楽しくて、つまらない食事

「これから飯を準備するから、しっかりと席に座っとけー」

『はーい』


 鯛道は持ち帰った食料――固いパンと余り物や見目のよくなかった野菜を袋から取り出して、木製テーブルの上に広げた。

 それでも満腹になれるほど食べ物はなく、子供たちの残念そうな表情が鯛道の心を抉る。


「……ちょっと待ってろよ」


 鯛道は食事に一手間加えるため、台所で火を点けて鍋に野菜をつぎ込む。それから井戸水を注いだ。


「あとは……これだな」


 ただでさえ、このスラム街では滅多に手に入らない塩をひとつまみ、鍋に放り入れる。しばらくの間、コトコトと煮込んで野菜の水分が滲み出てきたところで火を消した。


「おっし、できたぞー! そっちに持ってくから、皆手伝えー」


 鯛道の一声に皆は席を立って、行動を始める。そんな中、猫雅は何をすればいいのか――何をしてよいのか、迷った。


「……ほら、猫雅も手伝って」

「あ、ああ」


 桧綺に渡された木のフォークと皿をいくつか、テーブルへ運んでいく。鯛道もあわせて五人分の食器なので、そう時間はかからずに運び終える。


「んじゃあ、食べよう!」


 鯛道は椅子に座ると、両手の平と平を合わせた。


「鯛道……それは?」

「ああ、言い忘れてたな。俺の故郷だと食事の前にはこうやって、食べ物を作ってくれた人に感謝してから食べるんだ」

「じゃあ、鯛道に感謝するんだな……。鯛道、ありがとう」


 猫雅も倣って手を合わせて、感謝の言葉を述べる。鯛道は首を横に振って、


「違う違う。この食事じゃなくてだな、生産してくれた人たちに感謝するんだ。ただでさえ裕福な奴らからしてるんだ……いいな?」


 鯛道は一瞬暗い表情になったが、すぐに面持ちを取り戻す。


「なるほど。生産者に、感謝……!」


 猫雅は二度、頷くと皆の顔をまわし見た。皆そろって、貧しい境遇にも関わらず笑顔だ。だから自然と猫雅の頬も緩む。


(この人たちは、全く絶望なんてしてないんだな……!)


 同時に鯛道の言葉を思い出しながら、その意味とともに固いパンと野菜スープを咀嚼した。



 ***



「ああ、そういえば猫雅」


 食事の最中、鯛道が別の話題を切り出した。


「ん? なに、鯛道……?」

「お前さんはどうしてあの場所で倒れていたんだ?」

「あの場所……?」


 猫雅は起こされた場所がとても大きな滝であることは覚えている。それでも何故かと聞かれるほどのこと話題でもない。

 しかし、鯛道はそのまま続けて、


「あの場所はな……世界の淵なんだ。この街も、世界の隅っこだ。だから、少し気になってな……」


 世界の淵。その言葉を聞いても、全く思い出すことができなかった。


「淵の向こうには、何が、あるんだ……?」

「淵の向こう? ああ、らしいぞ。ただ落っこちる……それだけなんだとさ」


 誰かに聞いて来たかのように、鯛道は答える。でも、鯛道本人の表情も疑心暗鬼の色が濃いようだった。


「う、う……ん?」

「猫雅、お前さんはもしや……」


 何か、知ってはいけなさそうな事実。その察しがついた鯛道ははっと口を噤む。心の内へしまい込んで、鯛道はすぐに朗らかな表情へ戻った。


「……楽しいけど、なんだかつまらないな」


 猫雅はふと呟く。楽しいはずなのに何かが足りなくて、その正体が一体何なのか猫雅には分からない。一瞬だけ目くじらを立てた鯛道だったが、猫雅の今までとは明らか異なる雰囲気に言葉を失ってしまった。


「猫雅、お前……はぁ、早く食べるもん食べるぞ」


 それからというもの、無言の団欒が続く。一番最初に迦銀が食べ終えて、次に猿弥が席を立つ。


「それじゃあ遊んでくるー! 行こうぜ猿弥!」

「うん、行こう!」

「……まって、私も!」


 二人は納屋の戸を開けて、外へ飛び出した。先に外出してしまった二人に対して不満そうな桧綺も、残りの食べ物を一口で飲み込むとたちまち二人の後を追う。

 部屋に二人残された猫雅と鯛道は、お互いに口を噤んで虚しい時間が続く。その空気感に耐えられなかったのか、鯛道の口からぶっきらぼうな言葉が漏れた。


「……お前さんも遊んでこい。子供は遊んで育つんだ。だから、今できることを……楽しんでこい!」


 少しだけ、ぶっきらぼうにも聞こえる。それでも、その言葉には鯛道の精一杯の優しさが込められていた。


「……ああ、わかった。遊んでくる」


 猫雅は軽く頷くと、焦げ茶の前髪を揺らして小走りに戸の外へと出ていった。

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