いろんな師の顔
「ほら、見てみろリンフー! あの服綺麗だな!」
蒼穹に
自分よりも楽しんでいるその様子に苦笑しつつ、リンフーは彼女の指し示す異国の衣装へ目を通し、
「うーん、良い感じだけど、派手すぎてシンフォさんには似合わないんじゃないか」
「えー? そんなことないぞ? 私のような美女はどんな服を着ても似合うものだ。それとも……君としてはこういう衣装を御所望かな?」
「うわっ、布少なっ。違う意味で着たら駄目だろ、こんなもん」
「なるほどなるほど。ではリンフーも気に入ってくれたようだし、これを買うとしよう」
「だぁーかぁーらぁー!」
砂漠の国の踊り子が着そうな露出多めの衣装を、リンフーは赤い顔で却下した。その反応にシンフォはクスクスと笑いながら「冗談だ」と言った。
「ほら、今度はあっちに行ってみよう!」
「ちょっ、引っ張るなって」
好奇心に満ちた笑みを浮かべながら、シンフォは愛弟子の手を引っ張った。リンフーは戸惑いながらそれに従う。
今朝とはうって変わった、童心に還ったような明るさ。
やや度が過ぎているような気がして、無理をしているのではと心配になったが、わざわざそれを聞くことも傷口をこじ開けるような真似に思えて気が引けた。
それに、自分にシンフォの心を読むことはできない。なのでどれだけ笑おうとも、疑おうと思えばいくらでも疑える。
シンフォが仮に心の中に何かしら抱えていても、この外出は、その闇を取り払うための気晴らしなのだ。であれば、なおのこと気兼ねせず、彼女に合わせて楽しむべきであろう。
リンフーも、今日は楽しもうと決めた。
それからも、リンフーは師の導きのまま【
衣装や装飾品を売る店、香辛料や薬草を売る店、異国の食べ物を売る店、さまざまな店に足を運んだ。
その道中、やたらと周囲からの注目を集めた。シンフォの美貌に視線を引っ張られた、ということもあるのだろうが、最たる原因はリンフーの左手甲に印された【
すでに【槍海覇王】となって一週間経つ。外に出ればきまって大衆の目にさらされ、そのたびに背筋がぴりりと整ってしまうのを実感する。
——なるほど。【槍海覇王】から、名高い武法士が生まれるわけだ。
【覇王印】は栄光の証というだけでなく、その自負を背負わせるための枷でもあるのだという。左手にその印があるのなら、それに恥じない生き方や戦い方をしてみせろ。そういうふうに、武法士を栄光に溺れさせないための呪縛であり試練。
実際、声をかけてくる人々が必ずしも好意的な人間ばかりというわけではなかった。中には名をあげるため試合を申し込んでくる武法士もいた。流派間の後腐れを残さぬことを条件に勝負を受けて立っており、今のところどうにか全勝しているけれど、ここは仮にも武の都と名高い【槍海商都】だ。【覇王印】の顔料が消えるまでの残り一年間を全て勝ち星で埋められる自信はあまり無かった。
(いや、何を滅入ることがある? これがボクの望んでた武法士としての日常じゃないか)
武法士たるもの、他流と拳を交えて己を鍛え、良き好敵手を増やすべし。幼い頃から憧れていたそんな武法士の生き様を、今自分は送っているのだ。
そう、自分はだんだんと、英雄豪傑とうたわれる武法士へと近づいている。
なら、鼠のようにこそこそと生きず、胸を張って堂々と街を歩こう。
「だ、誰かっ! 医者はいるかっ!? 助けてくれぇっ!?」
そう決めた矢先に、往来のざわめきを貫くような声が聞こえてきた。必死な響きを持った声が。
二人は足を止めた。
「医者はいないかっ!? 頼む、うちの家内をっ!!」
シンフォの足が、勢いよく地を蹴った。
往来を強引に押しのけるように突っ走る師の後ろ姿を、リンフーも数拍子遅れで追いかける。
人の林をくぐり抜けると、そこには必死の形相で助けを求め続ける中年の男と、そのかたわらで苦しげに喉元を押さえて横たわる中年の女がいた。
「私は医者だ、どうしたっ!」と鋭く問いかけたシンフォの顔を見て、リンフーはドキリとした。先ほどまでの陽気さが一切残っていなかった。まるで戦場に立ったような、引き締まった表情。
「か、家内がっ、いきなり苦しそうにして、それで、えっと」
鷹のごとく研ぎ澄まされたシンフォの眼差しは、苦しむ中年の女の表情を向く。さらに口元に残っている食べカスと、近くに落ちている食べかけの
「クッ!!」
そのまま、回した両腕を力一杯手前へ締め込んだ。
女の喉元と口元がガクン、と一瞬の震えをきたしたかと思うと「っ……ぇえっ」という空気を吐き出す音とともに、口から何かが出てきて石敷きにべちゃりと落ちる。この都で売っている、揚げた
中年の女は呼吸を荒げながら「あ、ありがとう……」とかすれた声で言った。
「礼はいいさ。これからは慌てずよく噛んで飲み込んでおくれよ」
シンフォがそう気さくに笑いかけると、周囲から無数の拍手が鳴り響いた。
先ほどまで注目を集めていたのは【覇王印】だが、今だけはその注目と称賛は、シンフォに集中していた。
リンフーもまた、我が師に眼差しを注いでいた。惚けたような眼差しを。
「ん? どうしたリンフー。そんなに見つめて」
「……シンフォさんって、医者だったんだな」
「なんだぁ? ただの酔っ払い女だと思っていたのか? ちょっと悲しいぞ」
「いや、そういう意味じゃなくて、さ……」
リンフーはそれ以上言うことを恥じらい、言葉を濁した。
——さっきのシンフォさん、すごく格好良かったから。
そんな言葉を。
無数の拍手を後に残し、二人は気を取り直して物見遊山を再開した。
だがその矢先、
「あらっ? 貴方はもしや、
横合いから、自分を呼ぶ声がかかった。
今の自分に声をかける人間は珍しくはない。けれどその声には聞き覚えがあった。具体的に言うと……【
振り向くと、そこには思い浮かべた通りの女性が立っていた。
「あんたは……えっと、確か……
「うふふっ。覚えていてくれて嬉しいわ、小さな覇王さん」
【
改めて近くで見ると、やはり美人であった。優美でありつつも弱々しさは感じられない顔つき。踊り子じみた衣服は内包している曲線美をくっきり描き出していた。背丈もリンフーより頭ひとつ分高い。どことなく、シンフォに雰囲気が似た女性である。
「まだ【槍海商都】に滞在してたんだな」
「ふふ、まあね。しばらくはここで日銭を稼いでゆっくりしようかなって思ってるの」
「儲かるのか?」
「それなりに、ね」と、美貌の旅芸人は茶目っ気たっぷりに片目を閉じる。
「本当ならそろそろ帰る支度をし始めている頃合いなのだけど、せっかくの「武の都」なのだし、もうちょっとだけいいかなって。何より……素敵な人を見つけちゃったし、ね」
言うと、
「あぁ……こんな小さくて華奢な体から、あんな分厚くて雄々しい術力が出せるなんて…………素敵」
「お、おい、何を……」
「私ね……貴方みたいな男の子、
ちろり、と蠱惑的な舌舐めずりを見せる。極上の肉を見つけた女豹のごとき眼差しが、リンフーの瞳を真っ直ぐ射抜いていた。さらに、背中に細い腕が、大蛇みたいにゆっくりと巻きついてくる感触。間近からあふれる甘い吐息が鼻をほんのり湿らせてくる。
シンフォに負けないくらいの美女に密着されているのに、照れではなく、寒気を覚えた。
——
本能的な危機感で体が硬直したその時、リンフーの腕が細い手に掴まれ、そのままグイッと引っ張り込まれた。
「悪いがこの子はまだ成人もしていない子供だ。君のような輩は教育に悪い。よろしくやりたいのなら他の男と頼む。それじゃあな」
なんだかご立腹な様子のシンフォはそうまくし立てると、リンフーを胸の中に抱えたまま強引に引っ張り込んで離れていった。
「しばらく【尚武環】の前で歌っているから、我慢出来なくなったらいらっしゃいねー」という
「ちょ、ちょっとシンフォさんっ。どうしたんだよっ?」
「知らん! なんか知らんが、ひどく胸がムカムカする! あの女を見ていると、頭が沸騰しそうだ!」
シンフォは自身の双丘に挟まれているリンフーへキッと視線を移し、非難がましく言った。
「今日は私と出かけるんだぞ! 私だけを見ていないと許さないからなっ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます