第7話 名前は

鬼丸おにまる

鬼の名前は鬼丸おにまると言うらしい。

目の前の鬼は名を言うのも嬉しそうだ。

ばばぁがつけてくれたんだ」

鬼丸おにまるばあか」

鬼丸おにまるは首を振りながら答える。

「人間のばばぁだぁ」

人間が鬼に名前をつけるなど初めて聞いた。

「に、人間のばあがか!」

「そうだぁ」


鬼丸おにまるは空を見上げる。


ばばぁは人間の事を色々教えてくれたんだ」

「怖いものしらずの人間がいたもんだな!」

鬼丸おにまるの前にあぐらをかいて座り、鬼丸おにまるの話に集中する。人間を食うと言い伝わる鬼に名前をやるなど、それは一体どんな状況だったのか知りたくてしょうがない。

ばあとはどうやって知り合ったんだ?」

ばばぁは俺の住んでた山に捨てられたんだ」

ばあも捨てられるもんなのか」


天狗の里では、親に捨てられた赤子達が天狗に育てられている。だから人間は赤子を捨てる事があるのだと知ってはいたが、ばあが捨てられるとは知らなかった。


「それで捨てられたばあを俺みたいに助けたのか?」

「いんや、逆だぁ。俺が助けられたんだぁ」

この図体のでかい鬼を助けたとは、なんと強靭なばあなのであろうか。ばあとはしわしわの弱々しい人間の事なのだと思っていた。


「世の中には途方もない人間がいるもんだな!」

「そうだぁ。ばばぁはあったけえ人で、色んな事教えてくれたんだぁ。あの飴の作り方も教えてくれたんだぁ。飴を作れる人間なんか、その辺にもおらん、すごい人だったんだぁ」


鬼丸おにまるの嬉しそうな喋りを聞いていると、どんなすごいばあなのかと知りたくなる。

「会ってみたいと思うじゃないか、そのばあはどこにいるんだ?」

鬼丸おにまるは喜んで教えてくれると思ったのだが、その表情は悲しげなものに変わってしまった。


「どうした??」

具合でも悪くなったのかと心配した。


ばばぁはもう死んでしまったんだぁ」


鬼丸おにまるはうつむき、現実ではないどこかを見ている様だ。

「そうか、それは悲しいな…」

人間は簡単に死んでしまう。

病気もそうだし、餓えもそうだ。自然にやられてしまう事もあるし、動物にやられる事もある。

そんな人間達を助けるのが天狗であるのだと信じている。

「俺はばばぁを助けられんかったぁ…」

鬼丸おにまるは悔しそうにつぶやき、鋭い爪を持つ手で目を抑えた。


鬼丸おにまるは涙を流していたのだ。


鬼が泣くなど聞いた事がないので、それはそれは仰天した。

ばあは病気だったのか?」

「いやぁ、元気だったぁ。でもしばらくするとあんまり起きんくなって、ずっと寝てるようになったんだ。体でも痛いんかと思って寝ておくように言ってたんだ。そしたらある時に、珍しく喋ったんだ。俺も嬉しくて調子こいて喋ってたら、ばばぁはまた寝ちまって、いつ起きるんかなと思ってたら、…その時にはもう死んじまってたんだな、どんどん冷たくなっていったんだぁ」

そう説明すると、嗚咽で言葉にならないくらいに泣き出してしまった。


先程、鼻水をかませてもらった恩もある。子供天狗は布きれを持っていなかったので、背中に背負っている葉っぱを外して鬼丸おにまるにやった。


「これで鼻でもかんでくれ」


子供天狗の背中を覆える程の大きい葉っぱだったが、鬼丸おにまるの鼻かみには丁度いい大きさだ。

鬼丸おにまるは葉っぱで鼻をかむと、丁寧に畳んで手で持った。

「ありがとう。だけどこれはもう使えないなぁ。」

「良いんだ。木に紛れると思ってつけてるだけだからな」

「人間の子は木に紛れたいのか」

「うん、まぁ、そんなところだ」

少し答えにくかったので誤魔化した。


「しかしその話だと、ばあは病気ではなさそうだな?」

「そうだなぁ、苦しんで死んだんじゃないだろうから、それだけが救いだぁ」

そうして鬼の堅い頬にある涙の後を拭った。


「所で鬼丸おにまる、俺は沢山の岩を動かす必要があるんだけど、何かいい方法を知らないか?」


「何で岩を動かしたいんだぁ?」

鬼丸おにまるは真っ直ぐな目で見つめてくる。

不思議なもので、もう怖くは無かった。

「田畑に土砂岩が流れこんでしまって困っている童がいるんだ」

困っていると言われた訳ではないのだが、きっと困っているに違いない。

「俺はこの腕で岩をどけるだけだからなぁ、方法って言っても…。その岩、俺が行ってどかしてやろうかぁ?」


鬼丸おにまるわらしの家に行って岩をどける!

そんな事は思いもつかなかったのでびっくりした。

「そんな、いいのか?鬼丸はここで忙しいんだろう?」

「忙しいが他の事が手につかない訳じゃない、ほれ、行こう」

鬼丸おにまるは立ち上がって出発しようとしている。慌てて子供天狗も立ち上がる。

「待ってくれ、今行ったら陽が登ってくる。明日にしよう。」

「そうか、わかった。では明日、迎えに来てくれるか?」

鬼丸おにまるはしゃがんで子供天狗に近づいたが、それでもだいぶ大きい。

「あいわかった!助かる、ありがとう」

「いいんだぁ。俺は人の為になる事をして、人間になりたいんだぁ」


鬼が人間になる、とはまた凄い事を言い出した。


鬼丸おにまると話すと驚く事ばかりで落ち着く暇もない。

「人間なるとは、どうするんだ?」

「人の為になる事をすれば、いつか人間になれると聞いた。この岩達も、それを教えてくれた人間に頼まれててしているんだぁ」

鬼丸おにまるは自分が転がした岩達を眺めながら、自慢げに言った。

「だいぶ転がしたなぁ、ちょっとは人間に近づいたかなぁ」

それはたいそう嬉しそうに言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る