第24話 名前を呼んで

「イチャイチャって、そんなことを言われても」


「ふふふ。いいぞいいぞ。初めてできた彼氏とどう距離を詰めていいかわからない初心な表情……うひひ」


「上布津部長。僕と田野たのさんは別に付き合ってるわけじゃ」


「そういう問題じゃない! 心意気の問題だ。我々から見れば道玄坂どうげんざかくん達は付き合ってるも同然。こんなに女子と話してるんだぞ。なあ、みんな?」


 部長がパソコン部に同意を求めるとみんな無言で力強く頷いた。僕も少し前まではよく一緒につるんでいる男女は付き合ってると思っていた。

 

でも、陽キャは別に恋人じゃなくても異性と日常的に交流している。その中で特別に仲良くなることもあるだろうけど、男女の友情は成立するっぽいというのが最近の見解だ。


「ぬふふ。次はもっと恋人のように振る舞ってほしいですな。リアルJKが恋人にだけ見せる表情をVRで再現できれば拙者達もリア充の仲間入りですぞ」


 真島先輩は田野たのさんの目を見ず、露骨に胸を凝視しながら饒舌に語った。恋人になればおっぱい揉み放題とでも考えていそうだ。

 要するに僕におっぱいを揉ませてその反応をVRに反映させようとしている。

 

 僕だって揉んでいいのなら揉みたい。だけど何度も言うように僕らは恋人ではないし、みんなの前で胸を揉むなんてそれこそ事案だ。


 いくらパソコン部の悲願であるVR制作のためとはいえボランティア部もそこまでは手助けできない。


「あの、わたし今まで彼氏がいたことなくて、恋人らしくって具体的にどうすれば」


「それは拙者達に聞くとは片腹痛い。恋人がいないのは拙者も同じ。自分の頭で考えるでござる」


「真島先輩、せめて今までプレイした恋愛ゲームの経験でも語ってくださいよ」


「はっはっは。あれはあくまで妄想。拙者達が求めるのはリアルJKの反応でござるよ」


 まるで僕の言ってることがおかしいみたいな空気にされてしまった。真島先輩の言わんとしてることもわかるけど、こんなだから僕らに彼女ができないんだろうな。


 ボランティア部として客観的にパソコン部を見たことで自分がモテない理由がわかってしまって辛い。


「わかりました。ボランティア部の実績のためにもできる限り努力します。ね? 道玄坂どうげんざかくん」


「え? 僕に振るの?」


「だって道玄坂どうげんざかくんはパソコン部でもあるんだし、しっかり協力してもらうよ」


「お……オッケー」


 川瀬以外は初対面ということもありパソコン部員に対してはちょっと遠慮がちというか、少し押され気味の田野たのさんも僕には強気だ。

 

 こいつらの前で経験したこともない恋人プレイをするというのは羞恥の極みだけど、他の男子と僕とで態度が違うのは優越感だったりする。


「それじゃあ……すぐるくん」


「ふえっ!?」


「変な声出さないでよ。恋人なら名前で呼び合うものでしょ。ほら」


「え、え……それは」


「わたしはもうすぐるくんって呼んでるんだよ? パソコン部の依頼なんだからちゃんとこなさいと」


 パソコン室にいる餓えた獣みたいな男子からの視線が痛いほど刺さる。もし自分があちら側の人間なら同じような顔になったと思う。


 裏切りとは少し違うんだ。ずっと仲間だと思っていた人間が急に成長したり卒業すると焦る気持ちはよくわかる。僕も中学のオタク友達が彼女らしき女の子と一緒に歩いているのを目撃した時は死にたくなったもん。


「ほら、早くしてよ。わたしばっかり恥ずかしい」


 まるでキスでもねだるように唇を尖らせて上目遣いで迫られる。もしかしたら今まで経験した田野たのさんとの思い出よりも恥ずかしいかもしれない。


 田野たのさんがうっかり僕におっぱいを押し当てたり、初めから存在しないプライドを捨てて足を舐めるのとは違って、相手の名前を呼ぶという行為は親密になった証と言っていい。


 ここで名前を呼んだら田野たのさんとの関係がグッと近くなる。それがボランティア部の活動の一環だったとしても、きっと今までの関係とは少し変わってきてしまう。


 川瀬は本人がいない所で田野たのさんを『美咲みさきちゃん』と呼んでいた。

 それはアイドルを呼ぶような感覚であって、むしろ距離感は遠い。たった三文字の名前を口にするだけなのに喉はカラカラになっていた。


すぐるくん」


 田野たのさんに名前を呼ばれるたびに鼓動が早くなる。女子から名前を呼ばれるのってこんなにドキドキするものなんだ。陽キャが気軽にやっていることが僕らにはとてもハードルが高い。


 覚悟を決めて乾いた口の中で唾を溜めて、一気に飲み込んだ。


「み、美咲みさき……さん」


「なあにすぐるくん」


「えと……名前を呼び合ってこのあとどうするの?」


「それはすぐるくんが考えてよ」


「ごごごごめん」


 名前を呼ぶことに必死で他のことは何も考えていなかった。真島先輩には恋愛ゲームの経験を教えてあげてほしいと言ったものの、たしかにあれは都合の良いフィクションだ。


 それを現実の女の子に押し付けるというのはさすがに嫌われてしまう。だからといってリアルな恋愛経験がないから次の一手が何も思い浮かばなかった。


「……リクエストもあったし、膝枕してあげる」


 田野たのさんは椅子を三脚並べて自らは左端に座った。

 校則をしっかり守ったスカートは彼女の太ももをしっかりと守っている。


それが清楚さを強調していてるし、僕の髪の毛で彼女の肌を傷付ける心配もない。

むしろシチュエーションとしてはこれ以上ない最高のものだった。


「さ、どうげ……すぐるくん」


 道玄坂どうげんざかと言い掛けて訂正すると太ももをパンパンと叩いた。ここに頭を乗せろというメッセージだ。


「ぬふふふふ。リアルJKの膝枕。将来お金を貯めてお店でしてもらうしか方法がないと思っておりましたぞ」


「ふっふっふ。VRさえ完成させればいつでもどこでも膝枕だ。今日は我々パソコン部にとって大きな一歩となる一日だ」


 変な盛り上がり方をされてめちゃくちゃ恥ずかしい。一番恥ずかしいのは田野たのさんだろうけど、気心が知れた仲だからこそ見られて恥ずかしいものがある。


 いっそ陽キャに囲まれている方が後のことを考えずに田野たのさんの太ももに身を任せられる気がする。


「それじゃあ田野たのさん、失礼します」


「…………」


 ぷいっと視線を逸らされてしまった。さりげなく今まで通りの田野たのさん呼びに戻したのにしっかりと対応されてしまった。

 なにもここまで役に入らなくてもいいのに。こうなった田野たのさんは絶対に譲らないので、僕はまだ慣れない口の動かし方をした。


美咲みさきさん、失礼します」


「どうぞ」


 ただ名前で呼んだだけで簡単に聖女の微笑みに戻った。できることなら太ももではなく胸に飛び込みたいくらいの包容力が溢れ出ている。


 自分の好みをグッと抑えて、まずは空席の椅子にお尻を乗せ、もう一つの椅子に足を乗せた。あとはこのまま体を倒せば田野たのさんの太ももに頭が着地する。


「それじゃあいくよ」


 ゆっくりと体を倒していくと無機質な天井が視界に入る。そこからさらに重力に身を任せるうちに見慣れたブレザーが目に入った。


 僕とは違って滑らかな曲線を描くブレザーはいつまでも見ていられる不思議な魅力を発している。さらに頭は枕とは違う弾力に包まれて心地が良い。


すぐるくんどう?」


「うん。気持ち良い」


 シンプルな感想しか出てこなかった。もっといろいろな言葉で褒めないと田野たのさんに怒られるかと思ったけど、それどころか彼女は優しく僕の頭を撫でてくれた。


「よかった。こんなに恥ずかしい思いをしてるのに不満を言われたらどうしようかと思っちゃった」


美咲みさきさんの太ももは最高だよ」


「むぅ……なんか遠まわしに太いって言ってない?」


「言ってない言ってない。ただ最高って褒めただけだよ」


「それなら許す」


 胸が邪魔をして田野たのさんの表情はよく見えないけど、不満そうな言葉を口にしているわりに拗ねていなさそうな、そんな顔が想像できた。

 まるで本当に田野たのさんの彼氏になったような気分を味わっている。


「ふむふむ。リアルJKは彼氏に膝枕をするとこんなリアクションをするのか」


「むふふふふふ。やはり膝枕は至高! 男女問わず全人類が通過すべき至福の時間ですぞ」


「拙者の妄想だと思っていたが、やはり膝枕は授乳でござる。太ももあっての授乳。みんな違ってみんな良い。部長の言う通りでござった」


 僕の幸福をオタク達の気持ち悪い言葉が邪魔してくる。だけどそのおかげで僕が完全に勘違い沼に落ちずに済んでいる一面もあった。


 田野たのさんはあくまでもボランティア部の活動として僕に膝枕をしているだけ。

 名前で呼び合うのも今だけで、パソコン室から出れば田野たのさん道玄坂どうげんざかくんの間柄に戻る。


 キモオタをバカにしているけど、僕だってそんなキモオタの一員だ。リアルJKと少しだけ多く触れ合っているだけで、最後にはみんなと同じVRで二次元美少女と幸せな時間を過ごす。


 僕が今すべきことは、この瞬間をしっかりと記憶に刻むこと。

 そして、僕らの下心丸出しの依頼を受け入れてくれた田野たのさんへの感謝だ。


美咲みさきさん、ありがとう」


 薄れていく意識の中、この一言だけはパソコン室でボランティア部の活動をしている間にどうしても伝えたかった。一歩でも外に出たらまた田野たのさんに戻ってしまうから。


 僕の勝手な思い込みだけど、この瞬間だけはちゃんと相手のことを想って名前を呼べた気がした。

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