ホウカの秘密

 ジッと私を見詰め返す爺やの目に力がスッと籠るのが分かった。

 多分、諦めずに立ち向かってくるだろうけど、もっと憤慨を誘ってこの嫌な場をはぐらかす。


「……分かりました。頑として話を聞かないのなら爺にも考えがあります!」


「はぁ⁉ 面白い余興でも見せてくれるのかしら。楽しみね。ははは」


「コフー」と爺やは力強く息を漏らすと、両手で防護マスクを掴み手慣れた手つきで即座に脱ぎ取ってしまった。


「あっ」と言う間の出来事だった。


 止める暇もなく、ただただ汗だくの顔を光らせて解放感を味わっている爺やを唖然と見詰めるしかなかった。


「ああ、空気が旨い……蜂華お嬢様、愚かな爺やはこの方法しか思いつきませんでした……」


 爺やはニコリと微笑みを浮かべて私を優しく見詰める刹那、顔中の皺を歪ませ苦悶の表情を浮かべては苦しそうにもだえ始める。

 それが意味することは痛いほどに分かっていた。

 何度も何度も経験してきたを誘発したのだから……。


「うわあぁぁ‼ この化け物が‼」と爺やは喚き散らし卒倒して腰を抜かした。


 訳が分からなかった。どうしてこうなったの。

 思惑が外れ混乱する余りに震える手。救いを求めるように手先をゆっくりと伸ばして、恐る恐る爺やへ近寄っていくけど。


「醜い女蜂の化け物がぁぁ‼ 近寄るなぁぁ、誰か助けてくれぇぇ‼」と絶叫して床を這いつくばり助けを求めるように扉へと向かっていく。


 私と爺やの距離は開いていく一方。

 距離を詰めようと「行かないで爺や、どうして……」と呟きながら歩みを寄せる中、アタッシュケースにつまづいて不様にも転倒してしまった。


 目には熱いものがジワジワと溢れてくるのに眼前の床はとても冷たいわ。

 スッと視線を上げると、扉を必死に叩いて助けを求める爺やが涙でぼやけて見える。

 床を這いつくばり懸命に近づいていく。


 ――お願いだから、私を一人にしないで……私を見捨てないで‼


 手先に爺やの足がもう少しで届く。

 そう思った刹那、邪魔するように「プシュー」と音がして扉が開く。化学防護服を身にまとい自動小銃で武装する屈強な使用人が四人見えた。

 ドカドカと忙しく中に入って来ると、直ぐに二人が爺やを抱き上げて外に引きずり出そうとする。


 ――お願いだから、爺やを私から遠ざけないで‼


 残りの二人は近づこうとしている私を牽制するように銃を突き付けてきた。

「お嬢様、旦那様のご命令です。自室から外界へ絶対に出すわけにはいけません。お許しください」

 と優しく言うけど、きっとこの方々も私を疎ましく思っているに違いが無い。それにここで不様に抗っても、何時もの爺やは決して取り戻せない。


 今日の夢はだった。そう思って諦めるしかないわね。


 冷静になると一気に心が凍り付く。銃口を見詰めながらゆっくりと立ち上がり、踵を返して背中越しに喚き散らす見苦しい爺やを見送った。


 背後から聞こえたのは悲しく扉が閉まる音だけだった……。


 誰も居なくなった部屋は冷たくてとっても寂しいわ。

 聞こえてくるのは空調設備から虚しく吹きすさぶ風の音だけ。

 見詰める眼差しの先には、壊れたアタッシュケースと無造作に散らばっているラノベ数冊。私が頼んだラノベ以外のものも見て取れた。


 頼みもしないものを購入してくるなんて余計なお節介焼きね。

 爺や……。


 それにしてもとんだ笑い種。ううん、酷薄こくはくなアクシデントだったわ。

 所詮しょせん、爺やも皆様方と一緒だっただけ。私を疎ましく思って突き放したかった。最初から素直に言えばよかったのにね。


 醜い化け物を見続けるのに疲れたと――。


 慣れた別れの筈なのに、でもどうして私の目から涙が溢れ止まらないの。熱い涙が小川のように頬を伝い、悲しみを酷く心に刻みつけようとする。

 可笑しいわね。おまけに無性に笑いまで込み上げてくるわ。


「あはは」


 失笑が虚しく室内に響き渡るのが心底嫌になる。

 不様に涙を拭う中でキラリと光るものが目に留まった。何かしら? 訝しげに視線を移すと、床に転がっているラノベの一冊が不思議と淡く発光している。


 まるでそれを手に取ってと言わんばかりに……。


 違和感を覚えながら膝を折り拾い上げると、発光現象はピタリと止んでしまった。

 摩訶不思議な現象だったけど、手にしたラノベは<そうだ異世界で恋愛しよう~異世界はパラダイス。ナミが絶賛してお勧めします~>と題名がうったもの。

 表紙には、愛らしい妖精が可愛くウインクして手を差し伸べているイラストが描かれている。


 やけに異世界を押すところが嫌になるけど不思議と興味を掻き立てられるわ。

 思わずパラパラとぺーじめくり流し読みしていると、真新しい一枚のしおり代わりに挟まれていた。


 それは【大きな木の下で爺やと八歳の私が立ち並んで写ったもの】で私がニコリと自然に微笑むことができていた最後の思い出。


 とても、とても懐かしいわ……。


 あの頃はまだ外に出ることが許されていて、無邪気に笑うことも許されていた。

 ただこれを撮った直後に私は軟禁状態のような生活を余儀なくされたのよね……。



 私は上流階級の長女として生まれた。

 父は大富豪の家柄で母も名家の家柄。そんな二人に寵愛ちょうあいされて沢山の人にも愛され何不住なく暮らす。ましてや将来の安寧が固く約束されているはずだった。

 生まれて間もない頃は病気がちで散々手を焼かせたと言うけど、不可解な現象も引き起こしていた。


 私が泣き叫ぶと小鳥が大挙して自宅を取り囲み、あやすようにさえずり声を上げる。

 よちよち歩きが始まると跡を付けてくるように昆虫が集まって行進を始める。

 庭を走り回るようになる頃には、何処からともなく現れた小動物や爬虫類が私を取り囲む。


 そんな摩訶不思議な光景の数々を両親達は目にするようになった。


 それはまだ許せる範囲内だった。

 両親は動物達すら従える魅力を持っている後継ぎだ。獣皇院家は未来永劫に渡って安泰だ、と歓喜喝采すら覚えていたから。


 だけど、保育園に通う頃になると事態は急速に可笑しくなり始めた。


 外の遊具で遊んでいれば多数の烏たぐいが飛翔してきて上空を旋回しては、奇怪な鳴き声を上げる。

 同級生と喧嘩していると、どこからともなく現れた多数の犬猫が間に入って同級生へ敵意を向ける。

 送迎の車を取り囲むように熊猪たぐいが出没して、気が狂ったように車に突進しては血だらけになる。

 家の外に一歩出れば多くの野生動物が私を連れ出そうと試みる。


 猪突猛進な動物達は畏怖そのもの。動物達の異常な行動から私を守る使用人が遂に、大怪我を負う事件も発生してしまった。


 ここまでくると両親達も黙って見過ごすはずはなかった。

 動物達を銃で排除する非情な決断を下していた。


 一方的な虐殺と言える銃撃で、銃口から火が吹く度に私に近寄ってくる多くの動物が、命を落とす凄惨さに震えて顔を手で覆うしかなかった。眼前で動物達がもがき苦しみ息絶える中、私に救いを求めるように恍惚こうこつな眼差しを命が尽きる瞬間まで向けてくることが未だに忘れられない。


 その惨状に両親達は非常に頭を抱えたと言う。

 人知を超えた怪奇現象は人が与り知れている範疇はんちゅうを越えた。そう思った両親は、世界中の科学者や医者を集めて、私を委ねることにした。


 私はモルモットのように何度も何度も苦痛な精密検査を受け続けた結果、学者達が雁首がんくびそろえて出した結論は人も動物も備えている【フェロモン】の異常分娩ぶんぴつと分かった。


 私の身体から大量に放出される濃度が濃いいフェロモンは、動物達を魅了し惹きつけて異常な行動を促す科学的に証明できない【謎の物質】であった。

 

 気が付けば私は、世界に前例がない『希少難病』と認定されていた。

 それだけでことは済むはずがなかった。

 とある学者が余計なことを言ったからだ。

『自然界に生息する昆虫の中で私と似たような持ち主がいる。それは蜂達を束ねる【女王蜂】――』

 女王蜂は女王物質を発して働きバチを思うがままに動かし、蜂窩ほうかを繁栄へと導く崇高な存在。


 そのことを発端として『人間なのに女王蜂の生態に酷似している』と、学者達は好き勝手に仮説を並び立て始めて私は興味を大いにそそる<題材>となっていた。


 熱狂的な学者達は私を『女王蜂』と呼び持て囃し、『人類を大きく飛躍させる<哺乳類>に違いが無い』と、心にもないことを熱弁する始末。


 もう学者達は治療方法を示すどころか、私を<研究対象>としてしか見なくなっていた。


 そして<実験動物>として見られる私は、を奪われてとして扱われなくなっていた……。


 私は意気消沈とする中、例え醜くても両親は絶対に見捨てない。そう高を括っていたけど、無慈悲だと知ることになった。


『お前は<悪魔の子>だ。お前なんて。お前の所為で私の人生は滅茶苦茶だ』

 と日常的に口走っていたお母様が遂に精神が錯乱して自傷行為に走ってしまった。未だに精神を病み続けて入院を余儀なくされていると聞いている。


 お父様もそんな我が家の異常さに酷く落胆して到頭とうとうさじを投げたのだと言う。


 爺やに世話を無理やりに押し付けると、人や動物が安易に近寄れない孤島の崖の上に軍事施設の如く堅牢な邸宅を作り上げて私を閉じ込めることにした。

 獣皇院家の汚点と見なされた私は、臭い物に蓋をするように世間から

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