第5話 その歌声が、私を変えてくれた

「ギターパートはどうだったの?」

 日没が近づき遠くの山々はほのかに茜色に染まっていた。

 部活が終わり私は寄本さんと学校から最寄り駅までへと繋がる道を歩んでいた。

「間宮先輩にギターの基礎練習を教えてもらったわ」

「へえ、指導は厳しかった?」

「そんなことなかったわ。すごく丁寧に教えてくれた」

「そうなんだ、私も教えてもらったことあるけど、あれが出来てない、これが出来てないって散々言われたけどね」

 苦笑いする寄本さん。

 そんな彼女を横目に、私は少し高揚していた。

 逃げずに最後まで部活動に参加できたこともあるのだが、憧れの寄本さんと一緒に帰れることに胸を高鳴らせていた。

 学校から駅までは15分ぐらい歩く距離だった。私は徒歩通学で寄本さんは電車通学。途中の十字路で別れるからだいたい10分ぐらい寄本さんと一緒にお話ができることになる。

 それが……毎日!

 また私の話ばかりしていると思い、私から寄本さんに質問してみた。

「寄本さんのボーカルパートはどんな練習をしているの?」

「基本的な発声からして音程を合わせる練習をしてたよ」

「この部活に入る前から基礎練習はしていたの?」

「うん、一応ね。基本的な練習方法は昔に従事していた先生に教えてもらったんだ。その先生に歌うことの基本はだいたい教えてもらったね」

 へえ、と頷く。そういえば寄本さんはいつから歌うことを始めたのだろうと少し疑問に思った。先生がいたということは幼いころからかなり真面目に練習していたのだろう。

「ギターの基礎練習なんてほとんどしたことないからすごく手間取ってしまったわ」

「間宮先輩から聞いたけど、初めてにしては上々だったらしいね」

「もう少しリズム感を養わないとちゃんと弾けないけどね」

「そっか、それは良かった。……でもちょっと安心したよ、道添さんが元気そうで」

 その言葉に私のことを心配してくれたという嬉しさと同時に屋上の出来事を思い出し黙り込んでしまった。寄本さんも私の表情から察したのか口をつぐんだ。こちらの様子を窺うように胡桃色の瞳の視線を感じる。

――話すなら今がいいかもしれない。

 寄本さんとの間にしこりを残したくない。そう思って私はようやく口を開いた。

「「あの……」」

 私と寄本さんの声が同時に重なり、あっ、と声が漏れたのが聞こえたらしく寄本さんはフフッと口元を手で押さえて笑った。

「あっ、えっとお先にどうぞ」

「いやいや、たぶん同じことを考えていたんじゃないかな」

 ちょっと寄っていこうよ、と言って寄本さんは目の前のコンビニを指さした。


――これがいわゆる買い食いというものなのかしら。

 手に持った肉まんを眺めながら思った。

 短い期間だけ通っていた学校での記憶を想い返しても下校途中でコンビニに立ち寄ったことは一度もなかった。これが人生初めての買い食いである。

 買い食いなどしたことのない私は妙な背徳感を感じながら一口頬張る。ジューシーな豚肉と甘い玉ねぎのうま味が口内に広がり確かな幸せを感じる。

 日が落ち薄暗くなった公園で私たちはコンビニで買い物してから近くのベンチに腰掛けていた。隣で寄本さんもおいしそうにバクバクと食べていて、あっという間に食べ終えて遅れて私も間食した。

「はあ、おいしかった。あともう一個ぐらい食べたいよ」

「それじゃあお夕食が食べれなくなっちゃうわよ」

 食べ盛りだから大丈夫だよ、とほほ笑む彼女を横目に私は話すべきことを話そうと決心した。

「あの、この前の屋上のことだけど……」

「待って……私に話してもいいの?」

 一瞬言葉に詰まるも、心を整え彼女の瞳を見詰める。

「……ええ、あんなことがあって話さないわけにもいかないと思うし。ただ、あまり明るい話ではないけどいい?」

「うん、道添さんが話していいなら私は大丈夫。聞くよ」

 一つ深呼吸をして私は話し始めた。

「……私がギターを始めたきっかけだけれど、父の影響で小学生の時からギターを教えられてきた。やればやるだけ上達してそのたびに父が褒めてくれた。それが嬉しくって私はどんどんギターに嵌っていった。でも、小学生の時にギターを弾いている同級生はいなかったし、いても男の子ばかりだった。だから私は周りの子と話を合わせることができず、孤立していった」

「女の子なら尚更かもね」

 私は首肯した。内気な自分から話しかけるなど今でも難しいと感じてしまうのに小さいころの私に到底できることではなかった。

「中学校に入って……、軽音楽部に入部して佳奈ちゃんって子が私と仲良くしてくれた。その子はギター経験者で、気さくで友達を作ることが苦手だった私にとってとても彼女の存在は大きかったし、その子経由で他の子たちと仲良くなることができた」

「それはよかったじゃないか」

 でも、私の優しい思い出はここまで。自分の過去を知られることに恐怖しながらも話を続けた。

「うん、でもね……、私だけ、上級生からバンドに入らないかって誘われたの。それで私はライブに出場することができた。それがいけなかったのか。その時期を境に他の子との距離が離れていった。それどころか……部活にも学校にもいれなくなってしまった」

「道添さんだけバンドに誘われたことが気に入らなかった?」

「たぶん……そうだと思う。上級生から誘われた1年生は私だけだった。他の子たちは明らかに私を無視したり、わざと私に聞こえるように陰口を言ったり。ただ、唯一佳奈ちゃんだけは心配して声をかけてくれた。だけど……」

 心をえぐられたあの出来事。今でもあの時の心に焼きついた光景は忘れることはできない。

「ある日を境に佳奈ちゃんも声をかけてくれなくなった。こっちから声をかけても避けるようにどこかに行ってしまって……。学校で完全に孤立してしまった」

 忘れられない。見て見ぬふりをする佳奈ちゃん。その時私は佳奈ちゃんが”そっち側”の人間だと知った。

「そんな、そんなことが……」

「それから私は引きこもるようになってしまった。何も信じれなくなって、好きだったギターも触ることが怖くなってしまった。この世にあるものすべてが怖いと思い込むようになってしまった。本当に、辛かった……」

 目頭が熱くなり視線を地面に落とし黙り込む。

 いじめを受け、学校を通えなくなりギターも弾くことに恐怖を覚えた。知られたくない私の過去だ。

 いじめを受けていた相手など誰も友達になりたいと思わないだろうと私が隠してきたこと、ずっと蓋をしてこぼれないように生きてきた。どす黒く濁った“それ”を誰も受け止めてくれないと思っていた。でも、そう思っていた時に彼女と出会った。

 誰にも言えなかった過去を吐露しつまらない話をしてしまったと後悔している。だが、すべてを吐き出せたという妙な安堵がそこに混在していた。

「無理に話させてしまって……。ごめん、私何て言えばいいのか……」

「ううん、聞いてくれただけでも私は感謝してる。誰かに話せば距離を置かれてしまう、でも寄本さんになら話してもいいと思ったの」

 そうなの?と寄本さんは問い返す。

「その……寄本さんに心配をかけすぎるのはよくないって思って。休み時間も私に声をかけてくれたから」

「ああ、あの時にね。あまりいいことは言えなかったけど」

「そんなことない。気にかけてくれることが嬉しかった。でも、迷惑をかけすぎてはいけない。だから、ちゃんと話そうと思って」

「まあ、それは私も過去にいろいろとあったからね」

 私に聞こえないほどの小声で何かを呟き、尋ね返すと何でもないと彼女は答えた。 彼女は何もない虚空をどこ物憂げで表情で眺めている。

――寄本さんにもあるのかな、誰にも言えない秘密が。

 それを尋ねようと喉まで出かかったが直前でその言葉を飲み込む。

 秘密を話すということは苦痛を伴うことを私は知っている。気楽に話せるものではないのにそんな自分が無粋なことをしようしていた自身に恥じた。

「でも……道添さん、うちの部活に入部して……大丈夫なの?」

「ええ、もうずっと閉じこもったままの自分は嫌なの」

「……すごいね、私だったら心が折れてしまって、もう一度手に取ろうなんて考えないと思う。勇気があるよ、道添さんは」

 そんなことはないと言うも、私を見つめる目はどこか陰のある雰囲気を感じた。何かを思い出し悲しむような目だった。

 私はそんな彼女の表情を見て心に痛みを感じた。そんな顔をしないでほしいと。

前のように私に向けてくれていた笑顔を私に見せてほしいと思い、私は彼女と向き合った。

「私はあの時につまずいちゃってもう駄目なんだって思った。けど、ずっとこのままでいいのかなって、怖がったままのそんな状況に甘えているんじゃないかって……。私はね、変わりたいと強く思ったの」

 寄本さんは少し驚いたような表情で私を見つめた。今から話すことは彼女には知ってほしいと思った。

「転校して高校生になったら部活に入ろうと思った。最初は音楽以外の部活で考えていたけど、そんな時にあなたに出会って演奏している姿を見て私はもう一度演奏したいと思えるようになったの」

――だから、そうだ。

「あんなに忌み嫌っていた音楽に私は寄本さんの演奏を聴いて変われるんじゃないかと思った。そして少しずつだけど変わるための一歩を踏めたような気がする。それは寄本さんのおかげなのよ」

 驚いたのち寄本さんの頬が段々紅潮していくのがわかる。街灯があれど仄暗い公園でもその変化がわかり彼女は少し恥ずかしそうに頬を指でポリポリと掻いた。

 私も今更ながら恥ずかしいことを言っていることに気づき視線を逸らす。

「へぇ……そう、だったんだ。いや、私はそんな大したことはしてはいないと思うけど。そうか、道添さんがそう思っていてくれているのなら、私もあの時道添さんに出会えてよかった」

 その表情にはすでに陰はなく、私の大好きな笑顔を向けてくれていた。嬉しさでキラキラと輝く瞳は私の心をジンと震えさせる。話を聞いてくれただけ。それでも、私は心の風通しがよくなり、安らぎを感じた。

 ふと辺りを見渡すともう日が完全に落ち外は暗くなっていた。

「そろそろ帰ろうか。日も沈んでしまったからね」

 寄本さんは太ももをパシンと叩いてよし、と言って立ち上がった。

「今日は本当に……ありがとう」

「何かあったら私に言って。相談に乗るからね。椿さん」

「あっ……私の名前……」

「私たちの仲だからだよ、椿さん」

 私を下の名前呼んでもらえたことに胸が温かい幸福感で満たされていく。

「ええ、奏音さん」

 と私も彼女の名前を口にしたのだ。

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