こんな関係だったのよ


 10月17日(土) 雨


 根性だけは見上げたものだわ。たった一日で立ち直りやがった。まさかあんな姑息こそくな手を使ってくるとはね。正直びっくりだ。

 ちょっと自分の手には負えなくなってきたので兄に連絡した。これからどう対処するか相談するつもり。


「うわ、来やがった」


 今日もあいつは朝一で店にやって来た。土日は家族連れが多いから予約できる時刻が限られているんだろうな、きっと。


「昨日は楽しかったね」


 店に入って最初の言葉がそれかよ。こんな場所でプライベートな会話。配慮って言葉を知らないのか。


「はい。いらっしゃいませ」


 仕事なので笑顔で答える。それにしてもどうしてこんなに元気なんだ。昨日あれだけショックを受けたんだから、もう少し影を引きずっていてもよさそうなもんだが。テーブルに着くとすぐメニューを指差した。


「これ」


 またピザか。昨日さんざん飲み食いしておいてよくこんなモンが食えるな。おまえの胃袋どうなってんだ。


「マルゲリータピッザァひとつ、以上ですね、えっ?」


 いやあ驚いたね、と言うよりも恐怖を感じたわ。夜道を歩いていたら突然素っ裸の幽霊に出くわした、そんな感じ。危うくハンディを落としそうになっちまった。あろうことかあいつ、あたしの手を握ったんだ。


「な、何をするんですか」


 払い除けようとしたらすぐ手を放した。そしてニタニタ笑いながらこう言うんだ。


「あ、ごめん。間違えて握っちゃった。これを渡すつもりだったんだ」


 折りたたんだ紙を持っている。そんなもの受け取りたくもないが拒否すれば騒ぎ出すのは明白。無言で受け取ってその場を去る。


「いったいどういうつもりなの」


 客はまだあいつひとりだけだ。少しくらいなら業務から離れても大丈夫だろう。店長が作ってくれた休憩スペースの椅子に腰掛けて紙を開く。文字がびっしりと印刷されていた。


『昨日は楽しかったね。ボク指輪のことなんて全然気にしてないよ。ホントははめたくなかったんでしょ。結局外していたもんね。それに複数の配偶者がいるのはマズイけど、複数の恋人がいたって法律的には何の問題もないはず。だから今までどおり付き合おう。で、次のデートはいつにする? 希望の日時と場所を紙の余白に書いて渡して。それからそろそろ連絡先を教えてくれないかなあ。店まで歩いて通っているってことはこの近所なんだよね。あんまり冷たくすると帰宅するお姉さんの後に付いて行っちゃうかもしれないよ。そしたら住んでいる場所なんてすぐわかっちゃうし。もちろん次のデートを断るなんてことしないよね』


「マジヤバイぜ、こいつ」


 背中に悪寒が走った。ここまで諦めの悪いヤツだったとは、そしてここまで執着するヤツだったとは、完全に想定外だ。まるでヒグマだな。ヤツらは一度狙った獲物や餌に異常なまでの執着心を燃やすらしい。トンデモナイ男に目を付けられちまったもんだぜ、まったく。


「あら、どうかしたの?」


 店長だ。いっそ全てを打ち明けようかと思った。でもこれは店とは関係ない。あくまでプライベートな問題。それにこれ以上店長に迷惑は掛けられない。


「いえ、ちょっと腰が痛くなって。すぐ戻ります」

「あらそう。ヤルのはいいけどヤリすぎはよくないわよ。ほどほどにね」


 あ~店長、絶対勘違いしてる。ヤルって何よ。最近全然ヤってないよ。と言うかもっとマシな言い訳を考えろよ自分。

 とにかくデートは断れない。とりあえず紙の余白に次の休日の日付と時刻、駅名を書いて破り取る。デートまで4日あるからその間に対策を考えよう。


「お待たせしました」


 ピザと一緒にさっきメモした紙切れも置いていく。あいつの顔が歓喜に変わる。クソッ、あの顔を見ているだけでムカついてくる。しかもあいつを喜ばせたのは他ならぬ自分だという事実が余計にあたしを苛立いらだたせる。いつか必ず目にもの見せてくれるわ。首を洗って待っておれ。


「ありがとうございました」


 あいつが帰るとあたしはすぐ兄にメールした。兄の会社は土日休み。今日明日は特に予定もないので、あたしの勤務が終わったら直接会って話そうと返事が来た。やっぱり兄は頼りになる。


「なるほど。事態はそこまで悪化していたのか」


 先日と同じ雑居ビル2階の喫茶店で兄とあたしは顔を突き合わせて今後の対応を協議した。万全の準備で臨んだジェラシーストーム作戦がまったく功を奏さなかったことを知り、兄はかなり落ち込んでいた。


「我々は敵を少し甘く見過ぎていたようだ。まさかこれほどの防御力を有していようとは。おまえの指輪作戦も悪くない戦略だったのに簡単に撃破されてしまった。そして今、敵は我々の本陣に攻め入ろうとしている。完全に主導権を握られてしまったようだな」

「どうする兄貴。このままじゃあたしのアパート、あいつに知られちゃうよ」

「その通りだ。敵の要求を飲んで2度目のデートをしたところで何の意味もない。ヤツは必ず帰宅するおまえを尾行し潜伏拠点を突き止めるだろう」


 別に潜伏なんかしていないぞ。ミリタリーオタクの兄に話を合わせるのは疲れるぜ。


「いっそのこと店を辞めて引っ越しちゃおうか。そうすれば諦めるんじゃない」

「そうとは限らん。それにあんな男ひとりのためにこちらが譲歩するのは馬鹿げている。そこでだ、どうせ居場所を知られるのならこちらから教えてやるというのはどうだ」

「そっちのほうが馬鹿げてない?」

「ただ教えるだけではない。考えてみろ。どうして敵はおまえの住処すみかを知りたいのだと思う? そこに押し掛けておまえと一緒にあんなことやこんなことをしたいからだ」


 あんなことやこんなことってどんなことなんだ。まあ何となく想像できるけど。


「だが、そこにおまえ以外の誰か、例えば若く屈強な男が一緒に潜伏していたとしたらどうなる。あんなことやこんなことができなくなるだけでなく、そこに近づくことも嫌になるだろう。おまえのアパートを知ったところで何の意味もなくなる」


 そうか。あいつが住所を知りたがっているのはあたしが一人暮らしだと思い込んでいるからだ。同居人がいるとわかればアパートを知られてもあいつは何の手出しもできなくなる。


「納得! そして兄貴がその同居人のフリをしてくれるってワケだね」

「うむ。理解が早くて助かる。善は急げだ。作戦は明日実行する」


 その後、協議を積み重ね「同居人見せつけ作戦」の内容が決定した。

 明日16時、兄がファミレスに来店。

 16時15分、勤務終了したあたしは急いでアパートへ帰宅して待機。

 16時45分、標的が来店した時点で作戦開始。

 頃合いを見計らって兄が退店。標的の尾行を確認しつつアパートへ向かう。

 玄関であたしが兄を出迎えラブラブなシーンを見せつける。以上。


「でも、あいつ、兄貴を尾行しようとするかな」

「オレとおまえがただの店員と客の間柄でないことはすでに敵も承知しているはずだ。ヤツの執着心と好奇心の強さを考慮すれば95%の確率でオレを尾行すると考えられる」


 たいした自信だ。その95%の確率はどこから弾き出したんだよ。さりとて失敗したところで痛くも痒くもないので兄の言葉を信じてやってみるか。


「それと前回のように汚らしくてボサボサの格好は今回はナシだ。準備する暇がないんでな。通常のオレでやらせてもらう。おまえも通常のおまえで作戦に臨んでほしい」

「さーいえっさー!」


 敬礼する。語尾が「~ほしい」の後は敬礼しないとするまで何も喋らなくなるから。それにしても相変わらずの堅物だ。これじゃ結婚は永遠に無理だろうな。

 その後、兄はコーヒーを一気飲みして帰って行った。あたしも明日に備えて早めに寝ようっと。



 10月18日(日) 晴後曇


 本日の勤務終了。急いで帰宅。現在アパートで待機中。時刻は16時45分。そろそろあいつが店に来る頃だ。


 あっ、メール。兄からだ。

『標的の来店を確認。これより作戦を開始する。コードネームはオレがオニイ、おまえがモウト。健闘を祈る。以上』


 おい、ちょっと待て。どうして今回はあたしがモウトなんだよ。前回イモウだったのにおかしくないか。ああ、そうか、どうでもいいのか。こっちの本名はもう知られてしまっているからな。それに前回兄は一度もコードネームを言わなかった。きっと今回も言わないつもりなんだろう。


 お、またメール。

『標的、こちらの存在に気づいた模様。憎々し気に睨みつけてくる。視線が痛い。なお標的の注文はパフェとポテトとドリンクバーだ。以上』


 あいつのメニューなんかどうでもいいよ。しっかし夕飯前にそんなモノ食ってるのか。豚一直線だな。


 お、またまたメールだ。

『店長に肩を揉まれた。「あの子よりあたしのほうが上手でしょ」と言うので「やはりマッサージは男性に限りますね。女性とは握力が違います」と答えると、「ねえ、肩以外にも揉んで欲しいところはない? この辺とか」と言いながらあらぬ場所に手を伸ばしてくるので「ここはキャバクラではありませんのでお控えください」と答えると「もうお堅いんだから」と言って去っていった。なかなか愉快な店長である。以上』


 アニキィー! 何やってんだよ。ちゃんとあいつを見張ってろよ。しかし店長も結構ヤバイな。前回の作戦が終了した翌日、兄についてあれこれ訊かれたのはそーゆー下心があったのか。兄はそれほど背は高くないけど筋肉質だしお尻もプリッとしているから受けが良さそうだ、ってあたしもアホな妄想してるんじゃないよ。


 お、メールが来たぞ。

『標的、食べ終わっても動こうとしない。こちらを観察し続けている。どうするか思案中。以上』


 時計を見る。間もなく午後6時だ。いくらなんでもこれだけの長居は不自然だろう。こちらからメール送信。

『とりあえず兄貴から動いてみたらどうだ』


 返事。

『いや、それでは標的がオレを見失ってしまうかもしれない。もうだいぶ暗くなってきたしな。以上』


 メール送信。

『ファミレスの周囲は明るいし、見失うなんてことないんじゃないの?』


 返事。

『標的の愚鈍さを甘く見るな。ヤツの尾行可能距離はせいぜい5mだ。それ以上離されると迷子になるだろう。以上』


 その5mってどこから弾き出した数値なんだよ。しかし兄の推理もあながち間違ってはいないかもしれないな。やはりここは相手が動くのを待つか。


 お、メール来た。

『標的動く。現在会計中。扉を開ける瞬間にこちらも席を立つ予定。以上』

 ようやくか。うまく事が運ぶといいんだけど。


 メールだ。

『植え込みの陰に隠れている標的を確認。素知らぬ顔で通り過ぎると付いて来た。ミッション1完了! 以上』


 兄の言ったとおりになった。あいつ、あたしと関係ありそうってだけで過去1回しか会ったことのない男でも尾行するのか。やっぱり相当ヤバイヤツだな。


 メール来た。

『現在順調に尾行されている』

『おっ、まずい。標的がオレを見失った。離れすぎたか』

『後戻りして標的の5m圏内に接近。再び尾行を開始してくれた』

『以上』


 すげえな。本当に見失ってるよ。あいつには過去1回しか会っていないのどうしてそこまでわかるんだ。兄もある意味相当ヤバイかも。


 そしてメールだ。

『標的をアパート敷地内に誘導することに成功。ミッション2完了! これより最終ミッションに入る。スタンバイよろしく。以上』


 やっと来たか。それじゃこのカワイイフリル付きエプロンをつけてラブラブの恋人役になり切るとしますか。


 ピンポーン!


 チャイムだ。深呼吸してドアを開ける。兄が立っている。その向こうには物陰に隠れてこちらをうかがっているあいつの姿も見える。ふふふ、驚け!


「あら~おかえりなさいオニイ。今日は遅かったのね。寂しかったわ」

「うむ。今帰ったぞ」

「ごはんにする? お風呂にする? それとも、あ・た・し?」

「風呂に入りながらメシを食う。それからおまえは要らん」


 バカ! 少しは役になり切れよ。ここは本音を言うところじゃないだろ。


「兄貴、ラブラブ、ラブラブ」

「おっとすまん。ああ、そうだなあー。それじゃ、あ・た・しにしようかなあ」


 日本語が変だがまあいい。効果はてきめんだ。あいつは完全に打ちのめされた模様。両手を地についてorz状態になっている。ネットでは飽きるくらい見たが実際に生で見るのは初めてだ。


「兄貴、あれ」

「うむ。成功だな。最終ミッション完了。全ての作戦行動を終了する。さあ中に入ろう」

「はーい。今日のあ・た・しは特別美味しいわよ。よーく味わって食べてね」


 あたしと兄はorz状態のあいつを小気味よく眺めながら中へ入った。ふふふ。今度こそ再起不能のはず。2日後のデートで引導を渡してあげるわ。

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