第24話 偶然のプレゼント

「ところで、写真とらなくていいの?」


 デートと一緒に約束した、もうひとつのお願いだった。


「いいのか? 久遠とのチャットアプリの背景画像にして、暇があればずっと見てるけど」


「あなたがそれでいいのならね。できれば、もうすこし別のなにかに時間を使ってほしいとは言っておくけど」


「授業中、久遠の後ろ姿見ていられなくて寂しくてさ」


「ひとを精神安定剤にするの、やめてくれないかしら」


 呆れながら、ジト目で見られる。


「ここで撮っていいか?」


「ええ、いいわよ。いっしょに撮らなくていいの?」


「自分の顔を見つめたくないし、久遠だけがいいや」


 ふきだすように、口元に手を当てていた。手の間から「くすくす」と笑い声が漏れている。

 久遠は帽子に手を当てながら、立ち上がった。

 川岸を、一歩前へ進む。


 俺は座ったまま、携帯のカメラを構えていた。


「いざ撮られると思うと、緊張しちゃうわね。変に撮れたら、消してよね」


 画面越しに、久遠と目が合う。

 はにかんだような表情で、優しい笑いかたをしていた。


――パシャッ


 シャッター音が響いた。


――サーッ


 突然、風が吹く音がした。

 川風が、まるで春一番のように吹き荒れた。

 久遠の青いスカートが、音をたてながら波打っている。水面も水しぶきが立ち、ちいさな水の粒が、きらきらと光っている。


 動く影が見えた。目の端で、なにかが飛んだ。


 あれは、キャスケットか……?


 猫耳のついた久遠の帽子が飛んでいる。

 今日、何度か風にあおられて、久遠が帽子を押さえている姿を思い出す。

 久遠の帽子が飛ばされてしまっている。気づく前に、俺の体は飛んでいた。足で地面を蹴った感覚なんてなかったのに、空中に飛び出しているのだから、ふしぎなものだ。


 信じられないような、ジャンプ。


 風に飛ばされたかのように飛び出して、風に浮かされた帽子を手にしようとしている。

 自分でも、なんでこんなことをしているのか、よくわかっていなかった。


――ああ、そうだった。


――俺はむかしから、自分のことなんて、よくわからない


 なのに、空に向かって手を伸ばす。


 届かないものを、手に入れようと、何度も手を伸ばしては掴めなかった。それが、身の丈に合わない無いものねだりなんだと、ようやく気付いた。

 風に流されるだけの雲は、いったいなにを掴めるんだろうか。

 足を地面につけて、一生懸命ふんばって、背伸びしたり、ジャンプしたりして、ようやく手に届くものを掴み続ける。

 退屈過ぎる、大切なこと。

 俺が憧れた強さは、見た目の強さなんかじゃない。

 等身大の自分と向き合って、ひとつずつ積んで、ゆるがない強さ。


――春嵐の突風のなかでも、決してなびかない。久遠 なぎさの強さだ


「取ったッ」


 ようやく掴んだ確かな感触。

 自分のことはわからなくても、久遠を通して自分が見えた。

 突然、明るい光が差したかのように、世界の色すら輝いて見える。胸のなかから、それだけの力が生まれたようで。


――ヒュンッ


 いまなら飛べると思えた矢先に、浮遊感に襲われた。


「……あっ」


 そうだった。俺、飛んでた。

 川に向かって、ジャンプしていた。


 当然、落ちる。


――バシャンッ、バシャバシャ


 右足が、膝半分ほどの水のなかに落ちる。しかも、石に当たってふんばりがきかず、滑ってしまう。すこし体勢を立て直しても、左膝を川底の砂利にぶつけた。結果、勢いよく飛び込んだ。おかげで、川の水を飛び散らかした。顔にまで届くほど、水を浴びた。

 4月の川の水は、やけに冷たい。


「だいじょうぶ!?」


 心配して焦る声が聞こえてくる。


「はははっ、大丈夫。濡れてないっ」


 両腕を上げた状態で着水していた。水量が多くなかったので、キャスケットまでは濡れてない。


「バカ犬っ、だれが帽子の心配するのよ! あなたの心配よッ」


「見ての通り、ずぶ濡れになったぐらいだ」


 歩くたびに、ザバン、ザバンと水をかき分けて、ようやく岸にたどり着く。

 水を吸って、色の深みが増したジーンズと、肌に張り付いた白いTシャツ。


 デートの最後に台無しにしてしまった。

 まあ、いっか。

 掴んだ帽子を、久遠の頭にかぶせた。


「ちゃんと掴んだ」


「目を奪われたわ。この言葉が安いと思えるぐらい、格好よかった」


「ヘヘッ。……クシッ」


 せっかく格好つけたのに、つかなかった。

 くしゃみの、ばか。


「濡れてるじゃないの」


「すぐに乾くよ。でも、絞るか」


「しぼる?」


 言いながら首をかしげる久遠の前で、服を脱ぐ。


「羽純くんっ!?」


「さすがに、冷たくてさ」


 Tシャツを脱いで、濡れている服をしぼる。

 おもしろいぐらい、水がしたたり落ちた。

 しぼったシャツを、大きく広げて、もう一度着る。


 もぞもぞと服を着てから、ふり返る。久遠が見たことのない顔をしていた。

 体を小さく丸めて、顔が真っ赤。顔を手で押さえながら、指の隙間から俺を見つめている。


「どうしたよ。男子なんか体育のとき、みんな教室で着替えてるだろ?」


「あなたは危ないから、そこにいて」


 近寄らないでと手のひらを伸ばされ、斜めになっている川岸で足を止める。

 危ないって、どういう意味だろうか。


「すーっ、はあーっ」


 後ろを向いて、肩を上下させるほど大きな深呼吸をしていた。

 胸に手を当てながら、こちらに向き直る久遠。穏やかな顔をしていたのに、目が合った途端、キッと睨んできた。


「羽純くん、人前で脱がないこと。とくに、わたしのまえで。いいわね?」


「わかった」


 有無を言わさない剣幕に、首を縦にふるしかなかった。


「よろしい。……ちょっと」


 久遠が手招きしてきたので、走って近づいた。

 手のひらを下げるような動作をされる。言われるがまま、静かに腰を落として、屈んでみる。


「……おぉ~っ」


 久遠の両手の親指で、お腹を触られる。なんだかくすぐったい。押すように動いては、なぞるようにくすぐられる。


 服の上から、体をまさぐられる。

 久遠がたまに、色っぽい吐息を漏らす。

 動けない。動いたら、だめな気がする。


 飼い主にお腹をみせる犬の気分だった。


「あっ……ごめんなさい。つい」


 はっと我に返っていた。

 顔を赤くさせ、珍しく動揺している。


「さ、さわる……?」


 体を隠すように腕を組みながら、聞かれた。


「いや、いい」


 いま、理性をすべて使い切ってしまった。


「そ、そう」


 ほっとしたように、久遠はよじっていた体を正した。

 久遠のとなりに座り直し、落ちていた俺のスマートフォンを拾う。

 そうだ。写真を撮ってたときに風が吹いて、川に落ちるはめになったんだった。

 

 写真は、うまく撮れていただろうか。


「わあ」


 撮った写真を見つけて、声が出た。


 たまたま久遠の帽子が飛ばされる瞬間に、シャッターを切っていた。

 大人のような顔で、子供のように驚いた表情。

 ウェーブのついた黒髪が、きれいに風に舞い上がる。

 なによりも、空のように澄み切った瞳に、まぶしい光が差し込んでいて、宝石のような光を灯していた。

 

 奇跡のような一枚だった。


 久遠は、となりから首を伸ばして、手元を覗き込んでくる。

 すぐに、写真よりもキラキラした瞳を向けてくる。  


 目と、目が合った。

 ふたりで同時に、笑い出す。


 偶然のプレゼントも、ふたりで奇跡だと思えた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る