ぜんはんせん

 良いニュースと悪いニュースがある。そんなお約束な言葉が頭に浮かんだ。こんな状況でも冷静に状況を分析する。

 良いニュースは、重力崩壊の影響はこちらのコートまで及んでいないこと。

 悪いニュースは、巨大な砂時計がこちら側に微速前進していること。


「いやいやいやいやっ!?」


 あんまりな状況に、頭を働かせども気持ちが追いつかない。


「ぐわああああああああああああ!!!!」


 洗濯機に回される洗濯物のように、ボールのおじさんが飛び回る。それを見ながら雫は思考する。


(意外と大丈夫……? いろいろ、たいへんすぎて…………でも、必要以上に恐れることはなさそう…………?)


 小型拳銃をエンドフェイズに向ける。発砲。だが、重力崩壊領域に入った途端、弾丸はあらぬ軌道を描いてどっか飛んで行った。


(攻撃は無理⋯⋯絶対に届かない)


 だが、殺しは勝利条件ではない。これはあくまでもサッカー競技なのだ。幸い、敵からの攻撃は来ない。なんとか対策を――――


「あ⋯⋯やばい」


 砂時計の真正面。巨大な火球が渦巻く。この距離からでも、肌がチリチリ焼けるような熱気。それが大雑把な軌道で投げ放たれる。


「――――ッ」


 悲鳴を上げる余裕もなかった。ボールおじさんの絶望顔と目が合った。お互いに緩慢な動きで首を振る。スタジアムの遥か彼方。ここから見えないどこかに着弾したらしい。

 爆炎と轟音が背中を叩いた。雫が堪らず飛び上がる。


「⋯⋯⋯⋯あ」


 その小さな足が芝生を踏むことはなかった。浮き上がったまま、万有引力が崩壊した領域に飲み込まれる。浮き上がるスカートを必死に抑えながらパニックに陥る。


「ぬぅぅうううぅぅぅぅんんッ!!」


 そんな雫を見て、おじさんが根性を見せた。気合いで芝生にしがみついて重力崩壊に抗う。


「ボールのおじさん⋯⋯!」


 目を輝かせる雫。おじさんが必死にこちらを見つめている。その視線の先は捲れそうになっているスカートの中へ。


「ボールのおじさん⋯⋯?」


 その目色に侮蔑が混ざり始めたちょうどその時。ついに吹き飛ばされたおじさんに大火球が直撃する。


「ボールのおじさん⋯⋯っ」


 蒸発。肉も骨も魂も。何もかもが一片の慈悲すらなく蒸発した。それほどの熱量。これが自分の未来だと考えるとゾッとする。

 魔龍葬『デッドエンド』。

 摂氏三千度に至る大火球は、エンドフェイズの固有武器だった。雑に召喚しては無造作に投げ放つだけ。たったそれだけで世界は焼き尽くされる。誇張なく、世界の終焉。その表現がぴったり当てはまる。


「闇の炎に抱かれてバカな⋯⋯ッ!?」


 続いて現れたボール少年も不幸にも瞬殺された。エンドフェイズはサッカーのルールなんてお構いなしのようだった。それどこらか、まともな理性すら持ち合わせているのか危うい。

 あんまりにも現実離れした光景に、ふっと雫の意識が墜ちた。そして、覚醒は一瞬。。ガラリと雰囲気を変えた少女が一言。


「⋯⋯付き合ってられませんね。てか戻して」


 戻せない。

 三日月のように歪めた口は、小刻みに震えていた。瀬宮雫のもう一つの人格。人を切り刻むことに愉悦を感じる人格破綻者も、あくまでも人相手の話に過ぎない。

 もはやアレは対戦相手なんかではない。自然現象そのものと敵対しているのと同義。それなりの修羅場を潜ってきたからこそ、根源的な恐怖に通じるものがある。元の世界では『破壊神』と称されていることまでは知らなかったが。


「ひぃぃぃぃいああああ――――ッ!!?」


 表人格のような悲鳴を発しながら、スレスレに迫る大火球の熱量から逃れる。空中を平泳ぎするボールおばあちゃんは、エンドフェイズを挟んだ反対側だった。手は出せない。


「お、ぉぉ、おう! どうするんですか⋯⋯⋯⋯これ」


 変な声が出てしまった。咳払いで誤魔化す。頰がほんのり赤い。

 雫の裏人格が試みたのは、まず重力崩壊圏の外に逃げ出すことだった。物理法則が崩壊しつつある絶対崩壊圏だが、生命体である雫の運動エネルギーが歪められるわけではない。


(おおぅおぅ――――すごいですね、これ)


 どさくさに紛れて、少女の手から不可視の管が伸びていた。天賦ギフト。生命力を吸い取る管はエンドフェイズに繋がっている。

 その膨大な生命力を吸い込んで、雫は太ももを擦り合わせた。奇妙な感覚だ。人間ではない、けれどそれ以上に人間的な異形の生命力。そんな矛盾を孕んだ力に身悶えする。


「わたしの、喰らえ――――!」


 吸った生命力を、遺憾なくぶっ放す。そうしなければ過剰摂取で破裂しそうだった。情念が現実を改変する力――即ち、魔力。エンドフェイズの火球に匹敵する大火球が砂時計に爆進する。反作用で、雫は絶対崩壊圏の外に抜け出す。

 が、現実は無情だった。

 重力崩壊に散った大火球が、終わりの砂時計に焦げ目一つ付けずに霧散した。ようやく芝生に足を着けた雫が渋い顔をする。エンドフェイズの生命力を攻撃に転嫁するのは効率的だが、決して効果的ではない。


「あいつ、無敵かよ⋯⋯」


 いくら生命力を吸っても、砂時計が墜落する未来が見えない。雑に放たれた『デッドエンド』が、運悪く観客の三割ほどを蒸発させる。いくらでもボールはあると思っていたが、あの勢いだとそれも怪しいところだ。

 と、その時。


――――ゴオオオオオオオオオオル!!!!


 妙にハイテンションな電子音。観客席の最後列に突き刺さった黒三色のゴールポスト。雫の頭に納得が宿る。

 未だ空中に投げ出されるゴールポスト。

 そしてモブ扱いでぶっ飛ばされるボール役。


「⋯⋯⋯⋯社長、わたしはやりますよ」


 試合開始、僅か十分。

 雫には勝機が見えた。

 だが、それは残りの時間を無事に生き残るという過酷な運命との直面でもあった。







 ハットトリック。

 一つの試合で同一選手が三点獲得することだ。このゲームの勝利条件でもある。普通のサッカーでも至難である偉業を、このゲームで成し遂げなければならない。液晶画面に映る奇跡を、雫は誇らしげに眺めていた。


――――9対2


 ハットトリックの三倍、雫が獲得した得点だ。黒三色のゴールポストを抱え込んだ少女が三日月の形に口を割る。片方のゴールポストが客席の最後列に突き刺さった今、ボールではなくゴールを動かす作戦が功を奏した。

 絶対崩壊圏がこちらのゴールに迫るくらいまで微速前進を続けた砂時計。『デッドエンド』はデッドエンドで相殺可能。減る体力も、無尽蔵に匹敵する生命力を奪える彼女からしてみれば些細な問題。


(社長――――わたしは自分が誇らしいです)


 勝った。

 そんな心からの充実感。これまでの嗜虐性から心が洗われたようだった。やり遂げた。こんな限界状況から、自分のベスト以上を尽くせた。そんな達成感に身も心も焼かれる。


(後数分もあれば、わたしのゴールポストも重力崩壊にやられていた。けど、わたしは耐え切った。ざまぁみろ!!)


 後数分あれば大惨事は免れなかった。しかし、自分は生き残った。やり切った。そんな誇らしさを胸に。残り1分、勝利を確信した雫は重くてダルいゴールポストを投げ捨てる。勝利のにたにた笑いを浮かべながら。

 そして、遂にアナウンスが鳴った。


――――終了


 雫の表情が凍った。


――――10分後、後半戦45分を開始


 終わりの砂時計は止まらない。

 絶対崩壊圏は遂にスタジアム全域に。


「ちっくしょおおおおおおおおおおおぉおぉぉぉおぉぉぉおぉぉぉおぉぉぉぉぉおおおおおおおぉぉぉ――――――ッッ!!!!」


 キャラ崩壊の絶叫を誰が責められようか。

 『終演』の脅威は未だ健在。

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