第13話 確かな想い

「う~ん、やっぱ慣れへんなぁ……」

 悪戦苦闘という顔で綾野さんが悪態をついていた。

「本当みんなには申し訳ないと思っているよ……」

 奏音さんは誰もいないところに目を逸らしながら答える。

「ああ、ちゃうって!慣れたらこれくらいどうってことないで!ただなぁ……」

 失言だと思ったのか綾野さんは慌てて訂正する。

 クレイドルの修正作業は想像以上に苦戦した。音程を下げるだけ、とはいかず下げたことにより曲の雰囲気はガラリと変わり特にキーボード担当の過田先輩は一から音色を作り直すこととなった。特に初心者である綾野さんは押さえるポジションが変わってしまうので今までの練習が無駄になってしまう。

 そこで考え付いた結果、ベース自体のチューニングを下げることにした。そうすることで前とほとんど同じポジションで弾くことが出来る。曲調に合わせるため多少の変更はあったものの綾野さんはすぐにそのポジションを覚えることが出来た。ただし……

「う~ん、やっぱり弦がベロンベロンで弾きづらい……」

 音程を下げるために弦を緩めたことにより弦の張るテンションが変わり、結果今までとは違うタッチで演奏しなければならない。初心者の綾野さんにとっては難題だろう。これに関しては私もアドバイスはできない。練習して慣れるしかないのだ。

「大丈夫よ綾野ちゃん。私もいろいろ思考錯誤しながらやってるから」

「いやいや、過田先輩全然できてるじゃないですか!問題なしって感じですよ‼」

 ……私もそう思ってしまった。

 過田先輩のフォローはフォローになっていないように思えた。

 キーボードはクレイドルという曲の柱となるようなもの。土台を支えるための大事な要素となる。一番変更点が多く、曲の雰囲気を壊さないためのセンスを求められる。

 にも関わらず過田先輩は奏音さんの喉が回復するまでに仕上げてきた。

――やっぱり、過田先輩ってすごい人なのね……。

 ベースの音取りといい、今回のことといい、私は改めてとんでもない人とバンドを組んでいるのだと実感した。

 曲の方は違和感を感じつつも原曲の良さを残しつつ奏音さんの歌うのに差し支えない程度には仕上がってきていた。

「過田先輩には本当にご迷惑をおかけして、早稀も……」

 奏音さんは申し訳なさそうに頭を掻く。

「もう、奏音ちゃん。それは何度も聞いたから、そんなに謝られても困っちゃうわよ」

「……そうそう、奏音は気を使いすぎ」

 二人とも奏音さんの表情をしっかりと見詰め笑った。

「まあ、早稀は最初大反対やったけどな」

 綾野さんはいたずら好きな猫のような笑みで早稀さんに茶々を入れる。

「あっ……そ、それは奏音の体調を気遣ってのことだよ!たしかに最初は不安だったけど、思っていたよりも形にはなってきているから……だから決して意地悪をしたとかじゃないから!」

「ああ、わかっているよ。ふふ、ありがとう」

 早稀さんの必死の弁明が伝わったのか奏音さんは朗らかな笑みで返す。

――ようやくいつもの日常が戻ってきたんだわ。

 騒がしくもあり今でも少し苦手意識はあるけれども、そんな日々が戻ってきたことが素直に嬉しく、そんなみんなのやりとりを見て笑ってしまった。

 しばらく談笑しているとコンコンとノックする音が響いた。重量感のある扉が開くと間宮先輩がニヤニヤと笑いながら顔だけを覗かせる。

「随分と楽しいそうだね。順調そうでなによりだ」

「ごきげんよう、間宮先輩。そうですね、いろいろありましたが問題はなさそうです」

 得意げに眼鏡を触りながら過田先輩は答える。ほお、そうかと言葉を添えて今度は奏音さんに顔を向ける。

「奏音も調子が戻ってきたそうだね」

「はい!体調を見ながらですけど、みんなのおかげで続けられています」

「それはよかった!私も心配したんだからね」

 間宮先輩は快活な笑みでウィンクをしてみせる。

「ところで……今暇かい?」

 話が変わり突然のことに私たちはきょとんとしてしまった

「えっと、暇やないですけど、暇ですね」

 それはどっちなの?と私は内心に綾野さんに疑問を投げかける。

「そうか暇なのだったら……」

 顔を覗かせていただけの間宮先輩の全身が映るとその後ろから2人の少女が現れる。その2人は同じ一年生の部員だった。

「この二人は楽器経験が乏しく他のバンドの演奏をあまり見たことがないらしい。だから君たちの演奏を見学していきたいらしいのだが、ダメかな?」

 最初間宮先輩の言葉を受け入れることは出来なかった。体の体温が一気に凍り付き、身体は重くなる。

――ダメだ、やっぱり私はまだ……。

 間宮先輩やバンドのみんなのように心を許しどういう相手なのか知っているから大丈夫だけれど、あまり話したことのない、知らない相手だと恐怖を感じ身が竦んでしまう。

 みんなの顔を見遣ると綾野さんは不安げな表情で私と同じように周りをキョロキョロとしている。

「いや~、まだ人に見せれるレベルまでに達してないんでちょっと……」

 声には出さなかったが私は綾野さんの意見に大いに賛成していた。私も心の準備ができていない。演奏を見せるにはもう少し練習したい。

 だが、それはただの言い訳だということも頭の片隅にあった。私はまた逃げようとしている。

「綾野ちゃん、ダメよ。本番はもっと多くの人の前で演奏するんだから。人前で演奏をするってことに慣れないと」

 過田先輩の言葉は私自身にも突き刺さる。

「はっはー……ですよねー……」

 綾野さんはわかりやすく肩ががっくりと下がる。私はみんなに気付かれないように小さく嘆息を吐いく。演奏をするため各々準備を始める。

 二人の同級生は綾野さんと過田先輩に目が行っている。そういえばこの二人はベースとキーボードだったか。

 二人とは違う視線を感じそちらに向くと間宮先輩と目が合った。一気に緊張感が高まり知らずのうちにしっとりと手汗を掻いていた。

「はい、私たちは大丈夫です。ぜひ私たちの演奏を見ていってくださいね」

 大きく深呼吸をする。早稀さんが両手に持ったスティックを掲げ4カウントを取る。

 ピアノが旋律を奏で演奏が始まった。

 

「じゃましたね。それじゃあ」

「ありがとうございました!とても参考になりました」

 間宮先輩と二人の同級生はそう言葉を残して部屋を後にした。

――本当に参考になったのだろうか……。

 きっとこれは世辞なんだと思った。

 私の演奏は正直に言って……あまり覚えていない。

 演奏中、私は過去の自分となっていた。

 この場に居もしないはずの中学生時代の同級生たちが私を睨んでいるように感じた。これは自分の思い込みでしかないと脳が理解しても心は違った。

 音を半音ずらしてしまったことを契機にリズムが乱れ、失敗を取り戻そうと冷静でいようとすればするほど冷静でいられなくなっていた。

 そして幻影の同級生たちは私がミスをするたび、にたにたと嗤っていた。その嘲笑は周りの音をかき消し私を孤独にさせた。

 気が付くと演奏は終わっていた。厭らしい目の同級生はいなくなり、楽しげに感想を述べている同級生がそこに居た。

 自分の手を見ると演奏を終えているにも関わらず小刻みに震えていた。誰にも悟られないように手を後ろに回す。しばらく視線を床に落としていると同級生二人と間宮先輩はいなくなっていた。

 恐る恐る顔を上げると奏音さんが私を見ている。

 その表所は複雑で何かを思案しているようだった。ゆっくりと口が開き言葉が漏れそうになる瞬間だった。

「いや~、緊張した~」

 綾野さんの声に遮られ奏音さんは口を噤む。

「めっちゃミスってもてんけど、”上手いね!”……って言われてもなんか納得できひんなー。あれってお世辞なんかな……」

「そんなことないよ。リズムは安定してきているし、あとは細かい部分を詰めればいい」

 落ち込む綾野さんに奏音さんは優しい言葉を添える。さっきの思い詰めた表情は消え去っていた。そのことを気にしながら二人の会話に耳を傾ける。

「でも……明々後日やろ発表会。間に合うかなぁ」

 あと三日で一回生バンドの発表会だという事実を思い出し、胃がきつく締め付けられるような気分になった。

 その現実を突きつけられ、私たちは押し黙る。みんな不安がないわけではない。原曲に対してキーを下げたことの穴埋めが完璧にできているわけなはない。それぞれ課題は残っている。

「今日のバンド練習はこれくらいにしましょうか。詰め過ぎてもいい結果にはならないわ」

 過田先輩は不安をかき消す穏やかな声音で告げた。息詰まる空間に新たな空気が入り込むように緊張の張りは緩まり楽器を片付ける。と、

「椿さん、ちょっとええかな……」

 落ち込んだ面持ちの綾野さんにそう耳打ちされた。


「ごめんな椿さん、うちの練習に付き合わせてもて」

 綾野さんはバツの悪い顔を浮かべてそう言った。

「いいのよ、私も誰かと一緒に練習したかったから」

 まだまだあの演奏では完成形とは言えない。本番に向けて出来ることと言えば練習するしかないのだ。

「……で、私には労いの言葉とかはないの?」

 唇を尖らしながら早稀さんが私たちを睨む。

「ああ、忘れとったわ。あんがとうな」

 と、微笑んで親指を立ててみせる。小スタには私たちの三人だけ。いつもよりも部屋が広く感じる。

「どうして他の二人を呼ばなかったの?」

 奏音さんと過田先輩はいない。私は当然の疑問を綾野さんに投げかけた。

「えっと、それはなぁ……あの二人は声掛けずらくてな」

「そうなの?」

 誰とも分け隔てなく会話でき、どんな時でも話しかけれるコミュニケーション能力の持ち主だと思っていた。

「本音はあの二人も呼びたいよ。でも、過田先輩は音取りのことでめっちゃお世話になったからこれ以上迷惑かけたくないし、奏音は……やっぱ体調が心配で前みたいにしんどそうにはしてないけど、あいつには休んでほしいかな」

「……以外。綾野そんなこと考えてたんだ」

「うちやって少しは気をつかうよ!」

 照れた素振りで頬を掻き恥ずかしそうでどこかせわしない。その姿が叱られる前の子供のような姿にかわいいと思ってしまった。

「悪いか、うちがそんな風に気をつかうんが」

「そんなことないわ。素敵なことだと思う」

「やっぱそうやんな!」

 パッと花が咲いたように華やかに笑む。

「……ほんと人がいいんだから」

「椿様は本当に御優しいお方で。どっかの誰さんとは大違いやわ」

 すると今度はわざとらしく頭の後ろで腕を組みずる賢い猫のような目で早稀さんを見遣る。

「……いやいや、私だって心配してるよ。椿ちゃんほど露骨に見えないだけで」

「えっ、私が露骨って?」

 早稀さんの言葉に思わず声を上げてしまった。

「……見ればわかるよ。奏音のこととなると普段の椿ちゃんの雰囲気からは考えられないほど積極的になるからね」

「そうそう、奏音がどうなるかわからない時だって率先して動いてたし、まるで囚われの姫を救い出す王子様みたいやったな」

「……見た目とか性格は真逆だけどね」

「ちょっと二人とも何を言っているの!?」

 あの時は奏音さんを繋ぎとめようと必死の思いで行動していたから周りからどのように思われているかなど考える余裕などなかった。

 今になってそんな風に見られていたことに気付き恥ずかしさの波が一気に押し寄せる。

「……そういえば、ちょっと前のことだけど奏音の話をしていた時、椿ちゃん何かと勘違いしてたよね」

 ちょっと前とは早稀さんが奏音さんの喉のことを案じていた時のことだろうか。齟齬があり話がずれていて芸人さんのコントのような場面を思い出しだした。

「……あの時から思ってたんだけど、奏音は椿ちゃんにとって友達以上の特別な人のように見えた」

「椿さん、奏音と何かあったんか?」

「何かって……」

「はっ!もしかして奏音のこと好きとか?」

 狼狽える私に追い打ちをかけるようにより直接的なことを問う。綾野さんの言葉に自分でも頬が染まっていくが分かる。

 好きという言葉。私が奏音さんに抱いている想い。

 それが好きという感情なのだろうけれど……。

「えっ、えっ!?ほんまにそうなん!?」

「……ちょっと怪しいとは思っていたけど」

「あのちょ、ちょっと待って。違うの」

「……じゃあ、どう違うの?」

 早稀さんの問いに何も返せない。

 どう説明していいかわからない。

 好きという表現にもいくつかある。ライクの好き、ラブの好き。

 私は今までその曖昧な境界線で奏音さんのことを想っていたように感じる。私の奏音さんに対する好きはどのようなものなのだろう。

「えっと、大事な人だとは想っているのだけれど、みんなが考えているようなことじゃないわ」

「……ほんとにぃ?」

「な~んや、発表会のあと告白して付き合うところまで考えてたんに」

「もう、二人とも!」

 いつもは言い争うが耐えない二人が同じように口の端を歪めニヤニヤと笑う。

「……まあ、真相がどうであれ私は二人の仲を見守るよ」

「そうやな、ただ付き合ったらちゃんと報告してや!」

 二人の言葉に呆れつつも応援してくれているのだと内心嬉しかった。

 入学前にはここまで話せる友人たちに囲まれるなんて想像もつかなかった。

 揶揄われているけれど、昔の私が今の私を見たら幸せ者に映るのだろうか。

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