第42話 絃の切れる音

人間の愚かしい所、琵琶女はそう言って見せて来たのは、悲しい光景だった。


何を思って男達は女と子を蹴るのか、わからない。


それを誰も止めないのも何故なのか、わからない。


そして、殴られる女が、姿は今と全く違うが琵琶女であるという事は何故かわかった。


物の怪になる前の琵琶女だ。


なんて悲しいのだろう?


物の怪になったのは、人間の男への、助けてくれない周りの人間への、憎しみからだった。


それなら、だからこそ、止めさせなければいけない。

琵琶女にこれ以上辛い思いをさせるのも、同じ思いをする人間を生むのも、止めさせないといけない。


…放った言葉が琵琶女に逆効果であったのは意図しなかった。


琵琶女は悲鳴をあげ丸まったかと思うと、急に静かになって止まった。


「どしたんだぁ?」

鬼丸が言う。

「なんかいるな、腹に」

天狗の目がどうしても腹に向かう。

丸い、玉。

玉が腹に入っている。それはとても禍々しく、子供天狗は吐き気を催した。


琵琶女はその腹から伝わる禍々しい気配を全身に移し纏い、上体を起こすと子供天狗の方を向いた。

その顔は邪悪な形相そのもので、目に入ったものを魅入ろうと何かを発している。


子供天狗は急いで目を閉じた。


べべん。


しかし琵琶の音が頭に響き、全身に激痛が走った。

「童!」

鬼丸の声が届く。


思わず目を開けると、禍々しい気配を漂わせる琵琶女はにたり、と笑ってこちらを見ているし、全身に切り傷が複数出来ている。


にたり、と笑った顔が頭の中に残って思考が止まり、体が動かなくなった。


体が、琵琶女に取られた気がした。


虚ろな意識の中で、鬼丸が見える。どうしてか鬼丸が憎く憎く、団扇うちわを向けた。


「…!…!」

  誰かが必死に声を出している。

  誰かが必死に俺を呼んでいる。


「童!正気に戻れぇ!」


  血の匂いがする、憎い憎い奴の匂いだ、

  もっと欲しい。


「童!童!しっかりしろぉ!」


  うるさい、邪魔をするな!

  この童は、我の傀儡じゃ!!


  …?


  誰かが俺になっている。

  誰かが、俺が、鬼丸を、傷つけている!


「やめろお!」


子供天狗は目を開けた。


鬼丸と目が合う。鬼丸が、子供天狗の腕を掴んで押さえている。


「鬼丸っ!」

「童ぃ!気がついたかぁ!」


そのまま鬼丸は子供天狗を抱きしめて喜んだ。

鬼丸から血の匂いがして、子供天狗は自分がしたのかと思うと血の気が引いた。


「すまねえ鬼丸!」

「気にすんなぁ、大丈夫だぁ」

子供天狗は抱きしめ返して、謝った。


「それより待ってろぉ!」

鬼丸はそう言って子供天狗を抱いたまま琵琶女に向かい走り出すと、勢いをつけて飛びかかった!


べべん、と琵琶が鳴り、子供天狗の目が死ぬ。


しかしすぐ様、鬼丸は琵琶女が手に持つ琵琶を蹴り上げ、落ちて来た所をもうひと蹴り。


ぴいん。


琵琶は絃が切れ、地に落ちる。


がたん。


子供天狗の目には光が戻り、鬼丸と目を合わせた。


「琵琶が壊れたぁ、これで操られねぇぞ!」

鬼丸は雄叫びを上げる。


「物の怪ぇ!」

鬼丸は力強く吼え、空気が震えた。


その圧に、琵琶女はびくりとする。


「もう止めろぉ!」

鬼丸の叫びに、琵琶女は琵琶を無くしてなお睨みつけてくる。


「何がわかるのじゃ!なぜ止めねばならぬのじゃ!」


つらそうだからだぁ!つらいのにそんなする事ねえ!」


鬼丸の叫びを受けて、琵琶女から禍々しい気配が瞬時に消えてしまった。


そして、まるで気が抜けたように淡々と細い声を出して喋り始めた。


「…辛そうじゃと」

「そうだぁ、物の怪お前、辛いんだろぉ、だからそんな顔してるんだぁ」

「どんな顔をしておるのじゃ、我は」

「泣きそうな顔してるべぇ」


「泣きそうな顔…?」


琵琶女の声は本当に細切れてしまった。



ずっと傍観していた天人がそれを見て、決めた。

辺りを見渡し、小さな餓鬼を探す。

近くの物陰から琵琶女を心配そうに見つめている餓鬼を見つけて、天人は近づく。

天人に気づいた餓鬼はじっと天人を見つめ様子を伺っていた。

恐れないのは、危害を加えないと理解しているからだと天人は思った。

「賢い子だね、君はどうしたい?」

そう言って天人は餓鬼に、選択肢という"贈り物"を与えた。



禍々しい気配はすっかり消えて、立ち尽くす琵琶女。

鬼丸を見つめては呟いた。

「お前、人間になりたいのじゃろ」

「ああ、そうだぁ」


「そんな事は無理じゃ、諦めろ」

「そんな事ねぇ」


「どうせあの卑しい男に唆されたのじゃろ、諦めろ」

「諦めねぇ」


「人間になどなれぬし、なれたとしてどうする?虐げられるのがおちじゃろうに」

それは悲しそうに、弱々しく琵琶女は言った。

「虐げられるか?」

鬼丸は琵琶女に聞いた。

「…お前に聞いた我が愚かじゃな、もう良い」

琵琶女は目を閉じた。


すると、町を隠していた靄が晴れていく。

子供天狗はそれを見ていた、物凄い勢いで靄が晴れていく様を。


まるで琵琶女の心そのものなのだ、と子供天狗は思った。



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