」

 もちろんピクリとも動かない男に続きを聞ける訳もなく。

 あたし悪くないもんー。


「まぁ、か弱いかどうかはとりあえず置いといて。生き残ってるのお兄さんだけになっちゃったね」

 イチが捕まえたままの男の腕をさらに捻る。


「いろいろ話してくれるかな?」

「なんかどう見てもいじめっ子だよね」

 うめく男の声を聞きながら、ジュニアがあたしに耳打ちしてくるけど。

「ノーコメントで」

 ジュニアから視線をそらせたあたしにイチの声が届く。


「聞こえてる。カエ、たつみさんに連絡して、コイツら引き取ってもらおう」

「ん。そうだね」


 巽さんはあたしの〈父〉でせりかさんの旦那さま。森稜しんりょう警察署で刑事課の課長さんだったりする。

 スポバから取り出したスマホが数回コールをして、巽さんが電話に出た。


「巽さん? お疲れ様ぁ。今ね、ちょっと知らない人に絡まれちゃって。いろいろあった結果暴行未遂の現行犯って事でお迎えよこして欲しいんだけど」

 いろいろ端折はしょって話すのはいつものこと。


「うん。大丈夫。

 え。イチとジュニアが一緒。はーい」

 連絡が終わった事で、男と話していたイチがこちらを向く。


「後で全員説教だって」

「まじかー」

 イチが後悔に軽く立ちくらみを起こす。


 そういえば、黒スーツの気配がなくなって……。

 無いっ!


 氷の様な殺気に、3人同時に公園の入り口に向き直る。

 公園の木々の間に黒スーツ。

 辺りは夕焼けから夕闇に包まれている。街灯が落ちる中に立つこの、顔。


 その瞬間、何か足りない、見落としていると思っていたピースが頭の中でパチリとハマった。


「おじさん……。一昨日、製薬会社の爆発現場で会ったよね?」

 あたしの言葉に、イチとジュニアの注意が逸れる。

 その瞬間、確かに見えない殺気が吹き付けて来るのを感じた。


「行けっ!」

 イチが、確保していた男の背中を押してこの場から逃す。

 あたし達が張り倒しちゃった分に関しては、不本意ながら守りながら闘うしか無い。


 黒スーツがあたしに向かい、一直線に走って来るっ!

 スカートだから戦闘NGって言ったのにぃ。

 邪魔なスポバを放り投げて正面に構える。


 直線上に入ってくれる、イチとジュニアの姿。

 イチの正面からの上段蹴りを、ブレーキをかけて上腕で受けると、黒スーツもイチのあご下を狙って革靴を蹴り上げてくる。


「くっ!」

 あごを引き、体勢を崩した所にジュニアのフォローが入った。

 低い体勢から、黒スーツの軸足をすくうように一撃を放つ。


 バランスを崩し地面に手を着いたにもかかわらず、腕のバネを使い無理矢理バク転の様な体勢であたしの直線上に戻って来る。

 全ての動きが滑らかで、速い。


「カエっ!」

 イチの声が響く。

 わかってますっ!


 イチの上段蹴りをまともに受けられるような奴と、正面切ってやり合う気なんてさらさら無い。

 あたしも迫る黒スーツに向かってダッシュをかける。

 こういう場合、下手に背中を向けるより飛び込んだ方が相手のタイミングを崩しやすい。


 ただし、回避能力に自信のない方はお避け下さいよ。

 黒スーツと相見あいまみえる直前、走って来た勢いのままスカートの裾を押さえて相手の足元にスライディングをかける。


 また足を取られると、警戒した黒スーツの横を抜けざまに足にしがみついてやる。


 スライディングが抜けた後の一瞬の気の緩みに、黒スーツが顔面から地面にダイブした。


 後ろから追いついて来たジュニアに腕を引かれて立ち上がると、ゆらりと立ち上がる黒スーツから、怒りが立ち昇っているのが見えるみたい。


 キレてる。

 背後から飛びかかるイチにジュニアが再びフォローに入る。

 ああぁ! 何もできないっ!


 と、視界の隅に赤い光がきらめいた。

「パトランプっ!」

 さっき巽さんに連絡したお迎えが来たらしい。


 あたしの声に黒スーツがイチを投げ飛ばし、蹴りをくらったジュニアが地面に投げ出される。


 黒スーツの手が小さく動き、何とも言えないイヤな感じに、あたしは大きく左側に飛びずさった。


 笑った。


 黒スーツがパトカーに背を向けて公園を飛び出していく。

 深追いはしない。

「ぷはーっ。なんか、一回戦は完敗だね」

 先程まで居た所に目をやると、地面に黒塗りのナイフが刺さっている。


 闇に紛れてってヤツですか?

 後で鑑識に回してもらお。

「パトカーに助けられたな。次は対策を講じておかないとな」

 身体を起こしたイチが悔しそうに呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る