崖の上のホウカ~女王蜂と呼ばれる少女~

美ぃ助実見子

ホウカの喧騒

 ああ、麗しき美姫よ。

 その汚れ切った魔王城から必ずや私が救い出してみせます。

 魔物どもを聖なる力で打ち払い、苦境に立たされようとも必ずや姫のお傍に参ります。

 凛々しいエルフの勇者は姫を助けるべく、魔王討伐を堅く誓ったのだった。

(次巻へつづく)


わたくし獣皇院じゅうおういん蜂華ほうかは十八年間守り続けている純潔と深愛を貴方に捧げますわ。だから一刻も早く、魔王城みたいなから私を連れ出してよぉ」


 お茶目にも物語へ感情移入する余りに、自作の台詞を口走ってしまった。


 自室のアンティーク調の机に向かって読書することが好きな私は、机上の開きっ放しの小説を優しく閉じて、胸をときめかせながら妄想に耽る。

 見詰める眼差しの先には異世界もののラノベの表紙。

 イケメンエルフの勇者が年頃の可愛い少女を傍らに抱いている、イラストが心をグッと惹きつける。


 私もいつか異世界へ導かれて、白馬に跨ったイケメンエルフと胸を焦がすような恋愛ができるのかしら……。


 寂しさを覚えて周りを見渡すと、照明器具が煌々と照らす広い部屋にはアンティーク調の家具一式や寝具が並び、片隅には西洋の貴族が使い古したアンティークの本棚が配置してある。

 本棚には専門書・学術書に交じって小さく添え置かれたラノベ達が、いつでも私に素敵な輝きを魅せてくれて夢心地になれる。


 ネットサーフィンの傍らで一目惚れしたラノベは、夢想を掻き立てられる素晴らしい小説だった。


 世間知らずだけど、世界でも屈指の富豪令嬢である私が俗物的なラノベ好きを公言すれば、下々の者に笑われてしまうかもしれないわね。

 それでもラノベこそが唯一無二の娯楽と言えるし、心を癒せる慰み物には代わりないわ。


 だけど、未だに私の心は晴れることがないの……。


 小野小町の生まれ変わりと美貌を絶賛されても、名門大学を首席で卒業できる怜悧れいりを自負しても、日本を陰から操れる財源がバックにあったとしても、たとえ心躍る大好きなラノベがあっても、憎悪を抱くの所為で蟠りは決して取り除くことができないわ。


 神様は何故、私をのかしら……。


「はふぅぅ」

 思わず、大空を舞うがんも池に落とせる甘い溜息をついてしまった。デリケートな仕草なのにね。


 それにしても、思い詰めて憂鬱になることはいけないことだったわ。

 溜息をつけばつくほど幸せが逃げていき、不幸を招く要因となる。そう教えられたじゃない。


 ――そうだ、気分転換に外の景色を思い出そうかしら。


 気を紛らせる為にスッと窓の外を見詰めれば、濃いめの水色を背景にした海辺の断崖絶壁。崖の端に聳え立つ三階建ての重厚な古い洋館は、富豪が住むには相応しい立派な面持ち。

 目を閉じれば潮の香りが漂い、波の音やカモメの鳴き声が聞こえてきそう。


 と言っても、私が住むを模した絵なのよね。


 光が差し込まないような分厚いコンクリートの壁では質素過ぎて、気が滅入るだけ。鬱積する気持ちを少しでも晴らしたくて書き上げた窓辺の壁画。

 題名を付けるとしたら<籠の中の鳥の夢>と言ったところ。

 お粗末な絵心の集大成の割には、一人だけ絶賛して賛辞まで贈ってもらえた。両親に褒められたことがない私は本当に嬉しかったわ。


 今では一人でいるには寂しすぎる1LDKの室内を彩ってくれる調度品として、十分な役目を果たしてくれているわ。


「ゴンゴン、ゴォォン」


 壁画をぼんやりと見詰めていれば、自室の鉄製の扉を叩く音が背後から木霊する。

 千客万来と言いたいところだけど私の部屋を訪れる者は限られた者しかいない。それに闇夜も深い時間帯に訪問とは妙に胸騒ぎがするわ。


 と言っても、どうせ……。


 机上に備え付けられているインタホンが赤く点滅している。ソッとボタンを押す。


「キャッチセールスは断固お断り‼ ふふふ、おふざけが過ぎたわね。爺や夜分に何用かしら?」


「コシュー、御戯れを。ですが流石は蜂華お嬢様、爺は嬉しゅうございますぞ。コホー」


 インタホン越しのくぐもった声でも、爺やの声を聴けると自然と心が安らぐ。


 爺やは口ひげを蓄えた高齢の紳士。

 幼少の頃からの傍仕え。些細な悪戯をしても穏やかな眼差しで許してくれて、心温かく接してくれる優しさを持っている。

 ただ近頃は、耄碌もうろくして自室の入室方法をすっかり忘れているよう。寂しさを覚えるけど幼い頃から続ける悪戯が心を和ませてくれるわ。


「爺や、例の物は入手できたの?」


「コホー。ええ、随分と探しましたが手に入りましたぞ。

爺は若い者に負けじと焦る余りに、老骨の身へ鞭打って書店を駆けずり回り足を棒にしていましたぞ。コシュー」


 今日の爺やはどこか悲しそうにしているよう。

 可笑しいわね、たかだかラノベの続巻を買いに行かせただけなのに。

 まぁ、良いわ。

 爺やの姿を見れば心情も読めるだろうし、ましてやラノベの続きが心愉快に読める。ああ、続きはどんな展開になるのかしら。気持ちが焦るばかりね。


「入っていいわよ。手早く渡して頂戴ね」


「コシュー、失礼します」


「プシュー」っと炭酸が抜けるような音と共に鉄扉が開くと、乾いた足音が近づくのが聞こえてくる。


 椅子から冷静に立ち上がり振り返る傍ら、つい嬉しくて口元が綻ぶわ。

 まぁ私の笑顔を見れば爺やも喜ぶから一石二鳥ね。


 だけど爺やは重苦しい軍用の化学防護服を身に纏い、右手にはアルミ製のアタッシュケースを携えて直立不動の姿勢を取っている。


 なによぉ跳ねて喜ぶと思ったのにあてがはずれたわ。

 思わず頬がぷっくりと膨らむ。

 それにしても何時もの恰好かっこうに違和感を覚えないけど、防護マスクのゴーグルの奥に見える目はとても寂しそうに見える。それにどこか疲れているようにも見える。


 高齢だから気力が劣っている……そうだ⁉ きっと労いの言葉でも掛けてあげれば感激して気力を取り戻すに違いが無いわ。

 もう、爺やったら仕方がない人ね。


 爺やはソッとアタッシュケースを差し出してくる。


「コホー、蜂華お嬢様。いつも通り殺菌殺虫消毒を施しております。

爺が念入りに生物の痕跡が残っていないかどうかも精査済みでございます。不安など覚えず安心して最後までお読みいただけます。

どうか爺が退出した後、心行くまで小説を堪能して頂ければ幸いでございます」


 心躍る気持ちを押し殺して冷静に受け取る傍で言葉を掛ける。


「爺や何時もありがとうね。祖父みたいに接してくれるところが大好きよ。ふふふ」


 喜色満面を浮かべてサービスするけど気が気じゃないわ。爺やの反応を見るよりもラノベの続巻を読み耽る方が優先。


 手早く踵を返そうとした時――。


「歓喜極まるお言葉、爺は誠に嬉しゅうございます。ですが蜂華お嬢様! 誠に遺憾ながら本日は大変心苦しいことを申し上げなければなりません! フシュー」


 強い口調で引き留める爺やの言葉で咄嗟に動きを止めていた。


「なぁに? もしかしてこのラノベは一発屋だと言うのかしら。だったら私の権限で獣皇院家のお抱え小説家にすれば済む話じゃない。話は終わりよ。直ぐに取り掛かって頂戴ね」


 咄嗟に話をはぐらかしていた。

 それは決して、口調を荒げない爺やの珍しい反抗が嫌になるから。


「蜂華お嬢様! 話をはぐらかしても絶対に、引き下がりませんぞ!」


「爺や、見苦しいわ! 下がって頭を冷やしなさい!」


 爺やとは言葉を交わさなくても心と心で通じ合える。その先に発せられる言葉の数々が絶対に聞きたくない。爺やはまだまだ必要なの。


 ――お暇を頂戴とは言わせないわ‼


 心で念じても爺やの対応は揺るぎない。

「爺は愚か者でございます。耄碌してインタホンのボタンを押す事を忘れラノベも手軽にネット注文すれば済む話だった。ですが数々の失態を繰り返している始末。もう昔みたいに若くはないのです。体力の限界を感じざるを得ません。それに……」


「それに、が何よ‼ どうせ、と呼ばれる私に嫌気がさした。ううん、憎悪すら感じて冷たく遠ざけたいのだわ! 爺やも所詮しょせんみんなと一緒! ハッキリ言ったらいいわ。私は醜い化け物だと、そのものだとぉぉ‼」


「ドカン‼」けたたましい音が室内を騒がせる。

 思わず手にしていたアタッシュケースを床に叩きつけて、爺やを睨みつけていた。

 苛立ちを如実に表したこともある。それよりも憤慨を増長する事で情をかけさせて心を繋ぎ留めたい幼稚な抗い。


「蜂華お嬢様、それは断じて違いますぞ‼ 心外な言葉の数々に爺は悲しゅうございます。実子がいない爺は実の娘と思って見守ってきました。いわれのない物言いをされるとは……」


「愛想を尽かす、そう言いたいのかしら⁉」


 爺やは私の事を蔑んだりしない。それは分かっているわ。

 ――だから黙って下がって、爺や‼

 そうすれば今までと変わらない日常を送れるから。でも、もしかしたら根底には……疑念を抱いちゃダメ。

 ――爺やを信じないと。

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