第6話 逆転

 交代の選手が入ってきた事をきっかけに、少しずつアベイユの選手が躍動していく。しかし点は入らない。このままでは負けてしまうと思った。もう80分が過ぎている。あと試合の時間は10分しかない。


 そんな時、アベイユのコーナーキックになった。


 コーナーからボールが円を描いてゴール前へと落ちてくる。そこでジャンプした選手がボールを後ろにそらす。

 そこにさきほど教えてもらった交代で入った選手が長い距離を走り抜ける。そして右足を強く振り抜いていた。

 そのボールは激しく相手の選手にぶつかって、そのままゴールに吸い込まれていた。


 開場が大きな声で揺れる。

 爆発的な声。みなが歓喜の雄叫びを上げていた。

 他の選手がその選手をかこんで祝福していた。

 応援している皆も隣の人と抱き合ったり、両手でハイタッチをかわしている。


 そして隣の彼女も私に抱きついていた。


「やった、やったよー! ゆういちがきめたよ!」


 選手の名前を叫びながら、ぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

 その様子をみていると私もまるで自分の事のように嬉しくなっていた。


「まだ。まだ時間あるよ。あと9分。まだいける。まだいこう!!」


 誰かが大きな声で叫んだ。選手達も急いで自陣に戻っていく。

 そうか。まだ時間あるんだ。まだ逆転できるんだ。

 時間は少しずつ過ぎていく。だけどまだチャンスはあるんだ。諦めなくていいんだ。


 そう思うと私もまた声を出していた。


 雨は強くなる。

 選手がボールを奪うと、大きく右側にボールを蹴り出す。

 そこに誰か選手が駆け込んでくる。


「城土!!」


 彼女が叫んだ事でその選手が城土選手だとわかった。

 それと同時に稲光が走る。


 わぁっと思った瞬間、城土がその右足を強く振り抜く。


 ゴールまでの距離はかなりあった。だけどボールはわずかに弧を描いてゴールへと吸い込まれていく。


「ゴーーーーーーーーーール!!」


 スタジアムに声が響いた。

 ゴールを決めた城土選手が皆の方へと駆け込んでくる。

 そしてそちらに皆が集まって、おのおのと喜びを分かち合っていた。


 そしてこんどは私が彼女に飛びついていた。


「やった。やったよね。逆転したんだよね。勝てるんだよね」

「そうだよ。逆転したよ。でもまだ試合は残ってる。最後まで応援しよう」

「うんっ!」


 私は強くうなづいて、そのまままたピッチをにらむように見つめていた。

 そのまま時間が流れる。

 そして審判が長い笛を吹いた。この笛は終了の合図だった。


「やった。勝ったよ!! 勝ったんだよ!!」


 彼女が大きな声で告げる。ぬれているのは雨なのか涙なのかわからない。

 初めて見た試合はなぜかサポーターの中にまじってずぶぬれになりながら、逆転勝利を収めて知らない人と喜びをわかちあっていた。

 後になって気がついたけれど、私はこの時彼女の名前も聞かなかった。


 ただ彼女は笑顔で「風邪ひかないようにね」と言う言葉と共に「またスタジアムでね」と言われて、私は何の疑問も抱かずに「うん」と答えた。

 そして毎週のようにスタジアムに通う日々が始まったという訳である。


 もちろんこんな劇的な試合はほとんどなくてアベイユは勝ったり負けたり負けたり、たまに勝ったりしている訳なのだが、ただあの時の経験は忘れられなかった。


 選手の名前も気がつければ全員覚えていて、スタジアムにいけば見知った顔が見られるようになった。


 もう知らない人ばかりでない。

 中には顔は知っているけれど、名前は知らないなんて人もいる。SNSだけでつながっている人もいる。


 だけどみんなもう仲間だ。

 私もみんなも、もう家族のようなものなんだ。

 だから私は今もサポーターを続けている。


 相変わらず小さな声しか出せないし、飛び跳ねる事もできないけど。

 私の小さな声が選手に届いたらいいなって。そう思う。


 追伸

 あの時の文庫本はびしょぬれになってしまったので、もう一度なくなく買い換えました。本は大事にしましょう。

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サポーターズサイドストーリー 香澄 翔 @syoukasumi

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