第3話 高嶺の花、そして棘


 

 高校生活二日目の朝。


 いつも通りに来る朝で、眠れない夜が終わった。

 襟の固いワイシャツに袖を通して、スラックスを履き、ベルトを通す。ネクタイをしめて、ブレザーを羽織る。リュックを背負って、学校へ向かう準備ができた。

 昨日、深夜に帰って来たらしい姉。部屋の前を通るとき「いってきます」とだけ声をかける。

 大学生の姉は、帰りが遅い。たまに、帰ってこない夜もある。いったい、なにしてるのかは知らないが。

 朝方まで、もぞもぞと動いているような音がしていたので、たぶん寝付いたのは、ついさっき。最後の気力をふりしぼって、俺の朝ご飯をつくってくれていたみたいで、フライパンの上に焼きかけの目玉焼きが置いてあった。ありがたく、いただいた。

 入学した謳歌高校は、家から歩いて行ける距離にある。

 姉がここに通ってたってのと、家から近いっていう理由で、ここを選んだ。


「ふぁあ」


 大口をあけてあくびをする。家を出て、歩きながら四回目ぐらい。

 学校が近づいているのに、眠気は遠ざかってくれない。一日中抱えたままになりそうだ。

 教室に向かう途中で、五回目のあくびをした。

 一年A組。俺のクラスは、昨日とふんいきが変わっている。

 みんなでカラオケに行った影響か、仲良しグループが出来ていて、机を囲んでいた。この光景を見ると、心が痛い。俺だけ誘われなかったとかいう、悲しい出来事が思い浮かぶ。事故だ。なにかの事故に違いない。やめよう、考えるの。

 自分の席に座って、リュックを降ろした。

 ここまで来る間に、ちらっと教室を見回した。

 光を弾いて、天使の輪ができている頭。背筋を伸ばして教科書を読んでる後ろ姿。そんな、久遠を見ると、うれしくなった。

 今日の授業、なんだっけ。高校生活が、はじまったばかりで、時間割も頭に入っていない。

 配られた時間割を、ぼうっと見つめていると、目の前に誰かが座った。


 いつもなら、気にもかけない。

 いつもと違う、いい香りがした。


 上品で、華やかな匂い。優雅さを感じるような、そんな香り。嗅いだことがあると気づいたとき、反射的に、勢いよく顔があがった。


「おはよう、羽純くん」


 椅子に横向きに座る久遠は、俺に向けて、そう言ってくる。

 俺って、わかりやすい。また、心臓が高鳴った。

 朝のあいさつ。これだけで、うれしい。

 細い腕が、伸びてくる。とっさに、首を引いた。久遠の手が、俺に胸元に触れている。


「ネクタイ、曲がっているわよ」


 きゅっと首元がしまる。


 ――なんでだよ


 胸が、きゅっとしまる。


 やばい。どぎまきして、それどころじゃない。尻尾があったら、ぶんぶん振り回している自信がある。


「わ、悪い。ありがとう」


「ふふっ。あやまらなくても、いいわよ。わたしが好きでやったんだから」


 久遠は、口元に手を当てて、ころころ笑う。

 すっと目つきが鋭くなった。なんとなく、聞きたいことがあるんだとわかった。


「放課後の予定、変わってない?」


 きれいな黒髪を耳にかけるしぐさをしながら、横目で聞いてきた。

 ふたつ返事で答える。


「変わってない」


「そう。わかったわ」


 そう言うと、久遠は前を向き、立ち上がる。


「また、あとでね」



 手のひらを二度ふると、自分の席へと戻っていった。

 教室が一気にざわついた。

 なぜか教室が静まり返っていて、みんなが一気に話し始めた。


「なんで、どうして?」

「なんか、仲良さそうじゃん」

「久遠さんとアイツ、どんな関係?」

「なんで久遠が、あいつと話してるんだよ」


 最高に、気持ちの悪い空気だった。

 なんとなく、久遠から高嶺の花のような感じはあった。でも、ここまで凄いと、気持ち悪い。


 金髪の前髪を触る。


 不良っぽい俺と話して、久遠のイメージが落ちないといいけど。

 教室からの、気持ち悪い視線を受けたくなくて、窓の外を見た。外に向かって思い切り叫びたい。そんな気分だった。


「うるさいッ」


 ――騒然とした空気が、切り裂かれた。


 バシンと、強く机を叩く音がする。

 びっくりして目を向けた。

 久遠が、教卓の上に手のひらを置いた状態で、教室を睨んでいる。

 髪がぶわっと落ちて来て、きれいな顔が怒りの表情に歪んでいた。


「羽純くんとわたしは友達よ。勝手な口を閉じなさい」


 聞いたことのないぐらい冷たい口調だった。

 それだけ言うと、久遠は何事もなかったように、自分の席に座り、平然と教科書を読み返す。

 教室が、静けさを取り戻した。

 格好良すぎるだろ、あいつ。

 みんなの前であれだけ言えるのが、すごい。

 友達って言ってくれたのが、うれしい。

 色んな感情が胸の中で沸いてきて、ぽかぽかと暖かくなる。

 ああ。

 放課後が楽しみだ。

 はやく。


 ――久遠なぎさに好きだと伝えて、


 ――久遠なぎさに、振られたい。



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