最低の英雄④

 満身創痍で仰向けになったリンフー。対して、ルォシンはほぼ無傷だった。


「終ワリだネ。僕ノ勝チだ。さテ……どウシテくレようカな。まズ生きタまマ腕を一本モギ取ロうかナ。ソれとモ踏ミつケたマま爆発さセまクッてイタぶルか。どっチの方ガ悲鳴を良イ感じニ出セルのカなァ。宮廷音楽家ミたいナ悩みダねぇ」


 歪んだ声色でそう呟きながら見下ろしてくるルォシンに、リンフーは歯噛みした。


 ——ちくしょう。強すぎる。


 驚異的な基礎体力と打たれ強さ。「起爆性の体液を出す」という能力と、それらの特性を短時間で把握し、応用してみせるほどの適応力。


 これが【求真門きゅうしんもん】の最高幹部、【上品坐じょうひんざ】の実力。


 武法の世界の豪傑でさえ手こずるであろう邪門の怪物に、リンフーのようなひよっこが敵う見込みは薄いと言えた。


 しかし、リンフーの眼からは、戦意の光は失われていない。


 ——立て、立て! 立ち上がれ! シンフォさんを助けるんだろっ!? まだ死んでないんだ、生きてる限りは立って戦えっ!! 


 必死に自分を叱咤し、残った力でゆっくりと立ち上がろうとする。


 だがルォシンはそれを嘲笑しながら、リンフーの胴体を踏み付けて地面に縫い止めた。


「いイねぇ、こレホどノ苦痛を味わイなガらもナオ立とウとするソノ気概! その誇リ! ソの情熱! オ前はきット武法の世界で英傑ト称えラレる男になル素質がアルんだロうなァ…………生キテいタラ、の話だケどナァ!!」


 ズドンッ!! ルォシンの足裏から爆発が膨れ上がり、リンフーの骨と臓腑を軋ませた。


「ああああああああああっ!!!」


「いい悲鳴ダ!! ほらァ!! モット良い声デ泣けェ!! 叫べェ!! 喚ケぇ!! 苦しミの旋律ヲ奏でロォ!! オ前の大好キな師匠ノタメの音楽会ダァ!!」


 ルォシンは真っ白い顔に歪な笑みを浮かべながら、足裏から何度も爆発を起こす。


「がっっ!! あっ!! ああっ!! ぐあっ!! ぐぅっ!! がはっ!! ごふっ!! ぐふっ!! ぎっ!! あがぁ!! ああ!! ぎぃっ!!」


 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も————


「——もうやめてくれぇぇっ!!」


 そんな悲痛な訴えが響いた瞬間、爆発が止まった。


 シンフォだ。

 

 リンフーのもとへ駆け寄り、その頭を抱くようにして庇っていた。


 シンフォは大粒の涙をこぼしながら、すがるような、許しを乞うような目で、白い怪物を見上げた。


「君の父親を殺したのは私だっ!! この子は破門してるから何も関係ないんだ!! もう私との関係は切れてるっ!! だからっ……」


 すがるような泣き顔は、やがて、いじめられた幼い子供のような泣き顔へと変わった。


「だから、もうやめてっ…………私のことなら、どんな目にあわせても構わないからっ……なぶっても、犯しても、殺しても、何をしても構わないからっ……もうやめてぇ。これ以上やったら……この子が死んじゃう…………」


 ぞくっ。


 ルォシンの総身に、しびれるような快感がほとばしった。


 脊髄が甘く震える。

 表情筋がとろけたように緩む。

 勃起する。


「そノ顔…………もット見たイナァ!!」


 ズドンッ!! 再びリンフーの腹を爆発が殴りつける。


 シンフォの表情が、絶望に染まる。


「ははハハはハははァ!! そこマデこノ小僧が大切かァ!? ナラなオサらやめルわケにはイかナイねェ!! お前ニハ僕が味ワッた苦しミを何億倍にモしテ返サナいと気ガ済まナイんダヨぉ!!」 


 爆発。爆発。爆発。


「オ前が大切な人間ヲ作っテいてくれテ僕ハ幸運だヨ!! お前を殺セバそレまでダガ、オ前の大切ナものヲ虐メ尽くセば、オ前は死ヌヨうナ苦しみヲ生きタまま味ワッてクれる!! あァ……僕ハ本当に幸運ダぁァ!!」


 爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。


「まズはコノ餓鬼の五体がグズグズに崩れルまで延々ト、延々と爆発サセ続けル!! 虫ノ息にナッたラ口から体内ニ爆液を流シ込ンで、体ノ中かラ爆発さセテ無数の肉片にシテやルよ!! そノ肉片ヲ調理しテ、デきタ料理をオ前に食ワセてやルかラナぁ!! 嬉シイだロ!? 嬉しイよなァ!? 大好キな弟子がオ前の血肉にナって一つになレルんだゾォ!? ホら笑えヨ!! あハっ、あははハはハハは!! グハ————ははハははハハハハははハハはははハ」


 爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。


「あ……ああ、あ……ああああ………」


 度を越した絶望に、シンフォは声がまともに出なくなる。


 止める力などない。愛弟子が蹂躙される光景を、ただただ傍観し続けるしかなかった。


 いくら武法士が頑丈といっても、限度がある。


 いつ来るか分からぬ「限界の時」を、ただひたすら待つしかなかった。


「——この化け物がぁっ!! 兄者から離れろぉっ!!」


 そこへ、鋭くルォシンへと肉薄する人影。


 リーフォンだった。


 敬愛する兄貴分の危機を視認し、それを助けるべく、【箭走せんそう炮捶ほうすい】の持ち味である俊足を活かして一気に坂道を駆け上ってきたのだ。


 リーフォンの決死の刺突が駆ける。術力を込めた剣尖が、白い怪物を貫かんと突き進む。その剣筋に迷いはなかった。


 しかし、ルォシンの硬質化した皮膚を貫くことは叶わなかった。刺さったのはわずか先端部分のみ。


 ルォシンは鬱陶しい羽虫を見るような目をリーフォンへ向けると、その顔面を右手で鷲掴みにして持ち上げた。


しラけサセるナヨ、オ前。内側かラ破裂しテ死ね」 


 右掌中の皮膚のうち、リーフォンの口に近い「孔」から爆液を出し、口の中に入れようとした。


 しかしそれよりも早く、腹に衝撃が襲った。


「おい……人の弟に、何してくれてんだ」


 リンフー。


 あれだけ傷つけられておきながら、立ち上がり、【頂陽針ちょうようしん】を打ち込んでいた。


 不意を突かれたこともあり、ルォシンはそこそこの苦痛を味わいながら後方へ大きく飛んだ。リーフォンもその魔の手から解放され、地面を転がる。


 強靭な二脚で無理やり勢いをねじ伏せてから、その蛇じみた眼差しをギラリと剣呑に光らせた。


「死に損なイが……いい加減諦メろ! 今ノ僕は【上品坐じょウひンザ】! 脆い人間カラの進化を果たシてミセた最強ノ生物だ! 決マッた体術を糞真面目にコなしてヨウやク術力なンてケチ臭い力を生み出スお前達とハ違う! こノ場ニいル全員、今ノ僕にトッては虫に等シい生物ダ!」


 猛獣が吠えるような声でそう告げるルォシン。


 しかし、リンフーは引き下がらない。


 ただ、倒すべき白い怪物だけを見据え、進む。


「あ、兄者っ! 無茶です! そんな体で戦う気ですか!?」


 駆け寄ってきたリーフォンが止めに入るが、リンフーはその手を黙って振り払い、構わず歩を進め続ける。


「兄者……」


 リーフォンは、その行動に「振り払われた」以上の意味合いを感じていた。


 手を出すな。これはボクの戦いだ。


 そう言外に言われた気がした。従わないといけない気がした。


 満身創痍のまま歩き続けるリンフーを、ただただ見守るしかなかった。


 ルォシンと、向かい合った。


 目の前の白い魔人は、歪に微笑む。


「素晴ラシい。素晴らシい師弟愛ダねぇ。そウサ、そレでコそだ。だカらコソ、壊しガイがあルってモノさ。すグ諦めラレちゃつマラない。必死に食イ下がッテくるノを踏みニじり、徹底的に絶望さセてカラ殺ス方が楽シイもノなァ!」


 そううそぶくルォシンに、リンフーは——憐れみの眼差しを向けた。


「お前、可哀想な奴だよ」


「…………何ダッて?」


 ルォシンの怪物的な声が、不機嫌に低められた。


「ボクの知ってる【一打いちだ震遥しんよう】は、素晴らしい武法士だった。弱きを助け強きをくじく、本物の英雄だった。そんな素晴らしい人の息子に生まれておきながら……お前はここまで歪みきってしまった。今のお前を【一打震遥】が見たら、一体どう思うんだろうな」


 白い豪腕が無言で振るわれる。飛び散った爆液がリンフーに付着し、起爆。


 しかし、リンフーは顔色を一切変えず、みじろぎ一つすら見せず、ただただルォシンを視線で憐れみながら、言葉を並べ続ける。


「お前の気持ちは多少は分かるさ。ボクだって、母さんや妹を殺されたら、そいつを殺してやりたいと思うかもしれない。お前の気持ちは、人として当然のことだ。でも……お前は必要以上の歪み方をした。【求真門】なんて外道の吹き溜りに身をやつし、罪の無い人をたくさん殺した。お前のやっていることは、お前が大嫌いだった頃のシンフォさんと変わらないだろ。いや、ヘタをするともっとひどいかもな」


「黙れヨっ!!」


 またも白い腕が振るわれる。爆液が飛び散り、地面に炎の花が咲き誇る。


「世間知らズの糞餓鬼が高説垂レやがッテ!! 偉ソうニ!! その売女ばイたは父さンを僕かラ奪っタンだ!! 復讐しテ何が悪イ!?」


「ああ、そうだな。お前は親父さんを奪われた。けど——お前はその論理で、今度はボクから・・・・・・・シンフォさんを・・・・・・・奪おうとしてる・・・・・・・


 リンフーは今、確信した。


「シンフォさんが過去に作った憎しみの鎖は……きっと、お前一本だけじゃないんだろう。お前以外にも、シンフォさんを殺したくて仕方ない奴が、いっぱい、いっぱい、いるんだ…………そして、もしボクが、そのうちの「誰か」にシンフォさんを奪われたら、ボクは決して、そいつを許さないだろう。殺してやりたいくらい憎たらしく思って、お前みたいに、なっちまうんだ…………そんな連鎖、クソ食らえだっ!!」


 自分が何のために「英雄」を目指していたのかを。


「だから、ボクが断ち切ってやる……シンフォさんに・・・・・・・絡みついた憎しみ・・・・・・・・の鎖すべてを・・・・・・ボクがこの手で・・・・・・・引きちぎって・・・・・・終わらせてやる・・・・・・・!! たとえそれで畜生と罵られたって、武法士として軽蔑されるようになったって、ボクは一向に構わない!! ボクは、このたった一人の女のためだけに、最低の英雄・・・・・になってみせる!! この人が振るった血塗られた拳で、最低で最高の英雄になってやるっ!!」


 ——本物の英雄がいるのだとすれば、それは強い者でもなければ、多くから称賛された者でもない。……守りたいものを守り抜いた者だ。


 ——どれだけ傷つこうと、どれだけ恥辱にまみれようと、どれだけ孤独になろうと、守りたいものや守るべきものを守り抜いた者こそが、最後には「英雄」と呼ばれるのだ。それに比べれば、強さや称賛などゴミのようなものだ。


 かつてユァンフイに諭された言葉が、脳裏を過ぎる。


 そうだ。ボクは、シンフォさんを守るんだ。


 それをやり抜いて初めて、ボクは英雄になれるんだ。


 周りの称賛も、大袈裟な通り名も、いずれもつまらないことだ。


 守りたい「たった一人」を守り抜く。それだけでいいんだ。


 ——リンフーは初めて、天命を得た。


 それを授けてくれた天は、曇天。灰色の顔をしていた。


 雨が降る。


 しとしとと降り始め、すぐにざあざあと本降りになり、爆発によって生まれた周りの火を押し潰すように消した。


 やがて、雷も鳴り始めた。


 光が瞬き、稲妻が天を縫うように駆け、やがて轟音が空気を激しく揺さぶる。


 リンフーは、ぼんやりと空を見上げる。


 周囲のことを一時的に捨て置き、ただ稲妻を見ることのみに集中していた。


 それは、【天鼓拳】を学び始めてから、ずっと続けていた「習慣」だった。


 なぜそのような「習慣」をつけた?


 それは、




 

 今、目の前で起こったような——大地から天へと登る【逆さに昇る雷・・・・・・】を見つけるため。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る