最低の英雄③

 

 速い! しかし見えている。リンフーは【游雲踪ゆううんそう】で「最速の一歩」を刻み、立ち位置を瞬時に変えた。ルォシンの正拳が豪風をまとい、一瞬前のリンフーの立ち位置を打ち抜く。


 回避はできたが、次がすぐにやってきた。


「ガぁァァぁ!!」


 ルォシンが禍々しい叫びとともに地面を蹴った。そこに埋まっていた岩石が砕け、その破片がリンフーへ殺到した。


 広範囲にぶちまけられたそれらは【游雲踪】では回避しきれない可能性があった。なのでリンフーは両腕で顔を覆って【こう】をほどこし、投げられた岩石から身を守る。


 防ぎきったのも束の間、構えられた両腕へルォシンの殴打が炸裂した。


「ぐぅっ!?」


 まだ【鋼】の術力が残っていたため、痛みも損傷も無い。しかしその打拳の衝撃は背中を突き抜けたように感じるほど凄まじいもので、リンフーの小柄な体は大きく吹っ飛ばされた。


 どうにか受け身を取る。しかし立ち上がった時には、すでに白い魔人が眼前に迫り、なおかつ手を伸ばしていた。


 その手の平から、透明の液体が排出され、リンフーの衣服に数滴付着した。


 次の瞬間、その付着した場所が爆発した・・・・


「ぐあっ……!?」


 熱と衝撃の暴力を間近で受け、曇天を仰ぐように倒れるリンフー。


 熱い、痛い、気持ち悪い。


 もう、先ほどから立て続けに意味不明な現象が起こり、頭がおかしくなりそうだった。


 一方、ルォシンの方は分かっていた・・・・・・


 己の体にどのような変化が生じたのかを、本能のようなもので理解していた。


 まず、筋力が桁外れに上がった。


 特に背筋群。亀の甲羅のごとく異常発達した背筋から恐るべき力を捻出でき、殴打に爆発的な威力を乗せられる。骨格の形が大きく変わったことで術力が使えなくなってしまったが、それを補って余りある力だった。何せ、ただの筋力が術力並みの威力となるのだから。決まった体術をいちいち繰り返して捻り出す術力よりも発動が楽で強力だ。


 なによりも——体の中で起爆性の体液・・・・・・を作り、それを放出できる。


 今、自分の皮膚の至る所には、目に見えぬほど小さな「あな」が無数に開いている。そこから任意で体液を放出可能。体液は空気に触れると、一秒かそれより少し速いくらいの時間に爆発を起こす。


 出し方も、直感で理解できた。


 ルォシンは右手を外側へ振るった。「孔」から噴き出した爆発体液が放射状に散布され、付着した箇所に爆発をおこした。


「うわっ……!!」


 リンフーはまたも爆発の勢いで吹っ飛ばされたが、受け身を取る。


 先ほどから奇妙な現象が相次ぎ、混乱ばかりが募る。


 しかし、ルォシンから発せられる体液に触れると、今のように爆発を引き起こす。……それだけは理解できた。


「そらァ、クたバレぇ!!」


 ルォシンは肥大化した広背筋の力にモノを言わせて大地を殴る。拳が地中深くめり込み、さらに拳の「孔」から発した爆液の影響で地中に爆発が起こり、土が巨大な泡のごとく持ち上がった。そこからぶちまけられた瓦礫と土塊の雪崩がリンフーを襲う。


「わぷっ……!」


 避けようにも、攻撃範囲が広過ぎて逃げきれない。リンフーはあっけなく土の雪崩に巻き込まれた。痛みは無いが、土で視界が塞がる。土砂の勢いに押されて足下も不安定。


 真横に存在感。ルォシン。振り上げられた拳。


 その拳が来るよりも速く【鋼】を両腕にかけた。


 砲弾のような拳打を、鋼鉄の術力をまとった両腕で受け止めた。間一髪防御が間に合ったが、やはりその衝撃は背中までじんっと響いた。おまけに余剰した勢いで身体が大きく押し流された。


 事なきを得た——と安堵したのも束の間。防御した両腕の袖に液体が付着しているのを発見。


 爆発。


「うぐっ……!」


 いかに【鋼】であっても、熱は防げない。高温と衝撃でリンフーは歯を食いしばる。


 何度も転がり、ようやくうつ伏せで止まる。


 しかし休んでいる暇はなかった。


 見ると、ルォシンの右手首が風船のごとく膨張していた。


 ルォシンはその中に爆液を溜めていた。……爆液を特定の部位に過剰分泌させて溜め込み、複数の「孔」を使って一気に体外へ放出できることも、ルォシンは本能で理解していた。


 右掌の全ての「孔」から、水しぶきのごとく爆液が大量放出された。


 それは瞬く間に巨大な芋虫のような爆炎へと成長し、リンフーへ突撃してきた。


 飛び退いて回避できたが、特大の爆発が突き進んだ大地は深く抉れていた。


 少しでも回避が遅れていたらと思うと、背筋に怖気が走った。


「おいオイ、攻めテ来ナイのかイ? さっキかラ逃ゲテばっカりじゃナイか。つまンないナァ。——あァ、そうダ! こうスレばヤル気にナるよネぇ!?」


 ルォシンの右掌が真横へ向けられた。……より正確には、今いる山岳の頂上の下方で繰り広げられている、【吉剣鏢局きっけんひょうきょく】と黒服集団の混戦へと。


 まさか、と思った瞬間にはルォシンの右手首が西瓜スイカのごとく急膨張し、右掌すべての「孔」から豪雨のように爆液が大量散布された。


 いくつもの爆液は空気に触れてあっという間に無数の炎弾と化し、下方の戦線へ激しく降り注いだ。


 爆音、そして人の叫び声。


 黒服だけなら良い。しかし【吉剣鏢局】の面々や、チウシンとユァンフイの親子までも爆発に巻き込まれていた。


 ルォシンの右手首に再び爆液の膨らみが生まれ、また掌から放出。新たな爆炎の豪雨を下方にばら撒いた。あっという間に火の海となっていく。


 ——この下衆野郎!


「やめろっ!!」


 リンフーは憤激に駆られ、矢のごとく突っ走った。


 間合いが触れ合った瞬間、矢のような疾走からさらに加速。【頂陽針ちょうようしん】を放つ。


 その正拳はあっさりと避けられ、すぐさま下から上へ突き上げるような左拳打による反撃へと繋げられる。リンフーは体を少し引き、あごを狙ったその突き上げを回避。すかさず反撃を返そうと考えるも、それを見越していたかのようにルォシンの右拳打が疾る。


 ごうっと風圧を唸らせて迫る白い拳を【游雲踪】で回避しつつ、そのままルォシンの背後へと回り込む。すぐさまやってきた振り向きざまの薙ぎ払いも体をかがんでやり過ごし、ガラ空きとなった胴体めがけて【移山肘いざんちゅう】を叩き込んだ。


「憤っ!!」


「ウおォォぁッ……!!」


 空気が震える。強大な術力の衝突は、ルォシンの白い巨体を強引に遠くへ押し飛ばした。


 だが、その強靭な両脚で勢いをねじ伏せ、立ち止まったルォシンの顔に苦痛の色はほとんど見られなかった。白いかんばせで蛇のようにニヤリと笑う。


「やルじゃナイか、小僧。少シ痛カッたゾ」


 ゾッ。悪寒が背筋を駆け上った。


 【天鼓拳てんこけん】の強大な術力を受けて、平然としている。


 自分の長年の修行の成果を「少し痛かった」程度で済まされたことに、若干の自信の喪失を感じるリンフー。


 だが、射抜かれた血塗れの肩を押さえながら自分を見つめるシンフォの姿に我に返る。


 一回で倒れなかったから何だ。一回でダメなら、倒れるまで何回でもぶち込んでやればいいだけの話だ。


「っ!!」


 リンフーは気を充実させ、再びルォシンへと鋭く接近した。


 ニィッと笑い、それを迎え打たんと拳を構えるルォシン。左拳を前に、右拳を後に。


 小手調べとばかりに、白い左拳が蛇のひと咬みのごとく敏捷に発せられる。リンフーはその突きをわずかながら視認し、【游雲踪】。白い拳は空気を穿ち、リンフーは白い巨体の懐へ滑り寄る。


 だが、それを待っていたかのように右拳が迫ってきた。リンフーはとっさに【纏渦てんか】を用いた。小さな嵐のような螺旋の術力をまとった拳が、白い右拳とぶつかった。ルォシンの右拳は螺旋の術力によって外側へとバチンッ! と弾かれた。独楽にぶつかった小石が弾かれるのと同じ理屈だ。——ルォシンの胴体がガラ空きになる。


 【頂陽針】。巨岩が高速で滑り寄るような術力を宿し、少年の柔和な右拳が爆進した。


 拳が接触し、食い込む——直前に、拳と白い肉体との接触点・・・が爆発した。


「があああぁぁぁっ!?」


 右拳に強烈な衝撃と熱を受け、手根がびりびりと悲鳴をあげる。


 拳との接触点という「ゼロ距離」で爆発したことで、爆発の威力が通常の数倍以上に膨れ上がったのだ。もし術力に包まれた拳でなかったら、手がグチャグチャになっていたかもしれない。


 爆発の余波で後ろへ押し流されるリンフー。足で勢いを殺して止まってから、ガタガタと震えを訴える右手を押さえる。……もうこの戦いで、右手は使えないだろう。


 そうしている間にも、敵は攻撃の手を休めない。


 ルォシンは全身を大きく開く。体中の「孔」から爆液のしずくを発散した。


 無数の爆発が、周囲に咲き誇った。


「くっ……!?」


 無差別にあちこちで起こった爆発によって粉塵が舞い、視界を遮られる。


 かと思えば、巨大な人影が土煙のとばりを突き破り、間近に急速接近してきた。ルォシン。


 凄まじい膂力によって、白い巨体の胸の中に抱きしめられたリンフー。


「は、離せ! 離せよっ!!」


「やァだヨ。良い事思いツイたんダかラ。——はァっ!!」


 リンフーと接する全ての孔を開き、爆液を分泌。


 ルォシンの腕の中で、幾度も爆発が起こった。


 ちゅどんっ!! ちゅどんっ!! ちゅどんっ!!


「がああああああああああああああああああああああああああああっ!?」


 抱擁ほうようという狭い空間の中で幾度も起こる爆発は、あまねくモノを塵芥ちりあくたに変える。まさしく死の抱擁であった。


 武法士は【基骨きこつ】によって、常人よりも体が頑丈である。そのため、そんな爆発を何度受けても、リンフーはどこも欠損せずに人の形を保っていられた。


 けれども、動けるかどうかはまた別問題。


 しばらくしてようやく死の抱擁から解放されたリンフーは、全身から煙をもうもうと立てながら、力なく地面に横たわった。


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