開会式
透き通るような蒼穹。雲一つない青一色の空にあるのは、燦然と輝く朝陽のみ。まるで今日という日を、天さえも明るく盛り上げようとしているかのようであった。
【
朝早くであるにもかかわらず、すでに中央広場は大盛況を見せていた。大勢の人がざわめきながら、これから激戦の舞台となる【
「すっげー……」
以前住んでいた街では見られなかったその光景に、リンフーは感嘆の声をもらした。
隣に立つシンフォが肘で小突いてから、苦笑混じりに言った。
「この程度で怯んでいては、試合まで気がもたないぞ? なにせ、あれほどの人数に環視されながら戦わなきゃならないんだからな」
「わ、わかってるって」
リンフーは改めて気を引き締めた。
気を引き締め直すのを、すでに四回は繰り返していた。それほどまでに、この膨大な人の群れはリンフーの心をざわめかせていた。
けれど、いい加減そんな田舎者気質は卒業しなければならない。自分はこれから、この【
そんな風に一生懸命自分を律する愛弟子の頭に、シンフォはポンと掌を乗せた。口元を優しく緩め、
「リンフー、今日は頑張ってきなさい。優勝は目指せ。だけど勝ち負けに執着し過ぎるな。この試合、どういう結果になっても、必ず君にとって良い経験になるはずだ」
「うん。頑張ってくるよ。シンフォさんの教えてくれた【
「ああっ。今日のために極上の果実酒を用意しておいた。君の戦いぶりを肴にしながら、たっぷり味わって飲むからなっ」
ちゃぽん、と手元にある陶製の酒瓶を見せつける惺火。……観客席で飲む気か。どんだけ酒好きなんだこの人。
「兄者! おはようございます!」
端から無駄に元気の良い声がかかってきた。リーフォンの声だ。
「ああ、おはようリーフォン。見にきてくれたのか?」
「当然ですっ! 兄者の勇姿を見るのは弟分として当然の務め! 兄者の雷鳴のごとき技が【槍海商都】に轟く様を、是非俺に見せてください!」
「あんまり期待し過ぎるなって。かえってやりにくくなるから」
リンフーは苦笑しながら、リーフォンの応援を受け流す。
そこでリーフォンは、リンフーの隣にいるシンフォと目が合った。
「ん? 何者だ? 見ない顔だな」
「ああ、そういえば君とは初めましてだったね。私は
リーフォンは首がもげんばかりの勢いでこうべを下げた。
「し、失礼しました! 兄者の師とはつゆ知らず、とんだ口の利き方を!」
「いや、気にしなくていいって。ボクの師匠ってことを除けば、大酒飲みの駄目人間なんだから」
「あー、リンフー酷いぞー。誰が駄目人間だってぇ?」
「ちょ!? だ、抱きつくな、胸押し付けないでくれよっ!?」
意地悪な笑みを浮かべて後ろから抱きついてきたシンフォ。背中に押しつけられる巨大な柔和さの塊に、リンフーは顔を赤くしながら拒否を訴える。
「おはようリンフー! 相変わらず仲が良いんだねっ」
そこへ、新たにチウシンの声がかかった。
シンフォがそれに気を取られている隙にリンフーはするりと拘束から逃れ、人混みをかき分けて近づいてきたチウシンに挨拶する。
「おはよう。いや、ついにこの日が来たな」
「うん、今日は頑張ろうね!」
「ああ。それと……負けないからな?」
「そっちこそ。前やったみたいに手加減しないからねっ!」
元気よさげでありつつも、どこか挑むような響きを持ったチウシンの声に、リンフーの気持ちが引き締まる。人混みに対する緊張も、どこかに飛んでいってしまっていた。
リンフーとチウシンは、首飾りをぶら下げていた。小さな円い金属板に孔を穿って紐を通しただけの簡単な作り。そんな大まかな外観は双方ともに共通していたが、金属板に刻印されている文字はそれぞれ違った。チウシンは「一」、リンフーは「十六」。
【槍海大擂台】参加者の証。二つともフイミンから手渡されたものだ。番号は、参加試験をくぐり抜けた順番である。一番最初に合格したチウシンと、一番最後に合格したリンフーという両極端な組み合わせ。
それを晒していれば、当然、周囲の視線を集める。
「おい、見ろ、あの娘……」「あの娘ってどっちだよ。女の子二人いるぞ」「頭の右横に髪束ねた女の子だよ」「あの娘、【
周囲の人々が口々にそんなことを囁き合う。ていうかオイ、誰かボクを女の子呼ばわりしたな。ボクは男だからな。
「チウシン……もう【尚武環】に行かないか?」
「あ、うん。そうだね」
居心地が悪くなったリンフーの提案に、チウシンはこくりと首肯を返す。
シンフォたちに別れを告げてからその場を離れ、人垣を掘り進む。ときどき「頑張ってね」とか「応援してるよ」とか言われた。リンフーは恥ずかしく思いつつもおずおずと手を振り返した。
やがて、【尚武環】の前までたどり着く。
二人とも、大会進行の流れは事前にフイミンから聞いていた。南北に一般の出入り口がある【尚武環】だが、大会参加者は普段は関係者以外入れない裏口から中へ入り、そこにいる役人の指示に従って動く手筈となっている。
その裏口を探すべく歩いている途中、リンフーは向かってきた人とぶつかった。
「あ、すまん。余所見して……た」
謝罪しようとして、思わずその言葉が途切れた。
そのぶつかった人物の異様な容貌に、心臓を鷲掴みされたような圧迫感を覚えたからだ。
肩甲骨の辺りまで達している真っ白い髪と、裾が膝まで続いている白い外套。その外套には血のように赤い文字でいろいろな単語が書かれていた。撲殺、絞殺、刺殺、爆殺、斬殺、強殺、扼殺、要殺…………すべて殺人方法だった。赤い字色も含め、非常に物騒だ。
甘めな顔立ちの優男だが、病的に生白い肌や、落ち窪んでいるように錯覚させる真っ黒な瞳が、顔の良さを帳消しにして生理的な恐怖心と忌避感をリンフーに抱かせた。
初対面の相手に失礼な感想だが、不気味な男だった。
「僕もよそ見をしていたから、お互い様だよ。それじゃあね」
その白い青年は小さく微笑を浮かべてそう言うと、リンフーの隣をすっと横切った。
だがリンフーは今なお、その白い青年の後ろ姿から視線を離せずにいた。
「……なんだか、普通じゃない感じの人だったね」
チウシンの声は、かすかに張りつめていた。彼女も今の青年からただならぬ感じを覚えたらしい。
リンフーはしばらくその青年の後ろ姿を見つめていたが、やがて気を無理やり取り直して歩行を再開したのだった。
それからすぐに裏口を見つけ、役人に会い、大会の手順などを聞いた。それから早速控え室で待たされた。
開会式は、リンフー達が到着してから約一時間後に始まった。
『皆様!! 大変長らくお待たせいたしました!! 今この時をもちまして、今年の【槍海大擂台】を開会致します!!』
開会を宣言する声が、大歓声を貫いて高らかに轟いた。
【尚武環】の内側は、巨大なすり鉢状の構造をしている。爆音のごとき大歓声を弾けさせる階段状の観客席。それにぐるりと円く囲まれているのは、高い段差をつけた円盤状の巨大闘技場。都のあちこちにある土晒しの簡素な闘技場ではなく、きちんと石畳が敷かれており、面積もはるかに広い。
その巨大闘技場の中心に、今回の参加者十六名は横並びに立っていた。
十六名の前では、一人の美女が高らかに熱弁をふるっていた。
『今年、この【尚武環】で戦ってくれる猛者達は、この十六名です!! いずれも【白幻頑童】の厳しい選考をくぐり抜けた猛者揃い!! きっと我々に!! 手に汗握る!! 戦いを!! 魅せてくれることでしょう!!』
特殊な呼吸法によって生まれた術力で声量が何倍も増幅されており、これほどの大歓声の中でもその声ははっきりと聞こえる。
女性的曲線美を惜しげ無く表す衣装に身を包むその扇情的な美女は、立ち居振る舞いも相まって、明らかに役人ではない。
『申し遅れました!! 私、今回の【槍海大擂台】の進行役を任されました、【
美女はそう言うと、魅惑の曲線美を強調するように
日頃からシンフォに色気でからかわれているリンフーは、その程度で心を乱しはせず、考えを冷静に巡らせていた。
【巡遊楽人】とは、外国で言うところの吟遊詩人だ。武法士の武勇伝や御伽噺などを歌にして、大陸各地を遍歴しながらその歌を人々に聴かせて日銭を稼いでいる歌唄い。彼らの歌は、武法士の武勇伝が各地に広まることに一役買っていた。
そんな人物が進行役に選ばれた理由はおそらく二つだ。一つは、武法士の活躍を語るのに長けた人材であるから。もう一つは、あの美貌ゆえに戦いの場の華となるから。
『さて、宣伝はここまでにして、参加選手の紹介に移りたいと思います!! ——まずは選手番号一番!! その名高き【無影脚】の一人娘にして、偉大なる父君の【
どぉっ! と歓声が膨れ上がった。チウシンは最初に目をぱちぱちさせ、やがて照れ笑いを浮かべて手を周囲に振った。
それからもそんな感じで仰々しい選手紹介が過ぎていく。巡遊楽人の美女は、その選手の流派と、その選手の得意技や持ち味をまるで自分で見た事のように述べていった。おそらくそれらの情報を渡したのは、十六名とやりあったフイミンだろう。璘虎はそう結論付けた。
やがて最後、リンフーの紹介となった。
『最後は選手番号十六番!! 見た目の可愛らしさに騙されるなかれ!! その華奢な体に秘められた術力は大地を揺るがし、女の衣服を引き剥がす!! 謎の武法【天鼓拳】を操る天才美少女、
どぉっ! と膨れ上がる歓声。
「ふざけるな! 誰が美少女だ!? ボクは男だぞ! それに女の衣服を引き剥がすって何だ!?」
あんまりな紹介にリンフーは抗議の声を上げるが、大歓声の爆発に塗り潰されて誰の耳にも入ることはなかった。……絶対あの万年幼女の入れ知恵だ。あとで文句言ってやろうか。
気持ちを落ち着かせてから、リンフーは改めて自分以外の十五名の選手へ視線を走らせた。
——比較的若年層の武法士しかいなかった。
リンフーは前もってフイミンから聞かされているが、これには理由がある。
実は、名のある年配の武法士がこの【槍海大擂台】に参加することは、ほとんど無いと言っていい。
そういう武法士は、大体が自分の道場を構えている。そうすると、その武法士の大会での勝敗は、道場ないし自流のメンツへと直結する。大観衆の中でボロ負けなどしようものなら、流派の評判のガタ落ちはまぬがれない。
かといって、若者相手に圧勝を繰り返していても大人気ないと眉をひそめられたりする。
いずれにせよ、出場することで得られる
しかし若者は違う。修行中である若い武法士は、とにかく自分の力を試したいと思うものだ。そんな若い武法士達はこぞって【槍海大擂台】という大舞台で戦い、己の格を上げようとしたがる。
……ゆえに事実上、【槍海大擂台】は若年層の腕利きの武法士達が技を競う舞台となっている。
だが、この大舞台で優勝することによって自信をつけ、そこから名だたる達人になった武法士も少なくない。そんな将来の豪傑達の活躍を見るべく、武法を好むたくさんの観客が集まるわけである。
リンフーは観客席をぐるりと見回す。シンフォと、それと一緒にいるであろうリーフォンを探していた。
いかんせん人口密度が多いため、見つからなかった。
けれど、どこかで見てはいるはず。
頑張ろう。シンフォさんの弟子として、恥ずかしくない試合を見せよう。
改めて、そう強く決意した。
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