ドラゴンライダーの話 C-41

紅石

ドラゴンライダーの話 C-41

 自分たちがこの世界の駒の一つだということには気づいている。

 ヒョーガがドラゴンライダーになってもう五年が経つが、戦争が終わる気配は一向になかった。いつまでも続く戦争に、被害を受けるのは前線に出る軍人と国民だ。お偉いさんは苦渋の決断と渋い顔をして言うだけでいい。たったそれだけで、前線に出る兵士やドラゴンライダーは国の為に戦って死んでいく。今日もヒョーガには出撃命令が下っており、だからこうして竜舎へと向かっていた。

「ヒョーガ!」

 自分を呼ぶ声に後ろを振り向けば、同僚のウィルが小走りで駆け寄ってきていた。

 彼もドラゴンライダーであり、ヒョーガと同期入隊の友人だ。軍の中でも一番仲の良い友人と言えるだろう。ウィルはヒョーガと同い年の二十五歳で、鮮やかなオレンジ色の髪に、抜けるような青空に似た瞳を持つ男だ。対してヒョーガは髪も瞳も真っ黒で、この国では大変珍しい配色だと言われている。

 近くまで来たウィルは少し乱れた息もそのままに、ヒョーガの背中を勢いよくばしばしと叩いた。満面の笑みと興奮が治まらない様子から見るに、乱れた息は走った余韻だけではなさそうだ。

「聞いてくれよヒョーガ!」

「いてっ。バカ叩くな」

「ハミングバード亭のライリーちゃん、いるだろ?」

 ハミングバード亭は大通りにある、軍人ご用達の酒場のことだ。そこで働いている看板娘のライリーは、美しいブロンド髪の眩しい美女である。これまで数多の軍人が彼女にデートを申し込み、ことごとく敗北してきた。ウィルもその一人で、行くたびにライリーを口説き、そして敗北していたのをヒョーガもよく知っている。

 ウィルは笑いが抑えきれないといった緩み切った顔で、さきほどよりほんの少しだけ声のボリュームを落とした。まわりに聞くものなどいないというのに、内緒話のように手を口元に当てている。

「デートの約束、しちゃった」

「……は?」

 ヒョーガは思わずウィルの顔を見つめた。美人で愛想もよく仕事が出来て男を軽くかわす術も持っているライリーが、このお調子者のウィルとデート。どう考えても釣り合わない。

「金でも積んだのか?」

「ちげぇよ!ま、オレの愛が通じたって感じ?」

「あっそ……」

 じっとりとした視線とため息混じりの言葉を送り、ヒョーガは竜舎へと歩き出した。出撃命令が下っているのだから、いつまでも駄弁ってはいられない。横を歩くウィルは、今にもスキップでもし始めそうだ。

 ヒョーガはライリーに惚れていたわけでもないから、友人の幸せは祝福してやりたいが、それよりも驚きの方が強い。正直、ウィルの妄想なのではと疑っている。確かに顔はそれなりにイケメンでドラゴンライダーとして腕も良いが、それをぶち壊すような軽薄な男だ。可愛い子はすぐ口説くし弱いくせに大酒飲みで金使いも雑。

「今回ばかりは本気だぜ、オレ」

 けれど思い出せば、ライリーを口説き出してから街で女の子に声をかけることはなくなった気がする。これはウィルの言う通り、本気なのかもしれない。

「ま、上手くいくといいな」

「ああ。今日の出撃をさっさと終わらせて、明日のデートに備えないと」

「お前それ、完全にフラグだぞ」

「フラグ?」

 映画やゲームでよくある、俗に言う死亡フラグ。ヒョーガは知っているが、この世界の人間に意味が通じたことはなかった。ここはヒョーガが暮らしていた日本ではないから、当たり前かもしれないが。

 ヒョーガの本当の名前は、如月氷雅。十五歳の二月一日に日本の東京からここへと転生した、らしい。学校からの帰り道、トラックに轢かれて気がつけばこの国にいた。

 森の中で呆然としながら見上げた空を、氷雅は一生忘れない。頭上に広がる空は日本と同じ青色でも、そこにはドラゴンが飛んでいた。赤く大きな肢体が悠然と翼を広げて、氷雅の上に影を落としていく。忘れたくとも忘れられない光景だ。

 人々の髪や瞳はカラフルな色に溢れ、服装も現代日本では見たこともないものばかり。それらは、ファンタジー映画やゲームとよく似ていた。

「日本の言葉だよ」

「ああ、お前がいたっていう国の。えーと……ジテーシャ、テップラ、ジエータイ、だっけ?」

 自転車、天ぷら、自衛隊、だ。

 ヒョーガは転生してきたということをほとんどの知り合いに黙っている。こんな荒唐無稽な話、信じてくれないだろうし説明も面倒くさい。だいたいの人間には、田舎で暮らしていたが両親を失い一人この街へ来た、と言っている。田舎者だと言えばこの国の常識を知らなくても、ある程度はごまかしが効いたから。そんな中、ウィルには自分が日本から転生してきたと話している。

 彼は恐る恐る打ち明けた話を真正面から受け止め、信じてくれた。軟派な性格でどうしようもないところもあるが、義理堅く誠実な面もある。良い奴なのだと、付き合いが長くなればなるだけ感じる男だ。

 知り合いのいないこの国でヒョーガが絶対的に信頼しているのは、ウィルと、そしてもう一つ。

 生き物独特の匂いが強くなり、唸りに近い鳴き声が聞こえてくる。竜舎はドラゴンライダーの相棒であるドラゴンたちがいる小屋だ。ドラゴンは東洋風の蛇に似た龍ではなく、西洋風の恐竜にコウモリのような羽がついた見た目をしている。

 ヒョーガの相棒は、臙脂色のウロコが美しいメスのドラゴンだ。小屋の戸を開けると、彼女はその巨躯を丸めて眠っていた。とはいっても人間からすれば大きいというだけで、全長三メートル程度の彼女は、この国のドラゴンとしては平均程度の大きさである。

 ひくりと鼻を動かした彼女のまぶたがゆっくりと持ち上がり、ヒョーガの姿を見つけると、瞳を輝かせて体を起こした。手を伸ばせばそこに頭を擦り寄せて、ぎゅるぅと嬉しそうに鳴き声を上げる。

「ヘルキャット、いい子にしてたか?」

 顎の辺りを撫でてやればぐるぐると喉を鳴らして、気持ち良さそうに目を細めた。

 ドラゴンライダーはこの国で花形の職業である。ドラゴンの背にまたがり颯爽と空を飛んで戦う、国の攻防どちらにも欠かせない存在だ。ヒョーガがドラゴンライダーになったのは五年前、二十歳の時。背景も何もない自分がよくドラゴンライダーになれたものだと思う。

 今でこそ懐いてくれているが、出会った頃のヘルキャットは中々に気の強い女で、背中から振り落とされたことも何度かあった。だからこの名前をつけた。ヘルキャット。直訳で地獄猫、スラングで意地の悪い女という意味だ。名付けの理由はそれだけではないけれど、もう一つは誰にも言っていない。

「出撃だ。ついてこい」

 ドラゴン出入り用の戸を開けてヘルキャットへ外に出るよう促すと、彼女は素直にヒョーガの後ろをついてくる。倉庫からドラゴン用の器具を持ってくれば、ヘルキャットは何も言わずともその身を屈めた。えらいぞと頭を撫で、彼女の背中へ手早く鞍を取り付ける。他にも手綱や命綱などドラゴンの背に乗るために必要な道具をベルトで固定していく。

 最後に残ったのはヒョーガの身の丈ほどもある槍。これはドラゴン用ではなく、ヒョーガの装備だ。本来は馬上で扱うランスを、ドラゴンライダーの中でもヒョーガだけが武装している。

「ほらシュタルク、お前の愛しのヘルキャットだぞ」

 ランスを手に竜舎の外に出れば、ウィルとその相棒ドラゴンのシュタルクが出迎える。シュタルクはヘルキャットよりも一回り大きく、深緑の身体と額についた一筋の傷が特徴的なオスのドラゴンだ。

 シュタルクは威風堂々とした立ち姿だが、ヘルキャットを見た途端、すらりと持ち上がっていた首を少し下げて彼女の機嫌をうかがうように近づいてきた。ぐるるぅと喉を鳴らし好意を示すシュタルクに、ヘルキャットはツンとした態度を崩さない。シュタルクが戸惑いながら周りをうろうろしても、ヘルキャットはすましたまま興味を示さなかった。

「気合い入れろー」

「残念だったなぁ。うちのヘルキャットはそう簡単になびかないイイ女なんだよ」

「うちのシュタルクだってイイ男だろ」

 額の傷は眼前の敵に立ち向かった度胸の証。だがそんな彼も恋には不慣れらしい。シュタルクはヘルキャットに愛を向けては、つれない態度をとられている。

 ウィルと並んで二匹のドラゴンを見守っていたが、彼はヒョーガの方を向くと、それさ、と指をさしつつ口を開いた。人差し指の先にあるのはヒョーガのランスだ。

「毎回思うけど、持っていかなきゃならないの大変だな」

「仕方ないだろ。俺は魔法が使えないんだから」

 この国には当たり前のように魔法があって、当たり前のように国民が使っていた。炎も風も光も魔法で出せる。だが転生者のヒョーガは元々魔力がないようで、どれだけ訓練をしても使えるようにはならなかった。ドラゴンライダーは皆、ドラゴンに乗ったまま魔法で攻撃する。だから魔法の使えないヒョーガは、武器を持っていくしかない。

 ヘルキャットと視線が合い、彼女はとてとてとヒョーガの後ろへと隠れる。どうやらシュタルクをあしらうのが面倒になったようだ。あの勇敢なシュタルクが目に見えて落ち込んでしまい、思わず笑ってしまう。

「諦めんなよシュタルク。今日の出撃でいいとこ見せてやろうぜ」

「ヘルキャットの活躍に惚れ直すはめにならなきゃいいな」

 軽口をかわしながらお互いに相棒のドラゴンを撫で、そして二人ともその背にまたがった。

 ドラゴンと自身を繋ぐ命綱をベルトで止め、一度大きく息を吸う。

「飛べ、ヘルキャット」

 合図をして手綱を引く。ドラゴンの巨大な翼がはためき、足が地面から離れる。この感覚だけは他の何でも味わえない。自分とドラゴンが一体化するかのようだ。

 ドラゴンは即座に高度を上げられるが、訓練されたドラゴンはゆっくりと空へ上がっていく。ある程度の高さまで上がり、互いに安定していることを確認して、ウィルと頷いた。

「よし。いくぞ」

 手綱を動かせば、ドラゴンは速度を上げて前へ進み出す。

 風を切って空を飛ぶたびに、ヒョーガは日本のことを思う。あのまま日本で生きていたら、今と同じように空を飛んでいただろうかと。

 ヒョーガには夢があった。航空自衛隊に入って、戦闘機のパイロットになること。初めて買ったプラモデルはアメリカの戦闘機F6Fヘルキャットだ。

 そしてもう一つ思う。三つ年上の兄のことを。ヒョーガがトラックに轢かれたあの日、実は兄も一緒にいた。だがこの国に転生したときに兄は近くにおらず、しばらく国内を探したが見つからなかった。そもそも事故にあわなかったか、命は助かったのか、あるいは転生などしなかったのか、真相は分からない。

 兄は海上自衛隊を目指しており、あの時すでに一般曹候補生になることが決まっていた。兄が乗員している空母から、弟が操縦する戦闘機が離艦する。戦争をしたかったわけではない。ただ、映画やゲームに影響された男の馬鹿なロマンの話だ。兄もヒョーガも本気でそんなことを思っていたわけではない。海上自衛隊と航空自衛隊をそれぞれ夢見ていただけ。

 生きていてほしい。会いたい。この国だって決して悪くはないが、兄が日本にいるのならば戻りたい。兄もここにいるのならば、何をしても会いに行きたい。

「ヒョーガ」

 ウィルの言葉にはっと意識を戻す。

「もうすぐ海に出るぞ。ボケッとすんなよ」

「ああ」

 敵は海の向こうから、リヴァイアサンに乗ってやってくる。この国がドラゴンと共存しているように、敵国はリヴァイアサンと共存している。リヴァイアサンとは海中に住む生き物で、ドラゴンのような逞しい巨躯ではなく、蛇のようにしなやかな体を持つ。東洋風の龍に似た姿で、羽根めいたヒレがいくつかついている。リヴァイアサンに乗って海を泳ぐ奴らを、リヴァイダーと呼んだ。

 リヴァイダーは海中から静かにこの国へと侵略してくる。国防を担当するドラゴンライダーの主な仕事は、こうやって海の上から奴らがいないか警戒すること。深く潜れば潜るほどこちらから感知しにくくなるが、上から見えなくなるほど潜れるリヴァイダーはごく少数だ。

 海の上に出ると、ヘルキャットは少しスピードを落とした。深い水面の下に不穏な影がないか目を光らせるが、今のところおかしな点はない。うっすらと波立つ海はきらきらと太陽の光を反射している。

「平和になったら、ライリーちゃんと海に来たいな」

「付き合ってから言えよ」

「まぁ見てろって。明後日には、オレとライリーちゃんが付き合いだしたって話で持ちきりにしてやるから」

 ははっと笑いながらヒョーガは海からウィルへと視線を向ける。ウィルはへらりと笑って、その頭が吹き飛んだ。海から伸びた光がシュタルクの胴体からウィルの頭へと突き抜けている。翼が動きを止め大きく揺らぐシュタルクの巨体と、手綱から手が離れてぐらりと傾くウィルの身体。力を失った一匹と一人が落下していく。

 動けなかった。見ることしかできなかった。命令もなしにウィルたちへ一直線に向かうヘルキャットに何も言えなかった。ただ急激な落下に感じる風が、これが現実だと突き付けてきた。

 瞬時に手綱とランスを一緒に持って片手を開け、重力に沿って落ちるウィルに手を伸ばす。あと少し、彼の手を掴めば、彼の服を掴めば。手は空を切り、シュタルクとウィルは盛大な水飛沫を立てて海へと落ちていった。

「ウィルーッ!!」

 ヘルキャットの勢いは止まらず、ヒョーガたちも海へと突っ込んでいく。だがドラゴンはリヴァイアサンのように水中で自由に動けないし、呼吸もできない。命綱で繋がったまま、ウィルとシュタルクが沈んでいく。大量の赤い血が海水に混じり、どんどん遠くなっていく。

 ウィルは頭を吹き飛ばされた。助からない。シュタルクは弱点である喉元の逆鱗を貫かれた。助からない。分かっている。そんなこと、分かっている。

 今も諦めずに泳ごうとするヘルキャットへ、手綱を通して浮上の意思を伝える。顔だけ振り向いた彼女の瞳は、怒りに満ちてぎらりと睨みつけてきた。それでもヒョーガは手綱を引いた。ヘルキャットはじっとヒョーガの顔を見つめて、そして指示に従って浮上していく。自分がどんな顔をしているのかは分からなかった。

 もはや見えないほど小さくなったウィルとシュタルクへ向けて、別れの言葉を海中に沈ませる。そして海面へと顔を向けようとして、海中に何かの影を見つけた。大きく細長い影。あれは。

「ぶはっ!」

 水面に顔を出し、ヒョーガとヘルキャットは大きく息を吸い込む。間違いない、あれは。

 いつでも聡明で気の強いヘルキャットが、見たこともないほど落ち込んでいる。その背中を撫でてやるが、彼女の傷を癒すのはこんなことではない。彼女はそれを望まない。そしてヒョーガは彼女の望むことを提示できる。影は見えた。

「ヘルキャット。落ち着いたら飛んでくれ」

 翼が濡れているから飛びにくいだろうが、ヘルキャットは大人しく指示に従った。犬が体を乾かすようにバサバサと翼を数回はためかせて、ヘルキャットは空へと飛び上がる。

「敵がいた。もう一度いくぞ」

 ヘルキャットはぎゅあぁっと今まで聞いたことがないほど長く激しく鳴いた。覇気をなくしていた彼女の瞳がまた海を睨みつける。ヒョーガは右手でしっかりとランスを構え、左手で手綱を握った。ランスの穂先はヘルキャットの頭よりも前に出ている。うるさい心臓を押さえつけるように、一度深く呼吸した。

「突っ込め!」

 叫んですぐに大きく息を吸い込む。ヘルキャットは一切の躊躇いなく海へと突っ込んだ。速度をつけて海中を突き進むドラゴンはまるで一発のミサイルのようだった。ヒョーガの視線の先はさきほど見つけた影。近づくほどに確信に近づくそれの正体は、リヴァイアサンだ。

 許さない。ウィルとシュタルクを殺したあいつを許さない。

 リヴァイアサンに乗るリヴァイダーがこちらを見たがもう遅い。ヒョーガの持つランスはリヴァイダーの肩をえぐるように貫いた。即座にヘルキャットへ浮上の合図を出し、手綱を咥えてリヴァイダーの腕を掴む。当然リヴァイダーは暴れるが、リヴァイアサンならともかくただの、それも手負いの人間一人が藻掻いたところで怖くはない。下から追いかけてくるリヴァイアサンに追いつかれないうちに、空へ逃げてしまえばいいだけだ。

 水面に上がり、ヒョーガはうっとうしげに前髪を掻きあげる。ようやく憎きリヴァイダーの姿をはっきりと見ることができた。

 ヒョーガより少し年上らしき男。髪は黒。苦痛に呻きながらもうっすらと開いている目蓋から、瞳も黒だと確認できた。手に持った手綱が引きちぎられているのは、突っ込んだ時にヘルキャットが噛み千切ったのか。手にはボウガン。リヴァイダーもドラゴンライダーと同じく魔法で攻撃をしているはず。リヴァイダーが長時間海に潜っていても平気なのはリヴァイアサンの加護らしい。このボウガンも加護か魔法で強化しているようで、魔力がなくても使える代物だ。

 黒髪黒目、魔力がない。

 咥えていた手綱がぽとりと海に落ちた。

 まさか、いや、そんなはずは。

 脳裏に一人の男が浮かぶ。

 いや、仮にコイツが転生してきた日本人だとしても、彼とは限らない。

 分からない。十年後の顔が分からない。

 ぎゅああっ、とヘルキャットが叫ぶまで、リヴァイアサンが水面に上がってきていたことに気づかなかった。目の前に現れたリヴァイアサンに思わず息を飲んだが、襲いかかってくることはなかった。リヴァイダーの男が制止させたからだ。男は今にもこちらに襲いかかりそうなリヴァイアサンの頭を撫でて、掠れた声で優しく話しかける。

「まて……おちつけ……そうだ、いいこだ、いずも」

 いずも。日本のヘリコプター搭載護衛艦、いずも型。

 ああ、嘘だろ。

「兄貴、なのか……?」

 如月冬斗、三つ年上の氷雅の兄。今まで見つけることができなかったのは、海の向こうの敵国にいたから。

 リヴァイダーの男はリヴァイアサンを撫でながら、ヒョーガへと視線を向けた。うっすらと笑みをのせた優しいその顔を知っている。

「十年ぶり、だな。氷雅」

 会いたかった。こんな形で会いたくなかった。探していたたった一人の兄弟。ウィルを殺したリヴァイダー。

 心臓が痛い。呼吸が下手になってしまった。唇が震えるのは海水の冷たさではない。

「兄貴……なんで……」

「さがしてた、よかった、あえて」

「……やめろ、お前は、ウィルを」

「そっちにいたのか、みつからないわけだ」

「……」

「わるかったな、そばにいてやれなくて」

「やめろ」

「おれはおまえの兄貴なのに」

「やめろ、やめてくれ、お前を殺せなくなる」

「ごめん」

「やめろ!俺にお前を殺させろ……!」

 ヒョーガは爆発した感情のままにランスを振り上げる。刺せばいい。貫けばいい。頭でも首でも胸でも腹でも。振り下ろしたランスは空を切り、海面に突き刺さる。水飛沫の跳ねる音だけが虚しく耳に届いた。

 避けようともしなかった。兄はただこちらを見ていた。お前の好きにしろと、そう書いてある瞳を見れなくて、ヒョーガは視線を逸らした。

 誰も何も言わない。ただ穏やかな波の音と、兄の苦し気な呼吸だけが小さく聞こえてくる。

 やがてヒョーガは、震える唇を一度噛み締めて小さく口を開いた。

「……いずも」

 ヒョーガが項垂れたのは、顔を見られたくないから。声がやけに小さいのは、嗚咽を我慢しているから。ぽたりぽたりと頬を伝って水が海面へと落ちていく。

「そいつを連れて、行け」

「……いいのか、おれは、おまえの」

「行け」

 掠れた声で冷たく言い放てば、リヴァイアサンが動いて水が波立つ音がする。下を向いた視界の端で、兄がリヴァイアサンの背中にまたがるのが見えた。リヴァイアサンは潜水することなく、ぱちゃりと静かにヒョーガの視界から消えていく。


『決まったな』

『いや、まだ分からないだろう。気が変わって後ろから刺すかもしれない』


 ようやく顔を上げれば、こちらを見ていたヘルキャットと視線が合う。ぎゅう、と彼女は心配そうに声をあげた。頭から背中にかけてゆっくりと撫でても、ヘルキャットは小さく唸り声を上げ続ける。泣いているのかもしれない。

「……ごめんな、ヘルキャット」

 ウィルの仇。シュタルクの仇。それでも兄を殺せなかった。

 兄が連れていたリヴァイアサンの名前はいずも。海上自衛隊が所有している艦艇などたくさんあるというのに、兄は空母から名前を付けていた。弟との馬鹿なロマンの話を覚えていた。


『どうだ。もう間違いない。見ろ、彼は友より兄をとった』

『分からないね人間ってやつは。前の女は父より友をとったじゃないか』

『それは立場が違うってものさ』


「飛んでくれ」

 きゅぅう、とか細く鳴いて、ヘルキャットは翼をはばたかせた。海に刺さりっぱなしだったランスがやけに重たく感じる。


『今回も面白いものが見えて私は満足だね』

『転生という設定が流行っているらしいから取り入れてみたが、別にいらなかったな』

『いや、彼にとって兄が唯一無二の存在とするには必要だろう』

『だったら、村を焼かれて兄と二人だけ生き残ったという設定でも良かったじゃないか』

『ちょっと静かにして。下にいる彼の声が聞こえない』


「兄貴……」

 ランスは肩に深く突き刺さっていた。放っておけば出血多量で死ぬはず。あの場で殺しも助けもできなかったヒョーガには、思うことしかできない。

 上空から海面を見渡しても、そこに兄の姿はなかった。こんなに広い空と海なのに、生きている者はヒョーガとヘルキャットだけと言わんばかりに静寂が辺りを包んでいる。ヒョーガの小さな呟きなど、まるで最初からなかったかのように消えていった。


『次はどんな設定にする?』

『恋人を殺されるというのはどうかな』

『いいね。じゃあ彼らをリセットして、設定を変えて新しく始めよう』

『待って。せっかくだしもう少し見ていたい』

『短時間用の世界設定だから、どのみちすぐに終わると思うが』

『彼の結論だけ見たいから』


 まるで自分とヘルキャットだけがここに取り残されてしまったようだ。そんなことはないと分かっているのに、静けさに押しつぶされそうになってしまう。

 たびたび顔だけをこちらに向けるヘルキャットは随分と心配そうで、きっと空を飛んでいなければすり寄って来ていただろう。こんなにも気遣ってくれる愛おしい相棒に、自分が返せるものは何か。自分にできることは何か。

「……壊そう」

 それしかない。もうそれしか思いつかない。

「俺たちで、こんな世界を」

 結局、ヒョーガにできるのは戦うことだけだ。戦って、抗って、世界を変える。こんなこと二度と起こらない世界に。


『なんだ、つまらないな、結局そんなありきたりな結論しか出てこないのか』

『どうだった?やっぱり長時間用設定の方が面白いだろう』

『私は短時間も好きだけど、これはダメだ。よくある話だからね。記録名は通し番号でいいかい?』

『うん』


 俺たちがこの世界の駒の一つでしかないということなど、気づいている。

 ヒョーガは上を向いて空を睨みつけた。そこには青い空と白い雲が一面に広がっているだけだ。それでもヒョーガは、空を貫かんばかりにじっと睨みつけた。これまでのありとあらゆる感情を、すべてそこへぶつけるように。


『さて、リセットしようか』


 ヒョーガは確かに言葉を発した。だがそれは誰にも聞かれることなく世界に消えていった。

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