第5話 煙の中


今日、彼が私の世界から消えた。


1人では少し大きすぎる部屋に、1人で佇む私がとても小さな存在に思えた。


彼氏とは、最初からいい関係ではなかった。付き合った理由もノリだったし、特にこれといった思い出なんかもなかった。


「まぁ、別に、付き合ったのも数ヶ月だったし。」


強がるように吐き捨てて、リビングにある赤マルに手を伸ばした。


シュボッ


ターボライターの音が部屋に響いた。

口から勢いよく煙を出して、2種類のタバコが詰まった灰皿に灰を落とす。


テレビのリモコンに手を伸ばして、彼が好きだったお笑い番組やエンタメ番組の録画を次々と消していった。


「あたしはドラマや映画好きだったのに全然録画してもらえなかったな。」


タバコを吸い終わって、財布と携帯をポケットに突っ込み、ダル着のまま外に出た。


「タバコ……は、もう要らないか。」


彼と外に出る時はいつもタバコを持ち歩いていた。

路上喫煙常習犯の彼に「1本ちょうだい」とせがまれるから。


途中のコンビニに立ち寄り、今日発売の週刊少年漫画をチェックする。


「あ、待って。もう要らないじゃん。」


彼が愛読していた漫画を元に戻し、代わりにジュースとお菓子を買った。


次にレンタルビデオ屋に入る。


自分の好きな映画をチェックするつもりが、彼が唯一飽きずに見れるというアクション映画コーナーに入ってしまった。


「は、なんであたし要らないもんばっか見てんの。」


あまりの馬鹿馬鹿しさに思わず笑みがこぼれる。


「えっ、偶然じゃん!どしたの?」


いきなり声をかけてきたのは中学時代からの親友だった。


私達は近くのファミレスに入った。


「めっちゃ久しぶりだね、彼氏とはまだ同棲中なの?」


ドリンクバーから持ってきたコーラを飲みながら、親友に聞いた。

すると、親友はニコニコしながら左手の甲を見せてきた。


「じゃじゃーん!婚約中で〜す!」


「はは、いいな。ラブラブで。」


幸せそうな彼女を心底羨ましく思った。


「あんたは、別れちゃったんだっけ。」


親友はアイスティーの注がれたグラスにシロップをストローで混ぜながら言った。


「あー、知ってたんだ。じゃあさっきのは嫌味か何か?」


私は冗談めかして言ったが、胸にズキンと痛みが走った。


「暗い話してもつまらないでしょう?」


「どこまで知ってるの?」


恐る恐る聞くと、親友は神妙な面持ちで言う。


「全部だよ。浮気されて、あんたの渡してたお金を他の女に貢いだ挙句に出ていったんだっけ。」


親友は私より泣きそうな顔をしていた。


「だから、言ったじゃん。あいつはやめとけって、でもあんた惚れ込んじゃって。いつか痛い目見るよって、あんなに、言ったじゃん……」


いや、泣いた。


「いいんだよ。もう好きじゃないから。」


「じゃあ、あんたの提げてたコンビニ袋に入ってる漫画は何!?あんたが借りたビデオは何!?全部、全部あいつの好きなジャンルじゃん!」


親友は机を叩いて立ち上がる。

ザワめく店内を気にして場所を変えた。


「あたしさぁ、あんま好きだった自覚なかったんだよね。」


夜の公園のベンチでボソリと呟く。

親友はハンカチで顔を抑えながら返した。


「嘘つき。」


「別にあいつが告ってきたときもノリでOKしただけだし。」


「嘘つき。」


「……あいつが他の女作ってもなんとも思わなかったし。」


「嘘つき。」


「嘘じゃないよ。」


「じゃあ、なんで泣いてるの。泣く意味ないじゃん、そしたら。馬鹿なんじゃないの。」


そうだ、本当は、あいつがあたしの世界の全てだったんだ。


夜の公園で、人生で1番泣いた瞬間だった。

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