マンドラゴラに幼馴染を殺されて七年目の夏

カポラーデック坂本

マンドラゴラよ、なぜ叫ぶ

 私が17のとき、彼女はマンドラゴラに殺された。


 彼女は幼い頃より女手一つで育てられていた。父は猟師だったが海でなくしている。常々、大きくなったらお母さんに恩返しをするんだ、といっていた。村の誰もが彼女のことを好いていた。気性は明るく、弾けるような笑顔は果実のようで、声は鈴のようだった。


 私はいつも彼女の後ろをついて歩く気弱な少年だった。気弱でよくからかわれるから彼女に面倒を見てもらい、それが他の子どもたちの怒りを余計に買う。それでも私は彼女と一緒にいられることが嬉しかった。


 そんな彼女の笑顔がなくなったのはもう七年前のことだ。始まりは、彼女の母の病だった。


 ある日、暗い顔をした彼女が私を家に誘った。これを見て、と見せられたものは、もはや人の形をしていなかった。


 しゅうしゅう、と僅かに漏れる息の音と蠢きがそれを人であると、少なくとも生き物ではあると証明してはいた。しかし、それだけだ。ヌメヌメとした鱗に覆われたコブは松ぼっくりのように隆起し、わずかに四肢の名残だったものを覆っている。その先端から出ているのは触手だろうか、不気味にうごめいていた。お母さん、こうなっちゃった。そう言う彼女の顔は蒼白だった。


 当時の私はすでに学問の道に進んでいたので、その病には見当がついた。海瘤病と文献にはあった。もっとも、それはあくまで表面に現れた症状から便宜上、そういう病であると名をつけたに過ぎなかった。正規の学問においてそれは原因も治療法も一切不明、ということになっている。


 海の気がね、私の家に取り憑いたんだって。そういった彼女はまるで別人のように幽鬼じみた怖気を震わせるものだった。私のお父さん、海で死んじゃったでしょ。多分そのときね、海の精霊を怒らせちゃったんだよ。だからお母さんも呪われちゃったんだ。全部、海がよくないんだよ。だからね、山を、山を取り込むの。


 そういって彼女が見せたものは、マンドラゴラだった。どれも殺されている。これを一人で?そう疑問に思う私の目の前で彼女は母親であるものの上でマンドラゴラを握りつぶした。耳をふさごうとしたが、声は出なかった。


 マンドラゴラの汁が触手に滴る。びちびちと少し、はねた。でもね、これじゃダメなの。え?私の当惑をよそに彼女は話を進めていく。


 あのね、海って、海ってどこから来たのかわかる?海はね、海は私たちの世界が出来たときに、世界にならなかったものの残りから湧いてくるんだよ。だから海はこの世界を憎んでいるの。山がね、山が隆起した時に自分の居場所を奪われたから、陸を憎んでいるから、陸のものを自分たちのもので覆おうとしてるんだよ。


 だから、だから海のものを払おうとしたら陸の、山の力が必要なの。ねえ知ってる?マンドラゴラっていうのはね、殺した人の数が多いほどその薬効が強くなるの。ここにあるマンドラゴラはほとんど殺せてないからね、これじゃダメなの。


 そういった彼女の説明は何一つ理屈になっているとは感じなかったが、今ならわかる。この世から隠されし海神と山神の勢力争い。人の死と狂気を養分にすることで生長していく山神の眷属……それらは後に禁書として指定されたはずの地理書に描かれているのだと私は知った。しかし、なぜ母の治療に追われていた彼女がそれを知ることが出来たのか、それはわからぬままだ。


 私が探しているのはね。彼女は言う。誰よりも人を殺したマンドラゴラなんだ。そう私に笑った彼女の笑みは、しかしいかなる意味でも私の知る彼女の笑顔とは別物だった。


 その後自宅に戻った私はベッドでずっと耳を塞いでいたと思う。目の前の現実はあまりに受け入れ難かった。だから全てから目を閉じ、耳をふさいで拒絶しようとしたのだ。それが結果としてその夜、唯一私を救うことになったから皮肉なものだ。


 青白い月の夜だった。ずっと耳をふさいでいた私は嫌な予感がして外に出た。人が、奇妙に折れ曲がり死んでいた。それは木の根に近づこうとするような姿だった。村の広場に幾重にも絡まった村人たちの死体がある。その中心に笑って佇む彼女がいることを、あるいは私は予感していたのかもしれない。そして、その背後には。


 それは今でも私にわずかばかり残された理性はその姿を思い浮かべることを拒む。マンドラゴラはせいぜい小さな人型の植物だと私は教わっていた。だがあれは?確かに植物の筋が不気味に重なり合って、遠目には人の四肢を模しているとはわかる。左足はもう抜けている。だが、ああ、根の先端はこれほど禍々しくうごめくものなのだろうか?なぜこのような生き物を前に、彼女は笑っているのか。


 なあんだ、君だけ生き残っちゃったか、でもこれだけ殺せば十分だよね。そう彼女は言った。これだけあればお母さんを治すのには足りるよ。そういう彼女の足元に確かに彼女の母であるものはいた。その触手とマンドラゴラの根は奇妙に似ていると感じた。こんなに大きいマンドラゴラなんだよ?だったら、海を追い出すには十分足りる山だし、森だと思うな。そういった彼女はナタをそれに振るう。液が彼女の母であるものに飛ぶ。苦悶の呻きをあげるように触手がくねり、鱗が震える。治る様子はない。


 おかしいなあ、なんで治らないんだろう。そうか、死体が足りなかったからいけないんだ。君が生きてるのが悪いんだね。彼女は私にそういった。なら君もこいつの養分になるべきだよ。もっと、もっとたくさん。私は恐怖に耳を塞いだ。彼女がマンドラゴラのもう片方の足を引き抜いた。


 私はその後長く気を失っていたようだった。目を覚ましたときにはもうマンドラゴラも彼女の母だったものもいなかった。だが、他の村人とともに彼女の死体も転がっていた。どの顔にも、得も言われぬ至福の法悦を味わった、快楽の形相が張り付いていた。


 その後七年、私はそのマンドラゴラを求め続けてきた。その道のりで私は多くの禁呪とされる知識に触れることが出来た。この世が分かたれがゆえに、海も山も世界の合一を求め続けている。マンドラゴラがその声により、人の命を奪うのは、かつてこの世界がそうであった音だけが鳴り響く世界を再生する行為に他ならないのだと私は知った。そして、私はついにそのマンドラゴラが眠っている場所を見つけた。


 そのマンドラゴラはあの時より遥かに肥大化していた。海の磯臭さがわずかにそこに混じっている。やつは、彼女の母親を食った……いや、海と陸の合一を遂げたのだ。ここに完全な世界の予兆がある。もう少しだ。もう少しで彼女の夢も叶う。


 私は、そのマンドラゴラの根を引き抜いた。それは植物の根とも海鮮生物の触手とも見えるものだった。そして──同時に、世界全てにその悲鳴が轟いた。


 私はそのさなかに悟ったマンドラゴラの悲鳴には、歴史上自然に命を奪われた全ての人の声が混じっているのだと。私は確かにそこに、彼女の声を聞いた。彼女だけではない。彼女の父も、母も、あらゆる歴史上の死者たちの声が全てそこに混じっていたのだ。私も叫んだ。遠くからも大きな叫び声が聞こえた。今全ての生命が叫びをあげているのだ。不思議なことではない。それは至上の喜びだった。


 そして、世界は再び完全なものになった。

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