第4話 前へ進むと決めたから

 はあ、と大きなため息をつく。今日だけで何回ため息をついたのだろう……。

 教室前の廊下で自分のロッカーの中から教科書とノートを取り出し次の授業の支度をしていた。屈んでいた姿勢から立ち上がると目の前の窓に自分の姿が反射している。窓に映り込む自分を見ながら昨日のことを思い返していた。

 保健室で一時間ほど横になって安静にしていると気分も大分落ち着いて一人で歩けるくらいには回復した。スタジオに戻ると真っ先に間宮先輩が駆け寄ってきた。寄本さんは体調が悪かっただけだと間宮先輩に説明してくれた。本当は別の理由があると彼女は知っているはずなのに、何も問わずただ傍にいてくれた。

 間宮先輩も寄本さんと同じくらい心配していたらしく、今日は大事をとって早退するよう言われ私は家へと帰った。

――間宮先輩にも悪いことをした……。

 寄本さんにも迷惑をかけてしまったが入部すると言った日から部の人たちに迷惑をかけてしまった。

 私はいたたまれない気持ちのまま、放課後部室に赴くのだと考えたら行きづらいと思ってしまった。どうしようもない自分に落胆し、もう一度大きなため息をする。

「おはよう、道添さん」

 不意に真横からの声に私は驚き言葉にならない変な声を上げてしまった。怯え引きつった表情の私の顔に彼女からクスりと笑みがこぼれる。

「道添さんって初めて会った時もそうだったけどそんなに驚くことかな」

 一応悪気はないんだよ、と付け加えた。

「き、昨日は……ごめんなさい。迷惑をかけてしまって」

「ああ、そのことはいいんだよ。それよりも体調はもういいの?間宮先輩、あの後ずっと気にしていたみたいだったから」

 やはり迷惑をかけてしまっていたらしい。自分の不甲斐なさにまたもため息をしそうになるも、彼女の前でそんな姿を見せたくない気持ちが勝りグッとこらえた。

「体調はもう大丈夫。……そう、間宮先輩が」

「すごく心配していたよ。今日、部活には来るの?」

「ええ、そのつもりよ。今日は自分用のギターを持ってきたし。入部届を出すつもりだから」

「そっか……」

 寄本さんの視線が斜め下にそれ、どこか落ち着かない様子だった。なんとなくだが話を切り出そうと機会を窺っているように見えた。二人の間で少しの沈黙が続いた後、彼女はゆっくりと口を開いた。

「大丈夫ならいいんだけど……。昨日のことを思い出させてしまって悪いんだけれどさ」

 彼女の切り出した話題に背筋が凍った。

「大丈夫、誰にも言ってないよ。ねえ……もし道添さんの抱えている悩みというのが誰にも話せないようなものなら、私は無理をして話す必要はないと思う」

 私が想定していなかった内容に私は何も言えなかった。私はてっきり根掘り葉掘り聞かれるものだと思っていた。

「その……あの時の道添さん本当につらそうな顔をしていたから。……誰にだって言えない秘密は一つや二つ抱えていると思う。それを話すには勇気もいるし、話す相手、話せる自分の心情、いろんな条件が揃って初めて話せるんだと、私は思ってる。だから、道添さんの話せないって気持ち少しわかるよ」

 彼女は私へと向き直り私の瞳をしっかりと合わせる。その瞳の奥底から何かに対する痛みとやり切れない後悔の念を感じ取れた。彼女の話し方まるで自分への戒めのようだった。

――寄本さんも“そういう”経験があるのかな……。

 次の授業を知らせるチャイムが校舎に響き、私の思考を断ち切った。

 周りの生徒は早歩きで各々の教室に移動を始める。

「急がなくていいの?」

「次の授業は国語。自分の教室だから遠くではないけど、ゆっくりもできないね」

 じゃあ、と言って教室に戻っていった。

 このままでいいのだろうか。本心をさらけ出さず本当に仲良くできるのだろうか。あんな風に言っていたけど気にしていないはずはない。これから先ずっと心配してもらい続けるわけにはいかない。

――向き合わなければ。

 話せるようになりたい。私を知ってもらいたい。この学校に来た時から心に決めていたことじゃない。そのためには自信をつけるしかないんだと自分に言い聞かせた。


 ずっしりとした重量感のある防音用の扉を開けドラムパート、ベースパートの小部屋を通り過ぎギターパート部屋の前で足を止めた。昨日の出来事を思い出し心臓にキリキリとした痛みを感じ、胸をさする。

 私自身どうなるかわからない。また昨日のように悪心に耐えられず逃げてしまうかもしない。でも……。

――寄本さんが励ましてくれたじゃない。

 憧れの人を思い浮かべた。彼女にすべてを話せたわけではない。だが、煩わしく思わずに休み時間に声をかけ気をつかってくれたことが嬉しかった。

 ほんの少し震える手でコンコンと2回ノックをした。

「失礼します」

 奥のパイプ椅子に腰かけ、ギターの個人練習に打ち込んでいる間宮先輩がいた。

「やあ、道添さん。体調は……今日、来てもよかったの?」

 笑みを浮かべてはいるがどこか影のある表情だった。やはり昨日のことを気にしているようだった。

「はい、それにこれを渡さないといけないと思いまして」

 私は昨日の晩に書いてきた入部届を間宮先輩に手渡した。

 すると間宮先輩は目を丸くして、立ち上がると突然喜々とした表情に変わり私の両手を握った。

「えっ!あっ、先輩!?」

「おお、入部してくれか!そうか。ほんとによかった、将来は安泰だぞ!」

「えっと、安泰?」

 私の問いに、喜色満面な表情でトレードマークのポニーテイルが揺れる。

「そうだよ!ギターパートは今現在、私一人なのだから。君以外の入部希望者はギターパート以外だったから助かったよ。いや~正直に言うと、もううちに来てくれないと思っていたからね」

 その言葉に体が硬直する。私は目線を下に落とし、部に迷惑をかけたことの謝罪の言葉を探した。私の仕草を見て何かを察した間宮先輩は言葉を続けた。

「君には申し訳ないことをしたと思っている。いきなり慣れない環境で、しかも人前で演奏しろなんて。プレッシャーを感じたんだろ?」

「いえ、でも……ギターは目立つ楽器ですし」

「でも、君への配慮が欠けていた。すまない」

 いえいえ、と私は両手をパタパタと左右に振った。

「謝らなければいけないのはこちらの方です。いろいろ迷惑をかけてしまって、だから今日はちゃんと部活に参加します」

「うん、わかった。もし体調がすぐれなくなったらいつでも私に言ってくれ。お姫様抱っこをして保健室に運んであげよう」

「それは……ちょっと……」

 すると先輩は呵呵と笑った。間宮先輩に笑顔が戻り私は一安心した。

「おっ、それは」

 間宮先輩は私が背負っているもの気づいた。

「今日は自分のギターを持ってきたんだね……なら、今から練習を始めてもいいかい?」

 不安な心を押し殺して私は、はいと答えた。


「基礎練習はしたことある?」

「あまり……曲をコピーするぐらいしかしていなかったので」

 対面に座る間宮先輩に私はギグバッグから自分のギターを取り出しながら答えた。 ギターを膝の上に置き指を伸ばし手をほぐしてゆく。

「ほお、それが道添さんのギターか。セミアコタイプなんだね。いいチョイスだ」

「お父さんのおさがりですが」

 父から譲り受けたセミアコ―スティックタイプはジャズでもよく使用されるタイプのギターだからと判断して持ってきたのだが、問題はなかったようだ。

「まずは指の運動とリズム感を鍛えるためにクロマチックスケールをやろう。知ってるかい?」

「いいえ、どんなのでしょう」

「6弦の1、2、3、4フレットから順に人差し指、中指、薬指、小指の順に押さえてたら一段ずつ下がり最後の1弦まで行ったら今度は逆に4、3、2、1フレットの順で6弦まで弾く」

 ちょっとやってみるね、と言って間宮先輩はメトロノームを鳴らしギターを構える。一定のリズムを刻むメトロノームに合わせて間宮先輩は弾き始めた。テンポが崩れることがなく、まるで機械のような正確さでミスなく弾き終えた。

「左手でフレットをきちんと押さえるのも大事だけど、注意するのは右手だね。必ずダウン、アップ、ダウン、アップでピッキングすること。ためしにゆっくりのテンポやってみようか」

 身体が一段と重くなり緊張で手も体もこわばっていた。これではいけないと思い、意識を集中させる。前のように逃げてはいけない。

 メトロノームに耳を傾けリズムを体になじませ6弦の1フレットから順に弾き始めた。初めはリズムについていくことができたが段々と指が覚束なくなり、テンポとずれてゆき最後はモタついて一周を弾き終えた。

「リズムとズレていたのはわかる?少し遅れ気味だったね」

「はい、途中で指が疲れてしまって」

「まあ最初はそうだよね。私も慣れるまでには苦労したよ。でも、そのおかげで基礎体力がついた。まあランニングと一緒だね。もう一度やってみよう。今度はテンポをもう少し下げてっと」

 間宮先輩はデジタル式のメトロノームを操作して先ほどよりもスローテンポでカチカチと音が鳴る。戦慄く手をグッと力をいれ握りこぶしを作り震えを押さえる。ゆっくりと手を広げギターを握る。

 間宮先輩が私の手元をじっと見詰める。心臓を鷲掴みにされるような感覚。

――逃げたい。

 そう思った時、すんでの所で我に返る。深呼吸をして心を落ち着かせる。テンポをもう一度意識して、ここだと思ったタイミングで指を動かした。

 テンポがゆっくりになった分、指は滑らかに動いてくれる。しかし、弾いていて違和感があった。この違和感の正体が何かわからないまま弾き切った。

「さっきよりもいい感じだったけど。道添さん的にはどこか引っかかるところはあった?」

「弾いていて何か違うような気はしているんですけど……」

「気がついているなら大丈夫だ。私が聴いた感じだとリズムが跳ねた風になっていたね。一定のリズムでタ・タ・タ・タではなくタッタ・タッタ、ってみたいに。」

「そうだったのですか……。気づきませんでした」

「なかなか自分では気づきにくいところだからね。そこを注意してもう一度やってみよう」

 三度メトロノームのクリックに耳を傾ける。音を聴きながら自分の右手と左手のコンビネーションを確認する。

――ダメだ、上手くできない……。

 集中して、遅すぎても早すぎてもダメだ。神経を研ぎ澄ませ私は平常心でいなければと言い聞かせた。

 間宮先輩に見られながら、という状況で披露する。心臓の鼓動が早まりきつく締め付ける。今までの私では耐え切れず逃げてしまっただろう。でも、

――もう、逃げたくない。

 寄本さんはこんな情けない私を励ましてくれて、背中を押してくれた。そのことを思い出した途端。その気持ちを無下にしたくない気持ちが私の弱い心に活を入れ奮起させた。

 クリック音と自身のリズムを同期させる。リズムを体になじませると私の指は自然と弾き始める。先ほどよりもテンポに対して指は滑らかに動き一定のリズムをキープすることができていた。

――寄本さんと一緒に演奏したいんだ。こんなことで気持ちが負けてしまってはいけないんだ。

 そして最後までリズムを崩すことなく弾き終えることができた。

「うん上出来だよ!さっきよりも全然キレイに弾けてたよ」

「本当ですか?」

 ふぅ、と大きく息を吐いた瞬間、全身のこわばりが解けどっと肩に疲れを感じる。

 その後、何度か間宮先輩と繰り返し弾いて今日の練習は終了した。間宮先輩はうーんと大きく伸びをしてギターをスタンドに戻した。

「はあ、少し休憩しよう。慣れないことをして疲れたんじゃないか?」

「はい、すごく疲れました。でも……」

 今日は逃げずにやりきることができた。まだ、自分の中から恐怖心をすべて取り除けたわけではないけれど、一歩前に進めたような気がした。

「今日の練習はすごくためになりました。明日もこのような感じで練習するんですよね?」

「ああ、そうだよ。そうか……“明日も”か。本当に入部してくれるんだね。明日からもよろしくね、道添さん」

 安堵し私に微笑みかけてくれた。昨日、迷惑をかけてしまってこの場に来ることを不安に思っていた私は間宮先輩の笑顔に胸をなでおろす。

「はい、よろしくお願いします!」

 私は感謝の気持ちを込めて、頭を下げた。

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